ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ メルマガ発行10年目と秩父34所観音巡礼を終えて考えたこと!!

2010-05-05 16:48:17 | Weblog

 2001年5月5日に第1号のメルマガを発行して、今日で10年目を迎えました。今回
のメルマガが318号ですから9年間で317号を発行した計算になるので、年平均35号
を発行したことになります。よくもまぁここまで続けられたと自分でも驚いています。

 何事もこつこつと積み重ねると、ある時に形としてまとまるものだと思います。過去発行
したメルマガの中で自分でも内容的に気に入っているものがある程度ありますので、時期が
来たら内容を再度精査し、まとまった形の本にでもしようと思いながら今日まで来てしまい
ました。しかしある程度の年齢に達したし、そろそろ本当に実行に移さないと未完成のまま
終わってしまうのではないかと危惧しています。

 過去9年間の内容を振り返って感じることは、根本的な考え方に変わりはありませんが、
物事の見方というか視点が変化してきたと思います。昔はどちらかというと自分勝手なもの
でしたが、現在は人生の終着点がおぼろげに見えてきた年齢に達したこともあり、普遍的な
よりどころに立って意思決定する動きとなってきています。現在の大きな支えが仏教である
ことは間違いない事実です。

 それまでは、自分自身が哲学だなどと生意気なことを考えていましたが、仏教を少しずつ
学ぶことを通じて物事に対して偏ったり、拘ったり、囚われたりしないことが重要であるこ
とに気づくと、生きること自体に感謝する気持ちが自ずと出てくるようになりました。

 人間が住む世界にはいろいろな宗教がありますが、仏教ほど広い考え方で対応するものは
ないと思います。数年前までは宗教に興味を持たない人間でしたが、いまやひたすら仏教を
よりどころとして生きているだけでなく、4月下旬の日曜日に秩父34所観音巡礼を全て終
えました。

 昨年の10月から巡礼を始めてから半年の間に8回秩父を訪れ、延べ100kmの巡礼古
道を歩きました。室町時代以降にどれだけの人が、自分が歩いている同じ巡礼古道を歩きな
がら何を思ったのかを考えると、一挙に自分が室町時代や江戸時代にタイムスリップしたよ
うな感覚に陥りました。

 また、ある時は田圃の畦道をまたある時は国道を、そしてまたあるときは江戸時代の巡礼
古道で熊が出ると言われた沢沿いの山道やアップダウンの厳しい修行道のような山道を歩き
ました。

 特に山道では誰にも会うことなく独りでただひたすら歩きました。「同行二人」とはこの
ことだと思います。俗世間から遮断されたこれらの巡礼古道を歩きながら思ったことは、何
事も精一杯取り組んだあとは、祈ることを通じて自分を信じることしかなく、またそのこと
が非常に重要であることに気づきました。

 愚妻に作ってもらった握り飯を頬張りながら、ポットに入れた暖かいほうじ茶を飲むとき
のあの美味しさは、どんな高級料理にも勝るものです。贅沢で余分なものをすべて削ぎ落と
したシンプルであるがゆえの純粋な美しさとして、表現できるのだと思います。音楽で言う
とより多くの音で構成される音楽ではなく、シンプルな構成となっているモーツァルトの音
楽そのものです。

 今回初めて観音巡礼にチャレンジし、巡礼しながらいろいろな経験をし以前よりも精神的
に成長したと感じています。今後は武蔵野33所観音巡礼と坂東33所観音巡礼を通じてさ
らに人間的に成長したいと感じています。今更ですが仏教は偉大であると思います。合掌


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