まろんのひとりごと

BPDと診断された娘とがんばる 
母さんのひとりごと。。。。
ちょっとだけトンネルの出口が見えてきたかな。

ありがとう

2013年05月28日 | Weblog

 

このブログ更新してないけど

毎日のように訪れて下さる人がいるんだね

 

ありがとう

 

 

 


辛かったケド

2011年06月16日 | Weblog

あとから聞いた話だけど
その彼にはしょっちゅう 暴力を受けてたらしい
その時は私にも相談できなかったんだね。
って言うか 私自身が 娘のことを 好きじゃなかったから
娘もきっとそれを感じてたんだと思う

高校は2年生の時に 勝手に退学届けを出してきてた
それも ある日先生から 学校に来てないんですけど
どうしてますか?と電話があったので 娘を問い詰めた。
だって 毎日学校行ってきま~すと言って出て行ってたのだから…

母子家庭の我が家には定期代や授業料だって
バカにならない金額だ
「お金もったいないやろ!」って私が言ったひとことに
「だったら辞めてきてやるわ!」

高校中退です

昼間寝て 夜遊ぶ生活がはじまった
注意すると 暴言・暴力・破壊(物を壊す)
いつしか「さわらぬ神にたたりなし」 になっていった

働いてもいないのに携帯はじゃんじゃん使う
自宅の電話も2万円とか請求がきてびっくりした
話せばわかる年だけど 娘は「自制」がきかないのだ(こういうのが病気だというのはもっとずっとあとで知る)
ある日 あまりに頭に来て 携帯の 通話をとめた
自宅の電話はNTTに相談したら 着信専用で 発信制限をかけれると言うので
そうしてもらった。
娘が 家の電話が使えない!と言ってきたので「あんたがいっぱい使うから電話代払えなくてとめられた」 と言ったら納得してた

遊ぶお金が欲しいからバイトに行くが喫茶店とかファミレスとかコンビニとか
1週間も続かない。
起きれなくて無断欠勤とかもしょっちゅうあったみたい。
そしてこれもあとから聞いたけど 注文とか受けても覚えられないらしい。
パニックになるんだそうだ。

結局いろんなバイトをして なぜか夜の仕事に落ち着いた
私は母として 世間体も気になったけど
自分で働くと言うことのほうが大事
仕事に行ってくれるだけでも 恩の字だと 開き直った。

店は転々としたけど
夜の仕事はけっこう長いこと続けてた
お店でNO1 になったりしたこともあったらしい。

高校中退から 現在に至るまで
ここには書けないようないろんなことがあった。
書けない内容のほうが ほんとにすさまじい

何度 夜中の病院へ行っただろうか
何度 警察に行っただろうか
何度 警察がうちにきただろうか
何度 殴られただろうか

いくつ モノを壊されただろうか

何度 死んでしまったら楽になるかも と思っただろうか
何度 この子がいなかったら…・と思っただろうか

何度 泣いただろうか
何度 夜の闇に叫ぶ我が娘の声に起こされただろうか


もう私の心はへとへとに疲れてた
疲れきっていた
もう 私には無理 限界
ゆっくり 眠りたい…・
人の話し声 電話の音 救急車の音 パトカーの音 カタっと言う物音
何もかもが 恐怖だった

この間も いろんなことがあり
いろんな人にアドバイスもらったり
私は強くならなくてはいけないと 気づいた
このままじゃいけない…

今度 もし 何かあった時は 絶対に入院させる!
そう心に決めていたある日
その 「今度」がやってきた。
その時がきた時  私はすぐ警察に電話した。
今度こそ、今日こそ、入院させるのだ!と。
心に決めていたけど 揺らぐことがいっぱいあった。
でも 今じゃないと 今 私がしっかりしないと!!!
泣きたいくらい苦しいし辛いのに 涙は出てこない

警察でひとばん過ごし
翌朝 娘は 入院した。
警察の人が一緒に病院へ行ってくれたから だから 私も強くなれた
医療保護入院だ。
この方法しかなった。この日が来るのを待ってた。
先生が入院と言った瞬間 娘は怒りだして「入院なんかせーへんわ!」と
私に助けを求めてきた
でも 私が入院しないとあかんねん!ちゃんと治そう!と言ったので
娘は 私に殴りかかろうとした
先生と看護師さん男性看護師さんもきて 娘は保護されそのまま入院病棟へつれていかれた。
医療保護入院の手続きの説明を聞き 裁判所に行って 手続きした

