徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

レント(受難週)に寄せて

2014-04-19 09:49:48 | 信仰・瞑想・考察
今週は、キリスト教においては、レント(受難週)といって、特に昨日の金曜にキリストは十字架につけられ、今朝土曜は墓に眠り、そして明日の日曜に復活される。という、いわば昨日~明日は、そのクライマックスともいうべき期間となっているようです。
私の所属している教派では、安息日を重んじるほかは、ほとんどキリスト教暦というものに重きを置かず、したがって、他の教派で行われるような、例えば受難週やイースターのように、キリスト教の暦上における出来事(イベント)に合わせて何かをする、ということがありませんでした。
私も、特に暦上の過去の出来事を、今の時に合わせて”時そのものを重要視する”ということそのものに、特に深い意義を持たせることの必要性は感じませんが、それにしても、その折々で、”神がわれわれ人類のために、なさったこと”を振り返り、我が身に照らし合わせて意味を考え感謝し、深く瞑想する、よい機会であることは、まちがいなさそうです。

十字架上で神の子キリストは、「エリ エリ レマ サバクタニ」と言って、その金曜日におなくなりになられました。
”わが神、わが神、どうして 私をお見捨てに なられたのですか。”-
-は、本来なら、私達1人ひとりがそう声をあげなくてはならなかった言葉です。
その苦悶の声をあげ、神の子たる身分の者が、なぜ無実の罪のまま死ななくてはならなかったのか。
それは、他ならない、人間の私達の罪・・過去もこれからまだ先の未来のみ、大きいものから小さいものまで、1人1人のすべての罪の、代償として、かわりに清算されたのです(これを贖い(あがない)という。)
この刑の身代わりが、効力を発して、かわりに、私どもが『無罪』(無実=清廉潔白ではないにかかわらず)となるためには、どのようにすればよいのでしょうか。・・それは、ただ、このイエス・キリストの身代わりがあったことにより、救われたということを、心から信じればよいだけなのです。
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では、翻って、この世での現実。
不幸に苦しんでいる人、不条理、病気、差別、不平等、不公平、搾取...etc.。
犯罪被害、加害、果ては冤罪による死刑。その他、目を覆うような、ひどいものや、大きな、複雑な政治的・社会的問題から、・・個人々々の、内面的な、罪の問題があります。
とても解決できるものではない、と不安で打ちのめされてしまったり、
疲れ果てあきらめ、投げてしまいそうになる、・・
がその前に・・
これらすべてのことの清算を終え、世界のだれよりもどの試練よりも苦しい試練を受けた存在(神の子・キリスト)があったこと、そしてそのキリストの”救いの真理”があること、・・を知っていただきたいと思う。救い得ない罪はないという。
この世で死んでも、永遠の命に入る・・という深淵な真理。
どん底まで落ちて、救いを知るか。反して、親などから継承して、生まれた時からこの真理を信じて恵みを得ている人もいる・・幼子のように、真理を素直に受け入れる心、あなたはどちらを選びたいですか・・
宗教・宗教者にもしや誤謬(ごびゅう)や、真理の誤解釈があったとしても、それらからは、”完全に独立”して、確かに存在する 十字架の贖いの真理は、永遠にかわらない、私たち人類への、神からのギフト(贈物)です。
(受難週によせて4/19~徳井)