与謝野馨の変節と晶子の歌。

2011-01-16 17:36:33 | Weblog
不支持率78%の衝撃! 菅第2次改造内閣厳しい船出

2011.01.15


 14日発足した第2次菅改造内閣が、なんと発足直後から退陣水域入りの支持率となっている。
インターネットサイト「Yahoo! みんなの政治」が集計中の世論調査によると、改造内閣を「支持する」はわずか16%で、逆に「支持しない」が78%にも達しているのだ(15日午前9時現在の集計)。

昨年6月、菅直人首相が就任した際の内閣支持率は同調査でも50%を超えていただけに、世論が強い拒否反応を示している実態が浮き彫りになった。

 永田町では内閣支持率が2割を下回ると政権崩壊が現実味を帯びるというのが定説で、いきなり座礁の危機に直面したといえる。
ちなみに昨年6月の同調査では、菅内閣を「支持する」は50%、「支持しない」は41%だっただけに、改造で政権浮揚を図ろうとした菅首相の思惑はもろくも崩れた格好だ。

 さらに、「あなたがもっとも期待する閣僚は」との問いには、「特にいない」が72%とダントツ。1位は与謝野馨経済財政担当相だが、わずか7%。菅首相にいたってはわずか2%となっている。

 一方、コメント投稿欄には、衆院解散・総選挙を求める声が集中。
たちあがれ日本から一本釣りされた与謝野氏にも「与謝野晶子の孫ともあろう人物が、政治家としての矜持を捨ててまで痕跡を残したいのかね」など、辛辣な批判が続出している。





他の世論調査を見ても

ほとんどが微増程度で

まぁこんなものかと驚くには当たらんが、



与謝野馨に

「与謝野晶子の孫ともあろう人物が」ともの言うのは

少し違う。




与謝野晶子は

「君死にたまふことなかれ」が有名で

反戦歌人という事になっているが、




実際には4男を戦地に出したときに

「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」

などと詠んで、



反戦家としての一貫性はなく、

時勢により心情を変化させた転向者であるとも評された。




つまり与謝野馨は

晶子の変わり身の早さを

むしろ受け継いでいるからこそ

これだけの変節を為したのであると、

私は思う。





が、しかし、だからといって

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」が

色褪せる訳ではなく、






20年ほど前の雪の降る夜、

ミラノでひとり

心細く日本料理屋のカウンターで芋の煮っ転がしを食いながら

朝日国際衛星新聞を読んでいて

この歌にぶつかり

涙が止まらなくなってしまった。





冬の外国でのひとりという環境もあったのだろうが

倍賞智恵子似の仲居さんに

「大丈夫ですか?」と声をかけられたほどだった。





懐かしいので全文を貼っておきます。




================


『君死にたまふことなかれ』


あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ










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18 コメント

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晶子 (やまびこ)
2011-01-17 11:02:56
Pさん、おはようございます。

20年前のミラノでのお話はいたく感じ入りました。
お気持ちに水を差す気など毛頭ありませんが、この詩が肉親の弟を想う言葉だけで綴られていれば、“名作”と称えるにやぶさかではありません。
ですが、3段目の“批判”は強い違和感を覚えます。Pさんのおかげで今回初めて知りましたが、弟にはかく語りおいて、実の息子には勇ましく死んで来いとは・・・どうも納得がいきません。
数年前にウラジオストクに旅し、与謝野晶子の顕彰碑を見ました。
パリに単身遊学した鉄幹を追いかけてシベリア鉄道でロシア横断したことへの記念碑だそうです。
誰が建てたのか知りませんが、私には“情熱”なんておためごかしの賞賛はちょっと波長に合いませんでした。
下品な言葉になりますが、頭に血がのぼった色狂いの女という印象が湧いてきました。
“奔放”と言えばカッコよく聞こえますが、要するに折々の気分のまま、周りのことなど一顧だにせず思いつきのとおりに行動してはばからないということじゃないでしょうか。
こういう性向は、多少の例外を除いて、芸術家あるいは芸術家もどきの人種にはよくありがちなことです。
私個人の趣味でしかありませんが、中庸をわきまえ、我慢しずらいことにも精一杯耐え忍びつつ生きる“普通の人“をいとおしく思います。
与謝野馨という男が晶子の血をどれだけ受け継いだか知りませんが、かっての仲間の気持ちや、己の行動の突飛さを顧みることなく、敵陣の将軍に収まる神経は、断じて肯定できません。
ですから、与謝野には明日はなく、与謝野を野合に引きずり込んだ奸にも明日はないと信ずるものです。
ネット上の支持率とは裏腹に、緊急世論調査では軒並み30%台まで回復させています。
これを見て「小沢切りが当たった!」と喜んでいるのかもしれませんが、どっこい国民はそんなに甘くはないでしょう。
数週間で必ず元の黙阿弥、いやそれ常に悪くなりそうな気がします。

