2008年の1月、私は色々なことを忘れたく、急に旅に出ました。目的地を特に決めず、南の方に向かう列車に乗ろうと、上海駅に向かいました。ところが、春節を控えていたためか、当日発の切符はほとんどが売り切れていました。なぜかたくさん余っていたのが黄山行の切符でした。私は当時、地理の知識に乏しく、黄山は上海より南の暖かい所にあると思っていました。南に向かうつもりで、冬の割には薄着でしたが、そのまま勢いで黄山行の夜行列車に乗りました。
早朝、黄山駅に到着すると、黄山行の小型バスに乗り換えました。この時期の観光客は少なく、車内はタバコを吸う現地の人たちで占められていました。高速道路を通過すると、すぐにバスを降ろされてしまいましたが、黄山の方角などさっぱり見当もつきませんでした。意外な寒さに凍えていた私は、客引きをしていた宿の女将さんに連れられるまま、近くの宿に宿泊しました。午後の時間が丸々あまっていたので、日帰りツアーに参加しました。映画「グリーン・デスティニー」のロケ地などを巡っていると、小雪がぱらつき始めました。ここまでの展開は、少林寺を訪れた時と全く同じでした。
寒さで全身をこわばらせ、旅を楽しむ余裕もないまま、私は早々に宿に引き上げてきました。室内のエアコンをつけても全然あたたまらず、宿の人に布団を余計に出してもらい、かろうじて暖かさを感じることができました。私はようやく指先が柔らかくなってきたので、この部屋で小説の翻訳を続けました。あの頃の私は、どんな環境にあっても勉強を忘れられない、熱心な学生でした。
二日目も、面倒なので再びツアーに申し込み、中国各地から黄山を訪れたご老人たちと見学に行きました。旅行シーズンは人でごった返し、転落する人もいるという黄山も、冬は真っ白な雪をかぶった雪山に変わっていました。頂上付近までのぼるロープウェイは値段が高めでしたが、景色が素晴らしいと聞いていたので、乗ってみることにしました。
これらの写真を今見ると、さすが絶景だなと感じるのですが、当時は寒さが頭の中を占めていたため、景色を楽しむ余裕などありませんでした。生命の危険が迫っている時に、優雅な気分になど浸れるものではないことを、今回の旅でも再確認させられました。
吹雪の頂上からは、長い階段を下り、ふもとに戻りました。この石段がやたらと長く、ゆっくり下りていくうちに、体が徐々にぽかぽかと温まってきました。久しぶりに指先の感覚が戻り、石段を下る足の指先まで血が巡る心地良さを覚えました。黄山を一日で見終わってしまったため、私は宿に戻ると翌日からの旅行計画を練り直しました。宿の人に聞くと、ここからバスで乗った先に、安徽省の古い街並みが残る「古鎮」があるとのことでした。私は寒くて早く上海の留学生寮に帰りたかったのですが、せっかく来たのでもう少し粘ることにしました。(続く)
早朝、黄山駅に到着すると、黄山行の小型バスに乗り換えました。この時期の観光客は少なく、車内はタバコを吸う現地の人たちで占められていました。高速道路を通過すると、すぐにバスを降ろされてしまいましたが、黄山の方角などさっぱり見当もつきませんでした。意外な寒さに凍えていた私は、客引きをしていた宿の女将さんに連れられるまま、近くの宿に宿泊しました。午後の時間が丸々あまっていたので、日帰りツアーに参加しました。映画「グリーン・デスティニー」のロケ地などを巡っていると、小雪がぱらつき始めました。ここまでの展開は、少林寺を訪れた時と全く同じでした。
寒さで全身をこわばらせ、旅を楽しむ余裕もないまま、私は早々に宿に引き上げてきました。室内のエアコンをつけても全然あたたまらず、宿の人に布団を余計に出してもらい、かろうじて暖かさを感じることができました。私はようやく指先が柔らかくなってきたので、この部屋で小説の翻訳を続けました。あの頃の私は、どんな環境にあっても勉強を忘れられない、熱心な学生でした。
二日目も、面倒なので再びツアーに申し込み、中国各地から黄山を訪れたご老人たちと見学に行きました。旅行シーズンは人でごった返し、転落する人もいるという黄山も、冬は真っ白な雪をかぶった雪山に変わっていました。頂上付近までのぼるロープウェイは値段が高めでしたが、景色が素晴らしいと聞いていたので、乗ってみることにしました。
これらの写真を今見ると、さすが絶景だなと感じるのですが、当時は寒さが頭の中を占めていたため、景色を楽しむ余裕などありませんでした。生命の危険が迫っている時に、優雅な気分になど浸れるものではないことを、今回の旅でも再確認させられました。
吹雪の頂上からは、長い階段を下り、ふもとに戻りました。この石段がやたらと長く、ゆっくり下りていくうちに、体が徐々にぽかぽかと温まってきました。久しぶりに指先の感覚が戻り、石段を下る足の指先まで血が巡る心地良さを覚えました。黄山を一日で見終わってしまったため、私は宿に戻ると翌日からの旅行計画を練り直しました。宿の人に聞くと、ここからバスで乗った先に、安徽省の古い街並みが残る「古鎮」があるとのことでした。私は寒くて早く上海の留学生寮に帰りたかったのですが、せっかく来たのでもう少し粘ることにしました。(続く)