クリスマスイブの日から2ヶ月 娘は 病院で過ごした。
お正月も毎日 私は 病院へ通った。
病棟の部屋から面会室へ出てくる時と 戻るとき刃物とか持っていないか、
危険なものはないか身体チェックをされる。
最初のころ 二人で面会するのが怖くて(暴力をふるわれるかもと)
看護師さんにそれを言うと
ナースステーションの中にある長椅子で面会させてもらえた。


娘が入院してしばらくは
夜眠れるのが嬉しかった
でも すぐにそれはまた 不安と恐怖へと変わって行った。

娘が退院してきた時のことを考えると怖くてたまらなかった。

先生に 娘と縁を切りたいと 言った
死ぬまで病院においてほしいと言った
先生はそういう方法もありますが縁を切っても 親子は親子だし お母さんのような性格なら
縁を切った(子供を見捨てた)と言う罪悪感に駆られながら一生過ごすことになりますよと言われた…

寒い2月
娘は退院した
しかしまたその 3ヵ月後に 自傷行為をして 自分で救急車を呼び
病院へ逆戻り
その時は 2週間ほどで退院することになった。
このまま病院においておくことが娘のためにならないと、母としての直感を感じたから


それから 2年が経過した

あれから ヒステリックになることはあっても
以前のような大きな騒動にはなっていない
少し自分で感情のコントロールが出来るようになったみたい

いろんなことを話してくれるようにもなった
自分の中に 苦しみや辛いことを抱え込まないで吐き出せるようになったんだと思う。

何がどうなったのか
本当の理由はわからないけど
1回目の入院の時 自分の心を見つめるために気持ちを文字にして書くことをすすめられた娘が
書いた日記を見せてくれた
そこには こう書いてあった
「お母さんに もっと甘えたかった。 淋しかった」と

私はそれをみた時
涙が出て 娘をぎゅっと 抱きしめた
「ごめんね。erikaの気持ちちっともわかってなかった。お母さんもerikaと仲良くしたい。」
はじめて “愛おしい"と 思えた瞬間だったかもしれない

もつれてくしゃくしゃになった赤い糸が この時しゅるしゅるしゅるっと解けて行くのが見えた気がした。

娘と私の赤い糸はもう もつれることはないと思う。

それからだ。娘が変わり始めたのは・・・

自分の居場所がなくて探し求めてたのかもしれない。私に何か言いたかったのかもしれない。それが 叶ったから心が穏やかになったのだろうか

見捨てないでよかった。

死なないでよかった。

死なさないでよかった。

苦しくて辛い12年間だったけど


きっと これから待っているのは
とびきりのしあわせ。娘にも私にも 

しあわせになろう

たくさんの試練を与えてくれて ありがとう

 

あなたのおかげでお母さんは 少し強くなれたよ

 

 


苦しみのはじまり

2011年06月16日 | Weblog

書こう 書こうと思いながら
時間が過ぎてしまいました。
でも こうしてこのブログを書かずに時間が過ぎて行くということは
とても しあわせなことなのかもしれない

それは 娘が 穏やかに過ごせているということ
**************
6月4日  長い通院生活が 終わりました。
できれば 本当にこれが最後になってほしい

先生に「もう(病院に)来ない? 今日で終わりかな?」と
聞かれると「うん」 と言ってました。
ちゃんと 起きて 病院へ行きました。
それだけでも えらい っていうか
変わったなと 思うのです

今まで ずっと 「お母さん一人で行ってきてー」
とか 「起きれない」とか
そのくせ 「薬がないと眠れない」とか…

今の彼は erikaの病気のことと 病院へ行ってること
薬を飲んでたこと 知ってるの?と聞くと
全部話してると言ってました。

「睡眠薬がなくても erikaは眠れるよ!」と言ってくれたそうです。
暗示をかけられたのでしょうかね。
本当に眠れるようになったみたい。
不思議ですね

前の彼が悪いとはいいませんが 相手によって こんなに変われるんです。

今となっては何から書いていいのか(笑)

境界性人格障害を持っている人
またはそのご家族のみなさま
治らない病気かもしれないけど 症状を出なくすることはできると思います。
どうか希望を捨てないで
あきらめないで
負けないで
いつか必ずトンネルから出れる時がくるはず

