詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

意欲・表現・共感

2022-08-26 12:00:31 | 千駄記

神代桜。

 

 

8/26(金)曇

 

どんよりと暑い気候が続きます。

スカッとしないのね。

 

琵琶湖に鳥居が立つ光景が「映える」有名な撮影スポットのこと。

鳥居のある湖岸と駐車場のある神社の間を通る国道を

無謀に横断する人が後を断たないと、モーニングショーで見た。

湖岸で日の出を撮影し、車に戻るために、三脚を持って

横断していた79歳の方が死亡する事故も起きているとのこと。

「映える」写真を撮りたい人はスマホからインスタへという意欲。

横断中に亡くなった人は写真コンテスト入選へという意欲かな。

一番お気の毒なのは79歳の方を轢いてしまった運転手。

 

私もカメラ好きですが、そもそもなんで写したいのかね?

と、自問することはあります。

「良い写真」を撮ろうとして必死な自分が可笑しいこともある。

インスタで共感を得たいわけでもないし、

コンテストへ応募したいわけでもなく。

 

それは短歌も同じで、なんで必死に57577で表現しようと

苦しんでいるのか?って思うこともある。

 

写真も短歌も共通するのは「表現」だということです。

なにをなんのために表現したいんだろう?って考えると

いま生きていることを自分のために表現したいのだな

と、思う。

安っぽく、大袈裟に言えば「生きている証を残したい」

ってことなんだなー。

 

自分のためとはいえ、表現するからには共感を得たい。

共感を得るために、良い写真を撮りたい、良い短歌を作りたい

という、これはもう表現者の本能ですね。

つまり、自分を認めてもらいたいってことなのですよ。

 

おしまい。

 

 

 

 


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