2週間ほど前、
私の愛すべき論敵から『豊田勇造という人のライブをやるから出て来い』というメールがあり、
しかも、私が30年来の付き合いがある人物がプロデュースするという。
音楽はあまり解からないし、
どうせ薄っぺらな愛やら平和やらをヌル~~く歌うんだろうと思って、
この論敵と30年来の人物が愛煙家である事を知っていた私は
『いや、俺は煙草が嫌いだから行かない』と返事したところ、
返信があり『今回は禁煙だ』という。
そうなると断わる理由もなく、
若い友人を誘って渋々出かけることにした。
昨夜PM7:00、強くウェーブの掛かった長髪のよく日焼けした顔の勇造氏が登場。
これが、、、、、良かった!
豊田勇造の表現する魂と熱の世界は、
私が想像していたユル~~い愛や平和などではなく、
もっとドロドロした、濃く、あくどい、タールのような質量と温度、粘度があり、
聴く者の心というより、臓腑に捻り込むような圧と振動を与えた。
彼のギターは弦楽器であると同時に打楽器であり、
それは例えば、
パキスタンの茫洋とした草原の拡がりと枯れ草の匂いを感じさせた。
彼のあらわす愛は、
好きだとか悲しいだとか、目の前をフラフラと飛び回る蚊のようなものではなく、
例えば
『今日この女と寝れないならば、、世界は、、死ね!』
というような、
まことにもって身勝手で、強烈で、厚かましい、破壊的な何かであった。
ライブ終了後、
私の若い友人も興奮したのか、
おそらく勇造氏のモノであろうハーモニカで参戦し、
たちまち即興のセッションを繰り広げる事になった。
いや、、、素晴らしいライブでした。
この企画に誘ってくれた論敵氏と30年来氏に、心から感謝したい。
追記
これ皮肉を言っているのではありませんから誤読しないでくださいね。
来てくれて感激した。
ハープにも感激した。
この文に一番感激した。
世界なんか死ね!「長崎帰り」は、私の大好きな歌のひとつ。
ペシャワールの、ギターが打楽器になるところも、あなたの描写以上は思いつかない。
あなたが喜ぶと私は本当に嬉しいのです。
ライブはまったく私の予想もしない力強いものでした。
あなたの音楽を視る目にカツモクし、
勇造氏に痺れ揺さぶられた夜でした。
ありがとうございました。