勢至堂峠、頂上にはこんなものが存在します。
土塁。
関ヶ原合戦の際、上杉が徳川勢を迎え撃つのに、景勝の本陣・堂谷坂陣を築いたそうなのですが、その際に勢至堂峠にも陣地を築いた跡のようです。
(というより堂谷坂陣から勢至堂峠まで街道部分を含めて一体の史跡なのかな?)
ちなみに幕末の戊辰戦争においても使用されたそうです。
この付近の峠の土塁跡って戦国時代に築かれて、戊辰戦争で再利用されてるの多いよね。
堂谷坂陣跡は国道294号を須賀川側からトンネルへ向かって走ってると、道の両脇に「天地人」の旗が立っていて"堂谷坂陣跡"って看板も設置されているので、今しばらくの間は迷わずに訪れる事が出来るかと思います。
うっかりスピードの出し過ぎで通り過ぎる可能性はあるけど(笑)
ちなみに私達は伊達関連史跡ではないので華麗にスルー。
結構立派な土塁だったけど、写真に撮るとイマイチなんだよね…。
あ、土塁の説明杭は朽ち果てようとしておりました。
説明が読みたかった。
峠より須賀川方面を望む。
こちらから登ったのではないので、道が分かりにくかった…
峠より郡山方面を望む。
こっちは道が分かるでしょ
そして今回のベストショット
↑クリックすると少し大きめの画像が見られます。
道らしい雰囲気が一番感じられた場所。
ここすっごく良かった!
写真を見返してはウットリしている腐女子がここに一人…。
この太閤の道、峠から両側どちらも500メートル程、道が残っているようです。
須賀川側には道を下ると殿様清水があるのです。
が、私達は元来た道を引き返しました。
これが正解だった。
草ボーボーの階段(笑)
勢至堂トンネルと国道294号線。
この位置からトンネルって見たこと無いから、ちょっと新鮮だった。
実は下ってから気付いたのですが、この草ボーボーの階段を登らずとも、太閤の道へ行ける所を発見。
階段のある方とはトンネルを挟んで反対側に旧道が残されてます。
ここを少し歩けば、太閤の道へ繋がる登り道(…というか太閤道そのものなんだと思う)が現れます。
こっちの道は階段ほど草まみれではなかったです。
チッ…。
超草まみれの階段を登りきると、左手の登りが峠への道、右手の下りが旧道への道となってました。
土塁。
関ヶ原合戦の際、上杉が徳川勢を迎え撃つのに、景勝の本陣・堂谷坂陣を築いたそうなのですが、その際に勢至堂峠にも陣地を築いた跡のようです。
(というより堂谷坂陣から勢至堂峠まで街道部分を含めて一体の史跡なのかな?)
ちなみに幕末の戊辰戦争においても使用されたそうです。
この付近の峠の土塁跡って戦国時代に築かれて、戊辰戦争で再利用されてるの多いよね。
堂谷坂陣跡は国道294号を須賀川側からトンネルへ向かって走ってると、道の両脇に「天地人」の旗が立っていて"堂谷坂陣跡"って看板も設置されているので、今しばらくの間は迷わずに訪れる事が出来るかと思います。
うっかりスピードの出し過ぎで通り過ぎる可能性はあるけど(笑)
ちなみに私達は伊達関連史跡ではないので華麗にスルー。
結構立派な土塁だったけど、写真に撮るとイマイチなんだよね…。
あ、土塁の説明杭は朽ち果てようとしておりました。
説明が読みたかった。
峠より須賀川方面を望む。
こちらから登ったのではないので、道が分かりにくかった…
峠より郡山方面を望む。
こっちは道が分かるでしょ
そして今回のベストショット
↑クリックすると少し大きめの画像が見られます。
道らしい雰囲気が一番感じられた場所。
ここすっごく良かった!
写真を見返してはウットリしている腐女子がここに一人…。
この太閤の道、峠から両側どちらも500メートル程、道が残っているようです。
須賀川側には道を下ると殿様清水があるのです。
が、私達は元来た道を引き返しました。
これが正解だった。
草ボーボーの階段(笑)
勢至堂トンネルと国道294号線。
この位置からトンネルって見たこと無いから、ちょっと新鮮だった。
実は下ってから気付いたのですが、この草ボーボーの階段を登らずとも、太閤の道へ行ける所を発見。
階段のある方とはトンネルを挟んで反対側に旧道が残されてます。
ここを少し歩けば、太閤の道へ繋がる登り道(…というか太閤道そのものなんだと思う)が現れます。
こっちの道は階段ほど草まみれではなかったです。
チッ…。
超草まみれの階段を登りきると、左手の登りが峠への道、右手の下りが旧道への道となってました。