話は横道にそれますが、阿久根の立て原氏は遂に失職しましたね。
Pさんはかねがね同氏には寛大でいらっしゃったが、私は改革への意欲は良しとしたとしても、その手段もまた“相当”なものであるべきと信じて疑いません。
“常軌を逸している”と見る目が市民の中でより強かったというのが今回の結果ではないでしょうか。
逸していると思しき常軌は数知れずということですが、1例としては専決で任命し、当人は「給料は一切いらん。」などと言ってのける奇異極まりない仙波氏は、実は殺人犯の実父だそうです。
息子は消防署員だったが、上司とトラブルを起こし消防署長を刺殺したのだそうです。
それでも、仙波氏は職を辞することもなく定年まで警察官を勤め、この間警察経理の不正を暴くと称して内部告発を続け、配置転換を不服として裁判を起こしています。
それらは法的には権利だったり、少なくとも違法ではないのかもしれないが、殺人犯の実父が警察官を定年まで続けるという発想は私の信条の中では理解できません。
かくのごとく、竹原氏の諸行動は理屈の上ではどうあれ、激しく違和感を覚えることだらけで
す。
今回おことは平たく言えば“身から出たさび“でしょうに、「マスコミと労働組合にやられた。」などという的外れな負け惜しみは憐れでさえありました。
そういう意味で、今回竹原氏の退陣を求めた阿久根市民の意思は多としたいと思います。
ただし、気になるのはアンチ竹原だけで新市長の椅子を得た“若い養鶏業者”が本当に市政を担える人材なのか大いに疑問です。
願わくば、手法は180度変えてほしいが、竹原氏が夢想した“改革”はレベルと手段をバランスよく采配して、志だけでもぜひ受け継いでもらいたい。
竹原氏を引きずり降ろして、ぜ~ん部今まで通りというのでは、一番気の毒なのが阿久根市民の皆さんです。
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カメレオン (さらりん)
2011-01-17 11:59:27
Pさま こんにちは。

民主党のバラマキ政策を批判していた与謝野は、
果たして子ども手当、農家の個別補償など、
民主党の顔ともいえる政策を阻止することができるのか、
お手並み拝見でございます。

打倒!民主党をスローガンに立党した「たちあがれ日本」をあっさり離党し
「私は打倒、民主党という言葉を使ったことはない」という与謝野ですから、
『藪の中の荊』の如くバラマキ政策を容認し、
今後も党の目玉政策として掲げるようなことになれば、
与謝野のカメレオンぶりも筋金入りということですね。

与謝野晶子の詩は久しぶりに読みました。
ありがとうございます。
身重の新妻を残し戦地に赴く弟への思いは、
不仲であった兄との確執から自ら家を出たものの、
断ち切れない生家や親、兄弟への思いが溢れており、
晶子らしい率直な思いが伝わります。

私は同じ時代に詠まれた大塚楠緒子の「お百度詣」が好きです。

『お百度詣』
ひと足踏みて夫(つま)思ひ ふた足国を思へども
三足ふたたび夫思ふ 女心に咎ありや

朝日に匂ふ日の本の 国は世界にただひとつ
妻と呼ばれ契りてし 人もこの世にただひとつ

かくて御国と我夫と いづれ重しととはれれば
ただ答えずに泣かんのみ お百度詣でああ咎ありや

こういう歌を詠むことが許された言論や表現の自由がありました。
歌と共にその時代の寛容さは素晴らしいと思います。
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才能 (P@RAGAZZO)
2011-01-17 14:08:06
大兄、こんにちは。

