大人気漫画「BLEACH」の作者、久保帯人先生がツイッター上で凄い発言を連発、ネット上では大きな話題になっています!
「BLEACH」は、ある出来事から悪霊・虚(ホロウ)の退治者(死神)になってしまった高校生、黒崎一護とその仲間達の活躍を描いた少年漫画。第50回(平成16年度)小学館漫画賞を少年向け部門で受賞、作品の累計発行部数は6000万部以上など世界的にも人気のある作品です。
ツイートがあったのは8月16日午後一時ごろ。一つ目のツイートの内容は「もしBLEACHよりも面白いものが描ける才能があるなら、すぐに漫画家になるべきだ。面白ければ必ずBLEACHより成功する。絵が描けないと言うのなら、努力して編集者になって漫画家にアドバイスすべきだ。本当に能力があれば、どこへ行っても歓迎される。」というもの。
このツイートはすぐにネット上を駆け巡り、コメントの嵐が!
これに続く第二弾が「才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ。」というツイート。
厳しいお言葉です。いったい何があったのでしょうか。
2010年8月16日
うーーん、、
『雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ』
ってのはチト言いすぎだ。
しかし、
『才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、目を瞑ってどっか隅っこに挟まってろ。』
には、俺も同感だ。
薩摩の戦国大名、島津義弘公の教えに
【男の順序】なるものがある。
1.何かに挑戦し、成功した者
2.何かに挑戦し、失敗した者
3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4.何もしなかった者
5.何もせず批判だけしている者
これ、今、俺のデスクの前に貼ってある。
仕事で、
小さな事でも何かにチャレンジする時、
小心な俺は失敗を恐れ脚が竦む。
その時に、この言葉を睨む。
なんとか俺も男でありたいと思う。
島津義弘公に言わせれば、
努力もせず、
そのくせ与えられるものに不平を言って、
努力する人間の足しか引っ張れないような奴とは
最低の男のことだ。
『女の順序』、大いに結構ですね。
5番目はやっぱり男も女もこれですね。
自分と周りの人々を同時に幸せにできることをやるということは
物凄く素晴らしいことだと思います。
特に現代は『個人の時代』となって、
なにがなんでも自分が損することは
やらないようになりました。
公共の精神の欠如ですね。
ベッラさんの多様にわたる活動は
魅力的ですね♪
女性だって「女の順序」あってもいいでしょう?
1、何かをすることで自分も人も喜びを得る。
2、何かをすることで、自分も人もマアマア。
3、何かをしようとして、半分もできない。
4、何かをしようとして、失敗する。
5、何もしょうとしないで、人のせいにする。
私の場合は老親介護、料理など家事、そして音楽、友人への感謝、などなど。
私にとって、「なにげないしあわせ」が最高!
「心の田園」「心の水やり」をモットーにしています。このブログに感謝です。
大兄、こんにちは。
『慎重』とはまたうまい事をおっしゃいます。
そうありたいと心がけたいと思います。
私も、『5』だけにはならないよう慎重に行動したいと
あらためて思っておりまする(笑)
御謙遜を・・・。
さまざまな試練をくぐってこられたPさんならではの自己分析ですか・・・でも、それは「小心」ではなく「慎重}という言葉が妥当でしょう。
さて、私には公の遺訓を今後役立て得る時間があまり残されていないのですが、それでも心意気だけは押戴きたいと思って、さっそく机前に張り付けました。(笑)
これまでの人生では、いずれも小事ばかりですが、上手くいったことも上手くいかなかたことも、それぞれいくつかずつありました。
今後果たしてどれほどのことができるか、まったく心もとないところですが、死ぬまで「5」にだけはなるまいと己に言い聞かせました。(笑)
まさにさらりんさんの感覚は
真を突いていると思います。
昔、このブログかもっと前に書いたことがありますが、
私は事業で追い込まれ
真剣に自殺を考えていた時期があります。
そんな年の夏、
まだ小さかった子供たちと妻を連れて、
なけなしの金をはたき
近くの温泉に一泊旅行に行きました。
むろん、妻にも子達にも会社の窮状は知らせず、
子供たちはとても楽しそうにしていました。
夕方、なにげなくお土産売り場を見てまわった時、
あるものに目が釘付けになりました。
それは1000円でしたが、
そのときの私には
1000円でもしばらく買うのを躊躇する金額でした。
結局、私はそれを買い求めました。
そしてそれは一度も使われること無く、
今でも私の箪笥に眠っています。
それは、黒いTシャツでした。
そして、こう書かれていました。
『毎日が地獄です』。
いや、、怖いのです。
私は己が小心である事を知っており、
失敗する事が物凄く怖いのです。
ですから、できうる限りの万全を期するのですが、
最悪の事を考えれば
身の破滅をも覚悟せざるを得ないこともある。
そんな時、
たとえ失敗しても島津義弘公だけは、、
『オマエは2番目だったぞ』と
言ってくれそうに思う。
そういう、、
いわば小心者のお守りみたいなものなのです。
私の伸ばした手が父の背中の真ん中に、
ようやく届く位だった覚えがあるので、
まだ小学校の低学年だったでしょうか。
仕事で忙しい父が珍しく休みを取り、
家族で遊園地に行ったのだったと思います。
子どもだけでは入れないお化け屋敷があり、
大人と一緒じゃないと入れないくらいの、
怖いお化け屋敷を見たくて、
おそらく母には断られと思われ、
父に懇願して渋る父に同伴してもらいました。
果たして中は、何が怖かったか、
自分の悲鳴ばかりしか印象になく(笑)
覚えてはいないのです。
父の背中に縋りながら歩いていたのですが、
父のワイシャツが次第にひんやりとしてきて、
今にして思えば蒸していてかいた汗が、
冷えてきたのでしょうが、
「あっ、お父さんでも怖いんだ」
そう思うと怖さが増すような、
父の弱い面を見てしまったような、
複雑な気持ちになりました。
このことは誰にも言ってはいけない、
そんな気持ちで母にも内緒にしていました。
お父さん(男の人)というのは、
怖くても怖いって言わないものなんだと、
独り合点したものでした。
ブログを拝読しながら、
そんな昔の出来事を思い出しました。
いつも感心させてもらっていますが、今日もまたしかり!
島津義弘公と言えば、勇猛で知られ、関ヶ原の合戦においては、敗色鮮明な撤退戦で中央突破による撤退を見事成功させたんですよね。
その遺訓がPさんのデスクにすか・・・島津公も素敵ですが、Pさんも大した人ですね。
今日もいい話を聞かせてくださってありがとうございました。