親が諦めない、見捨てない子は必ず立ち直ります。
大丈夫です。
今が どんなに辛くても苦しくても悲しくても
未来なんてないんじゃないかと思っても
大丈夫です。
きっと 笑える日が来ます。

だから 諦めないで…

 *********
うちの娘のたどった軌跡

小学6年生
原因不明の腹痛や嘔吐。登校困難になる。

先生に迎えにきてもらいなんとか卒業式まで登校。
病院ではストレスが原因では?と言われた。

中学時代
1年生の2学期から 学校へ行けなくなる。
些細な友達とのもめごとだったり 仲良しの友人の転校だったり
原因は些細なことの気がする。
私は認めたくなった。言いたくなかった。「登校拒否」という言葉
自分(私)の中で 悶々とする思い。
でも娘はもっと辛かったのかもしれない。でもその時の私には理解できなかった。
修学旅行に行くつもりで前日学校へ久しぶりに行くと男子生徒に
「おまえ、学校来てないくせに修学旅行だけ行くんか!?」と言われたらしい。
準備してたのに 修学旅行の朝 布団から出てこなかった。
私は 涙が止まらなかった。
修学旅行に行かせてやりたかった…・

3年生最後の体育大会では 応援団をやりたいと言って
少しずつ学校へ行けるようになった。
リレーで走ってた。応援団で声を出してみんなと笑ってる娘を見て
なんともいえない思いがこみ上げてきた。
嬉しかった。

高校へ行かないと言って就職活動しはじめたが
ある日、やっぱり 高校は行っとく!と
定時制高校を受験
しかし ほとんど学校へ行ってなかった娘は 勉強がわからない。。。
私の友達の娘さんで うちのerikaよりひとつ下だけど
優秀な子がいて 勉強を教えにきてくれた。

定時制高校に進学

1年の時 同じクラスの男子と付き合いはじめる
その子の家にいりびたるようになる(その男子はおばあちゃんと住んでた)
夜中に何度も「喧嘩したから迎えに来て・・」と電話がかかってきた

そのたびに私はパジャマ姿で迎えに行った。
この頃から 電話が鳴るのが怖くなった。
ある日曜日の朝 近所に救急車が来て目が覚めた

少しして 自宅の電話が鳴った

警察からだった。
付き合っていた彼氏と喧嘩になり 突き飛ばされて倒れてアスファルトで
頭を強打したらしい…・
呼んでも起きなかったので一緒にいた友達が 救急車を呼んでくれた。

服だけ着替えて病院へ駆けつける

意識はあり レントゲンやCTの結果も異常なく
1泊だけ入院した。

その後 その彼氏とは別れたが病院代をめぐってその男子高校生の父親と若干トラブル。
もうその男子に近づかないという念書まで書かされた。
それって こっちの台詞じゃん…・

つづく


卒業でしょうか

2011年05月03日 | Weblog

先月14日に
久しぶりに精神科に行った娘

先生もオドロキ(笑)

そして先生に
薬がいらない事と
もう通院しないことを告げると先生はさらにオドロキ(笑)

先生「私、(治療は)10年計画くらいの予定だったのよー」

と苦笑い

先生「良くなった理由は何だろう?」と質問されました


娘は、「前の彼氏と別れたからかなー」と言ってました

それは確かに大きな理由のひとつでもあると思うのですが
本当に穏やかになりました

付き合う人が変わるだけで
こんなに 人間って変われるんだ?

娘はもう病院来なくていいー?と
先生に聞くと


先生が、
「私のほうが心配だわー
薬はのまなくてもいいけど 間をあけて もう少し通院しない?(苦笑)心配だから顔見せて」

と言われ

娘はじゃあ 来てもいいよと (笑)いうことで 次は6月の始めに行くことになりました。

 

先生に何度も 「(心が)しんどかったらいつでも来てね。死んだらダメよ。 頑張りすぎないでね」と 言われてました。

あれから3週間ほど過ぎましたが薬は(睡眠薬)のまないですごしています。そして 今は家を出て(3月末から) 彼と一緒に暮らしています。

先日 自転車でふいに帰ってきて「空気入れ貸してー」と(笑)

自転車で行動すること自体 おどろきなんですよ。^^

 

