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清水女次郎長の想い

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清水のカトリック教会は、市民の宝

2020-05-12 22:08:31 | 清水教会
 木造檜づくり、ゴチック様式、双頭の「清水カトリック教会」は、町のシンボルです。
清水エスパルス・ドリームから西に、巴川の橋を渡り、船越公園通りを行くと左側に(手前に聖母保育園があって、少し見えにくいけど)、双頭の教会が見えてきます。
この教会は、徳川家康の浜御殿の跡地に建てられたものです。キリシタンは迫害され、すぐ近くの入江岡では殉教者が出たと記録されています。そんな地に、キリスト教の教会ができるなど…、不思議なことではないでしょうか?
高台にあり、昔は清水港がよく見える地であったそうです。
 第二次世界大戦時の1945年7月7日に、この街は猛爆撃を受け、その後の7月31日には、海からの艦砲射撃を受け、町は壊滅状態になりました。現在の<桜橋駅>の路上から、ぽつんと残った教会がよく見えたと言われています。
 焼け残った聖堂には、たくさんのけが人や、行き場を失った市民が押し寄せ、内部の「白い柱が血で染まっていた」と証言した人もいます。
 その時には、宣教師と近くに住んでいた宣教師と親しかった医師が、押しかけた怪我人を治療し食べ物を分け与え、「生き残った人がかなりいた」と言う、生き証人もいます。もちろん、生き残った信徒たちも食料を集め調理をして、怪我人たちを看病したといわれていす。
 静岡平和資料センターでは、この教会を貴重な<戦跡地>と指名し、子供たちに「平和教育の現場として」見学させています。話だけでは現在の子供たちには理解させにくいことを、現場を見せることで、容易に戦争時を想像させ、戦争の悲惨さを感じさせることができます。
 昨年の秋、清水第三中学校の先生が、40人以上の生徒をこの聖堂に連れてきて見学させました。
 ぜひともこの聖堂を取り壊さず、残してほしいと言う希望があるのは当然です。

                           


フランチェスコ・ローマ教皇の考え方

2020-05-12 16:42:13 | 清水教会
 昨年11月、東京ドーム(公式ミサ)と、関口の東京司教座聖堂(青年の集い)でフランチェスコ・ローマ教皇に会いました。と言っても、記者クラブの一員として、少し距離を置いての出会いでしたが、強い印象を受けました。
 まず、この教皇は、優しさと厳しさの両面をバランスよく持ち合わせているのではないかと感じたことです。特に「青年の集い」では、青年たちの苦悩に寄り添った態度や話、「そんなイジメの言葉には、〇〇と言い返してやりなさい」などのイジメられている人への寄り添い、イジメている人への厳しさだけではなく、その言い方や雰囲気にはユーモアも満ちていました。
 私は自分の車を、関口司教座聖堂の向かい側にある「椿山荘」に置いていたので、とりに行った時、3人のフロントの若い女性たちが、「椿山荘」入り口近くに出て来て、聖堂から教皇様が出てくるのを待っていました。窓を開け手を振った教皇様を、彼女たちは見て、「教皇様が、私たちを見て手を振って下さったわぁ」と、大喜びでした。たぶん信徒でもなく、関係ないようなフロントの女性たちに、教皇は何かの感銘を与えることができる人…、それをまじかに感じた私はとても驚きました。
 東京ドームでは、パパモビレ(天井なしの車)に乗った教皇様が、小さな子供たち一人一人にキスをして、驚いた子供は泣いても、教皇様は何とも嬉しそうでした。
 しかしその後のミサは、82才の年相応、歩くのも大変そうでしたが、祈っている姿に、その祈りの真剣さが伝わってきました。 昨年11月のことでしたが、私には昨日のことのように今も感じています。
   

きれいな木造ゴチック様式の「清水カトリック教会」を保存するか、新築するか?

2020-05-12 15:21:31 | 清水教会
 静岡市清水区にある「清水カトリック教会」は、83年位前に宣教師が建てた、大きくはないけど<木造檜づくり>ゴチック様式、双塔の聖堂です。内部は、ステンドグラスとマリアン・ブルート呼ばれる天井が美しい建物です。 もちろん「文化遺産」になるものですが、これを修理して残すか、新しいものに建て替えるか…という問題になっています。
 静岡県内では、バブル期に、古い貴重な建物が次々と取り壊されていったので、この建物は県内にたった一つしかない「双塔」の聖堂で貴重なものです。
 戦時中この街で焼け残ったこの聖堂に、爆撃で傷ついた人たちが大勢かけ込んで、宣教師や近くに住んでいた医者が介抱し、生き残った人も多く、現在では、子供たちの「戦跡巡り」の場にもなっています。
 多くの信徒は、「貴重なものなので残したい」と思っていましたが、管轄する信徒の上の横浜在住の司教が、「取り壊したい」意向を明確に告げたので、信徒はぜひ「残したい」人と、上の意向に従って「取り壊すしかない」と思う人が2分してしまい、すでに5年がたっています。戦後新築された教会の建物が多いそうですが、こちらの清水教会のようなことが起きないか…危惧しています。