中国で見つけた珍しい???

中国在住の管理人が、中国で見つけた珍しいものを紹介していきます。

隕石が尖閣に落ちればよかったは、言論の自由?

2013年03月17日 08時26分58秒 | 日記
 ずいぶん前のことになりましたが、中国人専門家の宋文洲氏が日テレのバンキシャに生出演した際に、「隕石が尖閣に落ちればよかった」という発言をしました。これに関する本人の弁明は、この記事に詳しいです。

 この人の主張をまとめると、

(1)「地球は非常に脆弱なもので、巨大地震も発生すれば、予測不可能な隕石も落下する。人類は細かいことでもめている場合ではない」と前置き、「隕石が尖閣諸島に落ちてくれないかと思った。なくなればトラブルもなくなるから」

(2)この発言に視聴者からの抗議が殺到。「私は例え話をしたに過ぎず、その目的はトラブルがなくなって両国が友好を保つことであり、尖閣諸島をなくしてしまえということではない。私の立場は中立であり、中国に偏っていることもない」のに。

(3)日本社会では法律上、言論の自由が認められているが、日本人は自身の発言に対して非常に慎重である。多くの人が自分の意見をはっきり言わず、政府や主要メディアの声、いわゆる主流の意見を待っている。今回、私の発言が議論を呼んだことは、日本の世論が事実上、尖閣諸島問題に関する自由な言論を押さえつけている結果である。

 いろいろと突っ込みどころが満載ですね。そもそも隕石と尖閣を結びつけることに無理があります。私は番組を見たわけではありませんが、記事によるとロシアの隕石に関するコメントを求められた時に、(1)の発言をしたようです。この人は前置きをし、隕石が尖閣に落ちればと言ったわけですが、そもそも前置きと尖閣の間に特別なつながりは認められません。おそらくこの人は「隕石が尖閣に」という閃きを得て、その発言を導き出すために、無理のある前置きを口にしたのではないでしょうか。その結果、全然ウケなかったわけですが。

 (2)も苦しい言い訳です。隕石が尖閣に落ち、なくなればトラブルもなくなると発言しておきながら、尖閣諸島をなくしてしまえということではないという言い分。目的はトラブルがなくなり、両国が友好を保つことと言い訳していますが、尖閣が隕石によってなくならないならば、どのような解決手段があるのでしょうか。それについて特に発言がなかったことからも、このいわゆる目的とは後付のものと見られてもいたしかたありません。それから立場は中立だと言っていますが、この発言が中国側から支持を得るかについても疑問です。中立=理性的な発言、とでも言いたいのでしょう。

 (3)では、日本人は自身の発言に対して非常に慎重だと言っていますが、自分がうっかり口を滑らせたことを白状しているかのようです。自由な発言と、無責任な発言はまったく異なっています。そもそもこの人物は、自由の意味を履き違えているように思えます。人間の自由というものは、自らの行いと発言に対する責任を大前提とするものであり、本能の赴くままに何でもやっていいのだという、動物の自由とは一線を画しています。

 これは私たち日本人であれば、教師や校則に対する反抗から、遅くとも中学生頃には自覚し始めることです。そんな自由や権利ばかりを主張する青少年のために、学校側も人間の自由の意義について教育します。中国ではそんなこと、一切やりませんからね。生徒なんか小学1年生の頃から体罰で抑えつけ、教科書の知識を脳内に詰め込めるだけ詰め込み、後は生徒の保護者が「子供への体罰をやめてくれ」とワイロを持ってくるのを待つだけです。中国の多くの学生(反抗的、というか自らの意志を留めている学生)が自由を意識し始めるのは、ようやく大学生になってからです。このぐらいの感じにくい年齢になってからでは、もう遅すぎるのです。自由というのは、党の方針に逆らう、もしくは自分を堕落に陥れる危険思想である。あのアメリカも中国に自由を押し付けようとしているではないか。こんな認識がいつの間にか形成され、外国人が「自由」と口にしただけでも、反感が生まれるほどです。

 こんなふうに大きくなった中国人が、「自由」な外国に行ってハメを外したと想像してください。動物的な自由しか知らない彼らが、海外で勝手な振る舞いをして批判された結果、「この国は自由なはずなのに、私を全員一致で馬鹿にした。都合のいい時ばかり中国を不自由な国となじるくせに、自分の国に不自由な一面が存在することを直視しようとしない」など屁理屈をこねるでしょう。根本的な思い違いなのですが、その根本が教育されていないのだから、あまり一方的に彼らを責めることもできないかもしれませんが。

中国は火鍋の国?