彼が仕事に行ってるからと

その後 何時間か家でまったりしていて、料理本を見たりしてました(変わるもんだ)

 

その日の夕食はお好み焼きだったので うちで食べて帰るという事で

晩ご飯お手伝いするー(驚!!) と楽しそうにキャベツを刻んだり

ネギを刻んだり・・・・・

その時しんさんは 外でバイクをいじってました

キッチンで母娘でお喋りしながらお料理をして

なんとも ほんわりと 温かい空気が流れる 時間

 

こんな日が こんな 早く来るなんて

思ってもいませんでした。

2年前には 想像すらできなかったコト

 

なーーんに特別なことはないけど 平凡な 日曜日の夕方

それが こんなに シアワセなことなのか。。。。

嬉しくてたまりませんでした

 

 

ただ 私は いまだに 救急車やパトカーの音を聞くと

胸が締め付けられるような思いになります

なんとも言えず不安になります

 

 

でも  

きっと    

 

たぶん

もう

BPDとの闘い  卒業でしょうか

 

娘の 誕生日に 行きつけの美容院から届いた ハガキ

きっと 幸せになれるよね

これから・・・

 

24歳になりました。 

 


雨のち晴れ

2011年04月12日 | Weblog

4月14日
長女の通院予定の日

何回目だろうか

娘にそれを告げると
「お母さん、もう薬要らないよ☆
今も飲んでいないし」

薬と言っても今は睡眠薬だけです

娘は3月の終わりに家を出て彼と同棲をはじめました
彼と言ってもあの時の彼ではありません

あたらしくお付き合いをはじめた人
娘とは歳もかなり離れています

付き合う相手によって
こんなにも変わるのか

以前我が家にいた時の娘の部屋は
ゴミ屋敷でした

新しい住まいをちょっと覗いてみましたが
嘘みたいに綺麗にしてありました

洗濯や料理もやってるみたい

そして性格が穏やかになったよう。。。。
仕事をやめてしまったのは少し残念に思うけど
昼夜逆転生活は直りつつあるみたい

専業主婦もどき(笑)ガンバっているようだ

14日が待ちどおしい母です





もうすぐ1年半

2010年10月28日 | Weblog
久しぶりのブログ更新です。

自殺騒動の入院から
1年ともうすぐ半年。


相変わらずの通院は続いていますが、ここ数ヶ月は
本人は病院に行ってません(笑)

私だけ行ってお薬をもらってくると言う状態。


安定しているからいいんですがね。


少しずつ、自分のこころを整理したり 見つめたりできるようになってきたんでしょうか、
たまに落ち込んだり仕事休んだりしてる時もあって
心配になりますが
なんとか自分で乗り越えるすべがわかってきたみたいなかんじ?


このまま 穏やかな日々が過ぎますように
ただ祈るばかり。


今日、久しぶりにBPDの家族会のサイトをのぞいて、ふとブログを書きたくなりました。

家族会には今は参加してないけど、NHKで取り上げられたみたいです。

皆さんの娘さんたちにも穏やかな日々がやってきますように
お祈りしています。

『辛い もう少しで 幸せ』

おはよ

2010年08月26日 | Weblog
おはようございます。

今日は何回目の通院日だろうか。
娘はまた不在のわたしだけの通院になりました。
今朝は起きたらテーブルの上に娘からの手紙がありました。

たぶん起きれないと思うので、
先生に手紙を書いたから渡してって。

部屋に保険証を取りに行ったらベッドで携帯を眺めぼんやり起きているみたいだったから
病院行く!?と聞いたけど 行かないとのこと。

ふぅ(´ヘ`;) (笑)

まぁいっか。

ひとりで病院に向かいました。
いま待ち時間を利用して久しぶりにこのブログを見たら
たくさんの方が訪問してくださってるんですね。

びっくりしました。

ぜんぜん更新してないのに。
ありがとうございます。

きっと何か情報を探して
検索キーワードで病気のことが引っかかったりするのかな。

最近はあまりお役に立てる情報もなくて、ごめんなさい。

だけど、境界性人格障害は治る!と言うこと。

正確に言うと治ると言うより
症状が出なくなるって言い方が正しいかもしれませんね。

大丈夫。
あきらめないで。

親が見捨てない子供はきっと立ち直れます。

病院へ向かう途中
青空がキレイでもくもく入道雲があまりにキレイだったから
携帯で写真撮ってみた。

やっぱり携帯はいまいち?(笑)

