空模様

わがまま老女の視野狭窄ときどき日記

草刈り日

2011-10-16 14:23:47 | 日記

我が家の西側土手が草ぼうぼうで、触ったり近づいたりするとかぶれを起こす木も大きくなってきた気がしたので

本日草刈りをお願いした。

       

そのお相手は 「妹ん家のパパ」に♪

 

彼は颯爽と、ご自慢の改造を施し毎度ワックス掛けをするほどの愛車である軽トラックで朝の7時20分にはやってきた。

そして我が家で用意したコーヒーを飲み、草刈機を段取りして8時には開始。

妹も娘を連れて、本来の家業で着る「帽子付き、手袋付き、ブーツ付き」のユニホームを着て手伝いに来たのである。

年に二回春と秋にこの土手は草刈りが必要なのだ。

私には到底無理で、昨晩雨が降ったのもあり、草を刈りながら土手を転げ落ちるのがオチである。

それが1時間も経つ頃には

       

           

草刈機もさることながら、カマも馬鹿にならない機能のようだ。

パパが刈る後ろをゆっくりと鉄製のガンゼキで道路に落としていく二人。

手際が毎度良いこと♪

やがて

      

ほぼ、落としきり、パパが草刈機を操る手をを軽トラック運転に変えて軽々と処理場へと運ぶのである。

      

計3回運んでこれらの草は綺麗に運ばれていった。

今年の恒例の行事は午前11時に、これで終了。

 

あとは我が家の木の剪定だけである。

スッキリするわねぇ~~~

魚が余り釣れないんだけどとぼやきながらもアジ3匹、コノシロ2匹を持って、

やってきたサンパツさんは、サンドイッチとコーヒーを飲みながらパパと釣り談義やらで談笑し

帰り際には 私に向かって

「お前さん、いいねぇ~~魚は食べるほどには持ってきて貰えるし、草刈りもして貰えて、幸せなのはお前さんだなぁ」

なんて、笑いながら帰っていったよ。

 

なんでよ、コーヒーだすのも、ジュース用意するのも、みんなにサンドイッチ作るのも、お昼のお弁当持たせて帰すのも、

私も 働いているんだぞ 少しだけ 

 

 


ウォール街のデモから

2011-10-16 06:56:52 | 日記

最初はアジアアフリカから沸き起こったデモ「アラブの春」から政権が覆ったのを、イメージしたのかどうかは判らないけど

世界に広がりはじめた。今ではヨーロッパや日本、アジアまで拡大をしてきている。

国柄や地域によっては、暴力や暴動を巻き起こすところもあるらしいけれど、それぞれに主張は違うとも思う。

ギリシャなんかは国の破綻を招きつつある故に、国民が悲鳴を上げているし、

ヨーロッパ各国の金融破たんを懸念して、今ではヨーロッパの信用不安が発端となっている。

そんなから思うに、アメリカの主要都市で広がったウォール街のデモは、私も凄く理解できる。

ずっと前からくすぶっていた気持ち。

それは、お金を持っているが故に、そのお金を利用して 「働かずして利益を得る」金融業界がそもそもおかしいと。

 

「株式投資」ってなんだ?

ささやかに小銭を出して株を買い売買により差額を得て更にへそくりとする。

そういう気持ちは誰にもあるし、事実身の回りには沢山の人たちがそれをしている。

 

けど、

その会社で汗水たらして働き、年々給料を減らされる昨今であっても

その減らされる給料から税金年金を差し引かれたお金で暮らしている従業員たち、一家を支える家族の収入。

しかし企業は将来に向かっての災害や会社の維持に備蓄も必要で、

社員を養い経営陣を食わすと言う理由を盾に更なる利益をもくろむものだ。

 

そして、また、その会社のその利益を見込み、好き勝手に投資して更に利益を得ようとする。

しかし、企業の営業実績および業務に添った投資ならまだ良い。

見込み業績・・・やがて出来るであろう 麦 大豆、その地域にあるであろう 石油、

利益を生むであろうと思えるものには何でもアリで投資、

はたまた一市民が自宅を購入するためにした借入金までもが集約すると投資の結果になるとか

エンゼル投資とは違う、会社を支えてやろう、

言うような株式投資とは全く違う 新たに設立する企業を応援してやろうと

その会社の繁栄や社員たちの生活を良くする為の目的も無く、ただ銭儲けのための投資

完全に巨額の銭儲けをもくろむ者たちをどうして過去誰も非難しなかったのだろうか。

 

人の汗をネタにして寝たまま利益をこそぎ取るような商売ではないかと 常々思っていた。

 

そしてそれが、今や世界を恐慌に招いたりする要因ともなる。

それを批判するデモなら私は受け入れる。

 

今ある身の丈の中だけの生き方をすべきなのに、人間は(私も含まれるかもしれないが・・・)何処で間違えてしまったのだろうか。

今、世界は気づくべき時だったのではないかと 思っている。