まろんのひとりごと

BPDと診断された娘とがんばる 
母さんのひとりごと。。。。
ちょっとだけトンネルの出口が見えてきたかな。

苦しみのはじまり

2011年06月16日 | Weblog

書こう 書こうと思いながら
時間が過ぎてしまいました。
でも こうしてこのブログを書かずに時間が過ぎて行くということは
とても しあわせなことなのかもしれない

それは 娘が 穏やかに過ごせているということ
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6月4日  長い通院生活が 終わりました。
できれば 本当にこれが最後になってほしい

先生に「もう(病院に)来ない? 今日で終わりかな?」と
聞かれると「うん」 と言ってました。
ちゃんと 起きて 病院へ行きました。
それだけでも えらい っていうか
変わったなと 思うのです

今まで ずっと 「お母さん一人で行ってきてー」
とか 「起きれない」とか
そのくせ 「薬がないと眠れない」とか…

今の彼は erikaの病気のことと 病院へ行ってること
薬を飲んでたこと 知ってるの?と聞くと
全部話してると言ってました。

「睡眠薬がなくても erikaは眠れるよ!」と言ってくれたそうです。
暗示をかけられたのでしょうかね。
本当に眠れるようになったみたい。
不思議ですね

前の彼が悪いとはいいませんが 相手によって こんなに変われるんです。

今となっては何から書いていいのか(笑)

境界性人格障害を持っている人
またはそのご家族のみなさま
治らない病気かもしれないけど 症状を出なくすることはできると思います。
どうか希望を捨てないで
あきらめないで
負けないで
いつか必ずトンネルから出れる時がくるはず

親が諦めない、見捨てない子は必ず立ち直ります。
大丈夫です。
今が どんなに辛くても苦しくても悲しくても
未来なんてないんじゃないかと思っても
大丈夫です。
きっと 笑える日が来ます。

だから 諦めないで…

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うちの娘のたどった軌跡

小学6年生
原因不明の腹痛や嘔吐。登校困難になる。

先生に迎えにきてもらいなんとか卒業式まで登校。
病院ではストレスが原因では?と言われた。

中学時代
1年生の2学期から 学校へ行けなくなる。
些細な友達とのもめごとだったり 仲良しの友人の転校だったり
原因は些細なことの気がする。
私は認めたくなった。言いたくなかった。「登校拒否」という言葉
自分(私)の中で 悶々とする思い。
でも娘はもっと辛かったのかもしれない。でもその時の私には理解できなかった。
修学旅行に行くつもりで前日学校へ久しぶりに行くと男子生徒に
「おまえ、学校来てないくせに修学旅行だけ行くんか!?」と言われたらしい。
準備してたのに 修学旅行の朝 布団から出てこなかった。
私は 涙が止まらなかった。
修学旅行に行かせてやりたかった…・

3年生最後の体育大会では 応援団をやりたいと言って
少しずつ学校へ行けるようになった。
リレーで走ってた。応援団で声を出してみんなと笑ってる娘を見て
なんともいえない思いがこみ上げてきた。
嬉しかった。

高校へ行かないと言って就職活動しはじめたが
ある日、やっぱり 高校は行っとく!と
定時制高校を受験
しかし ほとんど学校へ行ってなかった娘は 勉強がわからない。。。
私の友達の娘さんで うちのerikaよりひとつ下だけど
優秀な子がいて 勉強を教えにきてくれた。

定時制高校に進学

1年の時 同じクラスの男子と付き合いはじめる
その子の家にいりびたるようになる(その男子はおばあちゃんと住んでた)
夜中に何度も「喧嘩したから迎えに来て・・」と電話がかかってきた

そのたびに私はパジャマ姿で迎えに行った。
この頃から 電話が鳴るのが怖くなった。
ある日曜日の朝 近所に救急車が来て目が覚めた

少しして 自宅の電話が鳴った

警察からだった。
付き合っていた彼氏と喧嘩になり 突き飛ばされて倒れてアスファルトで
頭を強打したらしい…・
呼んでも起きなかったので一緒にいた友達が 救急車を呼んでくれた。

服だけ着替えて病院へ駆けつける

意識はあり レントゲンやCTの結果も異常なく
1泊だけ入院した。

その後 その彼氏とは別れたが病院代をめぐってその男子高校生の父親と若干トラブル。
もうその男子に近づかないという念書まで書かされた。
それって こっちの台詞じゃん…・

つづく


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