確かに晶子の不節操は
大兄には我慢のならないところでしょう。

しかしあの時代、
歌は今と違い人々にとって結構大きな娯楽であったと思われます。

ましてや、晶子は鉄幹の経済的失敗もあり
膨大な作品をそれこそ必死に量産しており、
歌は芸術というよりも大衆芸能に近い存在であり、
晶子にとっては経済活動の要素が多であったのではないか
と想像します。

大衆芸能は自ずとその時代の空気を読んだ作品を生み出さざるを得ず、
晶子もまたその空気に染まっていったのでしょう。

視点を変えれば、
私はその人物の人柄とか性格、もっといえば善悪より
むしろその才能を愛します。

作者の人物像がどうあれ
その作品が作品として素晴らしければ、
作品は作者の手を離れ独自の道を歩むのです。

繰り返しますが
人柄の良い作者の愚作よりも
悪人の傑作を私は好むのです。

これは嗜好の問題ですから
大兄と違いがあって当然であり、
大兄には大兄の嗜好があってしかるべきであると思います。

阿久根のことはエントリーで述べます。
返信する
経理屋の発想 (P@RAGAZZO)
2011-01-17 14:25:41
さらりんさん、こんにちは。

「お百度詣」、いい歌ですね。

夫を思う気持ちと、国を想う心が交錯し、
揺れ動いている楠緒子の心情がよく表れており
好感が持てます。

与謝野馨の変節には同情すべき点がありません。

彼は自民党の比例で自民党のおかげで
議員の座にいるのです。

であるのに敵軍の閣僚に平然と納まっていては
自民党はもちろん民主党内のコンセンサスも
得られないでしょう。

又その政策も
希望のない現状肯定のままの経理屋の発想であり、
経営者の発想ではありません。

裏切り者の末路は皆同じですね。
返信する
了解です^^ (やまびこ)
2011-01-17 14:26:34
晶子に対するPさんの視点(評価)・・・了解です。
確かに私は、作品あるいは業績よりその人の人物を重視する傾向が強いです。(笑)
そこを一旦離れてものを見るというPさんの懐の深さに感嘆する自分でもあります。
それに、いま自分のコメントを読み返してみると、晶子を年甲斐もなくずいぶん口汚くののしっていますね。(苦笑)
馨の愚行を意識しすぎて少々オーバーランしましたかね。(汗)
ただ、余談ですが竹久夢二など無頼の徒も大嫌いな私の心情もそれなりに受け止めて下さって有難く思います。
それらも織り交ぜて嗜好の領域であることはそのとおりです。

阿久根のエントリーは楽しみにお待ちします。その際、お気に召さないコメントを綴ってご気分を害したら、大脳軟化症の田舎ジジイのたわごととご寛恕くださいね。(先行お詫び・・・苦笑)
返信する
与謝野は祖父祖母の業績を (ベッラ・カンタービレ)
2011-01-17 14:58:15
P様、また遅れて申し訳ございません。

今回の騒動で与謝野のホームページも見ました。与謝野の本も購入して読んだことは読んだのですが・・・音楽で言えば、フォルテの連続でもあり、ただうるさく、また考えもあまり深くは感じられませんでした。

でも気になるのは、祖父祖母の名をホームページに堂々と書き、系図入りです。
これをいれるのであれば、与謝野はそれに恥じない矜持を持つべきであったでしょう。

与謝野晶子については、天才的ひらめきがあり、今も愛されている作品は人の心を打つものでしょう。

ただ、音楽家として天才女流ピアニストやヴァイオリニストを観ていますと、その演奏は男より激しく鋭いものです。
たとえばピアノのマルタ・アルゲリッチ、ヴァイオリンのチョン・キョンファ・・・オペラではソプラノのマリア・カラス・・・。

一時はその才能に驚き、個性の魅力に圧倒されますが、年月を経ると、そんな鋭角でない、天上的なピアニッシモやすべてとらわれのない抑制された表現に気持ちは変わっていきます。