2013年03月12日 09時04分04秒 | 日記
 中国人も外国人も、中国やいわゆる中華民族を、食べ物の火鍋によく例えます。いろんな民族が一つの鍋の中で和気あいあいとし、美味しい絶妙のハーモニーを奏でているというわけです。

 私も中国という国は火鍋で例えることができると思いますが、上述したような通説とは考え方がだいぶ違っています。

 火鍋とは、肉・魚・野菜・豆製品など様々な食材を一つの鍋(鴛鴦鍋のように、ベースが二つに分けられているものもあり)に入れ、後は煮ながら食べるという簡単かつ美味しい料理です。日本の鍋のように長時間ぐつぐつ煮込むことはなく、強い火で茹でる感覚です。火鍋は大勢で食べるほうが、色々な食材を選べるので便利です。また辛い火鍋は体がほてり、酒もすすむので、親睦を深めることができます。

 それではなぜ一つの鍋に、味がまったく異なる様々な食材をごちゃ混ぜにしても、美味しい火鍋になるのでしょうか。日本のように醤油ダシをベースにした鍋ならば、これは不可能なことです。そう、秘密は例の辛いスープにあります。

 実際に食べたことがある方ならばご存知でしょうが、本場の火鍋のスープは日本語の激辛なんてレベルではありません。唐辛子や舌を麻痺させる山椒、それから私たちの知らないようなスパイスを大量に使います。出来上がったスープは、もちろんそのまま飲めるような代物ではありません。この刺激的かつ強い味は、すべての食材の味を凌駕し、力技で統一させることができます。その鍋に入れられた食材はその種類を問わず、紅色に変わらざるを得ません。

 ここでは食材を各民族に、超激辛の紅色のスープを党に例えています。火鍋は、中国の現体制の縮図です。

 ところが、中には紅色のスープよりも、スパイスの入っていない「清湯」の方が美味しく食べられる食材もあります。これらの食材のためには、別に一区画割いてやった方が効果的です。いわゆる「一国両制」というやつです。

 紅色のスープの中でも、自分の味を出したいと主張する声があります。それを実現するためには、紅色のスープを取っ払うか、鉄の壁を飛び越え別の場所に移るしかありません。仮に紅色のスープをやっつけた場合、力技の統一感がたちまち失われ、各自がそれぞれの主張をする混乱期を迎えるでしょう。これは現体制の維持、もしくは人々が自らの主張を避けるための拠り所になっています。

 中国は大陸ですので、海により国境を隔てることはできません。「鴛鴦鍋」のような鉄の壁がないわけです。人々が紅色のスープと鉄の壁を必要としなくなった時代に、平和が訪れるのかもしれません。

中国の子育てについて(3)【中国引き上げを検討】

2013年03月10日 09時21分33秒 | 日記
 中国の子育てについて(1)では、中国で子育てをするメリットを中心に書きました。今回はデメリットについて触れて行きたいと思います。

 中国は子供の健全な成長に適した国ではありません。日本のメディアでもよく報じられているようですが、昨今は深刻な大気汚染により、健康被害が注目されています。これも放射能汚染と同じで、将来的にどのような影響が出るかは専門家でも断言できないところです。しかも放射能汚染の場合、直ちに深刻な被害が出るとは限りませんが、中国の大気汚染は目や喉の痛みといった即効性があります。北京や上海の駐在員の多くが、帰国を検討しているほどです。フリーランスの翻訳家という、勤務先を選ばない自由業を選択した私が、子供の健康を犠牲にしてまで中国に留まる理由はありません。

