まろんのひとりごと

BPDと診断された娘とがんばる 
母さんのひとりごと。。。。
ちょっとだけトンネルの出口が見えてきたかな。

5月1日のこと

2009年06月02日 | Weblog
入院騒動の続きです。

救急隊の人からの電話を受けて
仕事をほったらかして 家に帰りました。

鍵を閉めてない
保険証がいる
何を飲んだか確認するため

薬は 私が隠したままありました。
ゴミ箱と部屋の中をを見たけど それらしきくすりの空き袋は
なかった。

いったい何を飲んだっていうんだろう?

家に戻るまでに 救急隊の人に
○○○病院へ運んでください!とお願いしました。
病院と交渉中なので 15分後に消防本部に電話して
どこへ運ばれたか確認してくださいと言われました。

15分後電話をかけると
私の名前や関係、住所などいろいろ聞かれて
やっと 病院名を教えてもらえました。

かかりつけの精神病院へ運ばれたことがわかり
ほっとしながら 病院へ行くと
主治医の先生が運良くおられた。

「お母さん!こんな時は救急隊の人の言うこと聞いてね!
 ここに運んできてもダメよ!ここでは胃洗浄ができないから。
 胃洗浄すると ものすごく痛いし気持ち悪いので
 それがいやで もうODしなくなる子もいるからね」

と第一声 
怒られました。

あ~ぁ。
そうだったのかぁ。

精神的にまいって うつになってるから
精神病院がいいんだとばかり思い込んでました。

怒られて 勉強になりました。

次したら 絶対に胃洗浄させてやる!
(次あってもらっては困るけど)

命にかかわるような状態ではなさそうだったので
そのまま そこに入院となりました。

2週間入院してました。
医療保護入院と言って 本人が退院したいと言っても
私が許可を出さない限り 退院できません。

本人は仕事のことも気になっているようだし
「もうしない」 (←あてにならない約束ですが)
というので 今回は2週間での退院となりました。


1日の日は 病院で入院手続きだけ済ませて
会社へ戻って仕事しました。

夕方は 病院へ行きませんでした。
1日くらい行かなくたってど~ってことない!
私には私のすることが他にいっぱいある!

振り回されてたまるかー!
と思って がんばりました。

案の定 娘は 飲んだ薬のおかげで?
昏昏と朝まで眠っていたそうです。

そして 何を飲んだかですが
私が薬を隠す前に まとめて飲んでしまっていたらしいです。
そしてその日はゴミの日
私が気づかずに ゴミ出ししてしまったようです。

先生にもしつこく
「飲んでないと思うんですけどねぇ~」と言ってましたが
入院してからしばらくして 本人から聞きました。

そんなこんなで
あれから1ヶ月たつんだね。

まだまだ気が重いことがいっぱいです。

文章が支離滅裂でごめんなさい。

頭が整理できないままかいてます。









。。。

2009年06月02日 | Weblog
ここに娘のことを書いていいものか
しばらく悩んでいました。


本人は知らないもの。
ここに私が吐き出してること。

もし 耳にはいったら わたしどうなるのかな?
なんて 考えていました。

だったら書かなきゃいいんだけど。
それはわかってます。

でもね
私だって吐き出したい~!

  

先日 娘の彼氏と 私が もめた?んですよね。
ひどいこと言われて わんわん 泣きました。

障害のこともちっとも理解してくれてない。
全部わたしのせいだって言われた。
おまえの育て方が悪い 病気に逃げてるとか
俺に指図するなとか。

もう関わりたくないよ~。


===BPDとうまく付き合うために====

病院だけに求めても改善されないこと。
家族だけが頑張っても改善されないこと。
当事者に変わってもらうことは奇跡に近いこと。

大切なのはこの三組が一つになって協力しあい、
それぞれの果たす役割を理解し、
連携して対応して行くことが近道であることが解りました。

家族が出来ることは、助けることではなく、
個々にあった対応法を習得し、協力的な医者&病院を探し、

当事者とほどよい距離を保ちながら関わる秘訣を習得することです。

離れ過ぎたり、近すぎる極端な関わり方や感情的な関わり方は、
自分も当事者も医者も苦しみます。

また、できないならできないで、一貫した方が良い場合があります。
でも何が善いか悪いかは正確な答えは解りません。

=======BPD家族会の掲示板より=======

付き合っていくのなら ちゃんと理解してよって
思う。