病院の待合室
ちょっと暑い

体調がまだ完全によくなってないからか
へんな汗がでるし、頭がくらくら。

ふー。(笑) はやく終われ。
今日は長そうだ。

元の木阿弥(笑)

2010年06月23日 | Weblog
あの彼と別れた長女でしたが、

結局 元の木阿弥 …

また戻ってしまいました。


先日も夜中に 大声で喧嘩してましたねー。

なるようにしかならん!ね。

考えんとこ。

23歳

2010年04月28日 | Weblog
先日 長女が23歳になりました!
出かけるからケーキはいらなーいと言ってましたが、私も食べたかったし(笑)
ショートケーキでささやかなお祝い。


去年の救急車入院騒動から
もうすぐ1年です。

平和に穏やかに時が流れています。
実は 娘は最近 あの彼と別れたそうです。

ずいぶん晴れやかな顔をしていました。
彼の呪縛から解き放たれたんでしょうか‥

新しい彼もできて
なんだかずいぶん変わったみたいな気がします。
(新しい彼、まぁそれはそれでいろいろあるんですが(笑))

でも、まあ、病院の先生がおっしゃってたような展開、
私もそういうのを望んでいたので これは進歩なのかも。

そして良い人(会ったことはないがそう思いたい)と出会えたと言うことは、
娘が成長したと言うことなのかもしれません。

今は 暖かく見守るだけです。

なんだか、娘はのびのびしてます(笑)
付き合う相手でこんなに変わるんですね。

穏やかな日々でありますように☆

発達障害 つづき

2010年03月11日 | Weblog
精神科医からは 産まれた時の仮死状態のそれと
発達障害は関係ないと言われ
なんとも複雑な気持ちです。


原因はどうあれ
これってどうなのかな?と思うことがたくさんあります。

発達障害の定義をハッキリ知らないので、
以下の内容が発達障害と言うことではありませんのでご理解くださいね。

私が個人的に(娘はおかしいのかな?と)
感じたので書いておきます。

まず
部屋が片付けられない。
脱いだ服は脱ぎっぱなし。
使ったものが直せない。
ゴミを捨てない。(捨てられない?)
コタツとか電気とかつけっぱなしのことが多い。
むやみやたらに食料品を買い込んでくる。
そして賞味期限切れで捨てる。
買ってくる量がハンパない!
(これは彼氏がまとめて買っておけ!と言うかららしい)

躾の問題とかそんな感じでもなさそう。と私は思うんですが…

パーソナリティ障害と診断されている方には
うちの娘と同じような方がたくさんいらっしゃるような気がします。
掲示板や家族会で感じました。

話がうまくまとまりませんが
以前、娘はコンビニや喫茶店でバイトしたことがあるんですが
1週間と続きませんでした。


ある時、ふとその話題になった時に娘が言ったこと。

注文とか聞いても覚えられへんくて、
パニックになってしまうねん

と。

ああ、それが原因で続けられなかったんだなぁ。
てっきり私は人間関係とか 何かやらかしたのかな?と思っていたので
ある意味それを聞いて安心したのでした。

と、同時に
やっぱりどこか発達障害があって 普通の人とは違うのかな。
私たちが当たり前にできることができないって そういうことが理由なのかな?
などと思ったのでした。

ほんとのところはわかりません。
パーソナリティ障害の人はアスペルガー症候群とかも併せ持っている場合が多いと
以前聞いたり読んだりしたことがあるので ずっと心に引っかかっています。

小さい頃からいろいろあった娘なので…。
やっぱりそうなのかな?と言う思いが拭えないでいます。

この日記を書いてから
久しぶりに 家族会でお世話になった
bpd家族会のジオログを覗いたら

なんと!タイミングよく
似たような内容が 書かれてました。

こちらのほうがわかりやすいですね。
bpd 家族会ジオログ

そうそう うちの娘もそんな感じです。

でも因果関係とか
原因とか
まだまだ わからないことだらけなんでしょうねー。

うちの娘は 今のところ 穏やかに過ごしています。

そして私は睡眠薬を飲まないで寝るようになって
ずいぶん経ったような気がします・・・・。