
前回秦野市をまわった時気になった酒造店がありました。正月なんで閉店は致
し方なかったんですが、もう一度訪ねました。気になるお酒がFBにアップされて
いたので是非購入しようと思った次第です。ネーミングが丹沢の山の名前で
”塔ノ岳””ヤビツ峠”です。昔よく登山したところで懐かしく買いました。そして
写真左端のお酒はモーツアルトを聴かせて醸造、育てたお酒です。これはどんな
味がするのかと思い購入、で禁酒だったことを忘れて買ってしまった次第、飾っ
ておきます。だれか客がくれば呑んでもらいましょう。
酒造店の前にありました。大釜です。
そして例の水無川を通って歩き始めました。やはり水は流れていません
でした。
八幡神社、「はちまんじんじゃ」です。「ヤハタ」と読めます。そう、ハタです。
秦氏のハタです。大昔秦氏が九州に上陸したころから、秦氏の氏神様でした。
八つのハタから八幡神社となったのかもしれません。当神社の由緒は別として、
たいがい創建は不詳とあります。ここ秦野市、伊勢原市あたりで8件くらいの八幡
神社があります。やはり秦氏の神様ですね。
秦氏のハタです。大昔秦氏が九州に上陸したころから、秦氏の氏神様でした。
八つのハタから八幡神社となったのかもしれません。当神社の由緒は別として、
たいがい創建は不詳とあります。ここ秦野市、伊勢原市あたりで8件くらいの八幡
神社があります。やはり秦氏の神様ですね。



次は前に気になった実朝の首塚をお守りしているお寺があるはずと歩き始めま
す。ふと後ろを振り返ると雄大な富士が・・・。

そして金剛寺へ、やはりありました。

下記の理由で鎌倉より持ってきたことが記されています。それを命じられたの
が波多野氏です。

これはお寺にあった像?意味わかりませんでした。

本堂です。

お参りをして次なるは波多野氏の城址を目指しました。振り返れば田園と箱根
の山の向こうに富士、素敵なところです。老後はこんなとこで暮らしてみたいも
のですね。あっ、小生もう老後でした。


ありました、波多野城址、ここでびっくり。てっきり秦氏の末裔と思いきや、
藤原秀郷の末裔とな。これは藤原北家魚名流、湯浅の先祖ではないか。結局は
実朝の首を鎌倉からここに持ってきたのは我が先祖ということになります。
では秦氏は?ひょっとしたら波多野氏の夫人系が秦氏かもしれません。
驚きと少しがっかりでした。秦氏の痕跡を求めるウォーキングだったので。
当然自撮りばっちり。帽子はいつもホタテ貝、カミーノのマークです。

バックは大山です。いいところです。

帰り道地図にあった名古木の棚田を見学に、小さな棚田でした。そうそう3月
には熊野古道伊勢路の丸山千枚田から熊野本宮へ歩きます。


秦野駅まで戻りながら、ふと伊勢原市はやはり伊勢氏か伊勢の人たちが多いの
だろうかと思い、地図に伊勢原大神宮とあったのでちょっと寄ってみることにし
ました。
伊勢原の街は比較的新しい。江戸時代の初めのようです。

これは伊勢原大神宮境内にありました。日が暮れてまいりました。そうそうに
退散しましょう。

伊勢原大神宮です。内宮と外宮に分かれています。どうやら伊勢の国の人、
山田曾右衛門と鎌倉の人、湯浅清左衛門が大山参詣の途中、この当たりの土地が
開墾可能と悟り許可を得て開墾、伊勢の山田氏が新しい開拓地の鎮守として伊勢
の神宮の神様を勧請、奉祭、そして創建。名を伊勢原神宮と・・。それからこの
あたりを伊勢原と呼ぶようになったようです。比較的新しいまちでした。
ただ鎌倉の湯浅清左衛門にはびっくり。彼は何もの?調べてみよう。

右が外宮、左が内宮です。


これは実朝首塚のそばにあった休憩所で食べた昼飯。天ぷらに海老魚系なく
精進料理のようでしたが古代米もついておいしかった。

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