 子供の危険は大気汚染ばかりではありません。中国では幼稚園や小学校の送り迎えに保護者が付き添うのが一般的ですが、それは人さらいが多いからです。中国人ならば、親戚や知り合いが人さらいにあっていることが珍しくありません。私の妻の従姉妹も誘拐され、その後逃走したことがあるそうです。また妻の実家では、中学生の女子が誘拐され、臓器を売られたなんて話もあります。

 大気汚染でも死なずに生きていけるかもしれませんし、人さらいにあう確率だって相対的に見れば低いかもしれませんが、教育問題は避けては通れません。まず、私の子供を小学校に上がらせようとするならば、日本人学校もしくは中国の普通の学校という二つの選択肢があります。

 日本人学校の場合、上海では都心部にあります。私は日曜日、その日本人学校の隣のビルで格闘技の練習をしており、周辺環境をよく知っています。家賃は日本の都心部に相当し、しかも駐在員向けの住宅ばかりなので、適度な大きさの部屋が見つかりません。日本の地方都市に住んだほうが安上がりなほどです。かと言って少し離れた場所に住んだ場合、子供の送り迎えが大変です。さらに反日デモなどが生じた場合、攻撃の対象にされやすい場所でもあります。

 中国人の学校に通う場合、私の息子は四川省の戸籍のため、上海の学校には上がれません。田舎の学校は教育水準が低く、空気も汚く、望ましくありません。それにどの中国人学校に通うとしても、極度の詰め込み教育、言うことを聞かない生徒への一方的な体罰、体罰を止めてもらうためにワイロが必要など、日本の教育問題がかわいく思えるほどひどい状態です。私の妻の従兄弟は中学生ですが、朝7時過ぎに家を出て、帰ってくるのは夜の7時過ぎです。部活動などをやっているわけではなく、ひたすら勉強です。クラスは60人もいるそうです。さらに高校に上がった場合、生徒は基本的に学校に住み込みになります。学生寮は大部屋に10-20人の相部屋、夜は鼠が出る、就寝時間以降に見回りが来る、勝手に学校の門外に出てはならない、とにかく勉強勉強また勉強と、囚人顔負けの生活です。ここまで苦労して大学に上がっても、知識はあるが自分で考えることのできないガリ勉君が誕生するだけです。

 私は自分の意思で子供を作った以上、子供の生活、将来に対して責任を負わなければなりません。私は無能で稼ぎが少ないですが、できる範囲内で子供に一番良い環境を整えてやるべきです。私のように考える人が多いためか、中国引き上げを検討中の外国人が増えているとか。単身赴任ならともかく、家族がいるならば即刻帰国すべきでしょう。

中国四川省のお祭り「火龍節」(2)

2013年03月07日 09時14分14秒 | 日記
 前回紹介した「火龍節」の夜の部を紹介します。

 鼓笛隊の行進が終わると、会場周辺では夜の部の準備が始まりました。



 この石炭は、虫取り網のようなものの中に入れてグルグル回すと、火花を散らします。





 鉄を溶かして、ドロドロの液状にします。



 火龍の登場です。これからこの通りで、舞を披露しますが……



 花火やさっきの石炭を思い切りぶっかけます。みんな裸ですが、麦わら帽子をかぶっています。頭は火がつくと危ないのでしょう。



 さっきの溶かした鉄です。まず一人がドラム缶の中から出てきた液状の鉄をポイと放り投げ、もう一人がシャベルでそれを打ちます。野球のノックに似た感覚で、両者の息が合っていないと火花が上手く散らばりません。この火花は、通りの両脇で見ている観客の方にも飛んでいきます。それが面白いのでしょう。私はこの通りの三階で見物していましたが、窓ガラスに火花が何度もぶつかりました。



 これを約2時間、延々と続けます。賑やかで大変結構ですが、火事だけには気をつけて欲しいですね。そういえば、消防車が出動していました。