私には文学的素養はありません。
しかし、その「天上的ピアニッシモ」などは人を包み込むものです。
悲しみを抑制し、また普遍的に訴えるものです。

与謝野晶子が11人のこどもを抱え、これほどの仕事を成し得たことは素晴らしいことです。
しかし晶子の中の「変節」は、彼女の「変わり身」というより生きるすべでもあったのでしょう。

やまびこ様のお気持ちもわかりますし、晶子の才能を愛する方々のお気持ちもわかります。

わからないのは文学にうとい私だと思うのですが、ここは勝手な意見も許されると思いまして至らないながらも書かせて頂きました。

それより、ホームページに自慢げに載せる与謝野馨はなぜ、ご先祖に泥をぬるような愚行をしたのか・・・それは彼の人間としての問題であり、それなりの罰は受けているように思います。
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やまびこ様にちょっと・・・ (追加 ベッラ)
2011-01-17 15:04:54
Pさま、やまびこ様はいつも感服しているのですが、ここは納得できないところが・・・
「周りのことなど一顧だにせず」というところですが・・・これは芸術家などに多い、とか?

それは偏見です。週刊誌をにぎわす「売名芸術家」はそうかも知れませんが、ほとんどは日常生活を節制し、練習を重ね、毎日の演奏に心を砕き、聴衆の反応を畏れ、さらに磨きをかけ、という恐ろしい生活をしているのです。
そのためにどれほど苦労し、精進を重ねているか・・・ぜひ、お考えなおしを。
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与謝野晶子と音楽をごっちゃに書いてしまった・・・ (ベッラ お詫び)
2011-01-18 01:22:33
P様、すみません。いそいで書いたもので今読み返すと文章が支離滅裂でメチャクチャ!
与謝野晶子と「天上的ピアニッシモ」がなんの関係あるの?と問われれば・・・オペラのカラスやピアノのアルゲリッチ、ヴァイオリンのチョン・キョンファたちは個性が強く、悪く言えば「一人称単数」の音楽的表現、それに比べ年輪を経た「巨匠」たちは大河のようにゆったりとし、満天の星のごとく「天上的ピアニッシモ」・・・強い主張をいったん引いて、それでいて包み込むような大きさを感じる・・・

与謝野晶子を音楽で論じて比較することに無理がありました。
しかし、与謝野晶子に「変節」があったのか、ということも知って驚いています。

与謝野晶子をカラスやアルゲリッチ、キョンファなどの鋭い感覚による表現に例えると、年輪を経た「巨匠」たち(カップッチッリ、ホロヴィッツ、スターンなど)は、非常におおらかで「微笑む」ような余裕があるということですが、あまり適切な例ではないようです。
私自身の文学の勉強不足がたたっていまして・・・。ごめんなさい!書かなきゃよかった。すみません!!
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「やまびこ様にちょっと・・・」だけにして下さい。 (削除のお願い  ベッラ)
2011-01-18 01:34:59
ハチャメチャな文は読んでも無駄ですので、最初と最後の長文は削除して下さい。
話になりません・・・ごめんなさい。
これも削除・・・すみません、申し訳ございません。「やまびこ様にちょっと」だけは残して下さい。
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お詫び (やまびこ)
2011-01-18 09:35:52
ベッラさん、ご指摘を受けて反省しました。

己の文を読み返してみて、「多少の例外を除いて」は明らかに私の不穏当な表現でした。
これじゃ大半の人とがそうだと断じたことになり、ベッラさんが御不快を感じられたことは至極ごもっともです。
せいぜい「あまたの中には・・」ぐらいにすべきでした。
元は与謝野馨の変節をなじるところから出て、祖母晶子の生き様にも違和感を抱いていますところ、自分の周囲に1~2の例として人倫にもとると思う仁氏がいたものですから、表現を誤りました。
ベッラさんはじめ、多くの真摯な方々に失礼な言い方を口走ったことは恥じ入ります。
馬齢を重ねても修行が足りません。
さぞお気に障ったでしょうが、どうかおゆるしください。
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