さとうみつろうさんのレイの祈りに参加しました。
私は既に叶っていることを願いました。みつろうさんがピアノを弾きながら話していたことが印象的でした。
この祈りが終わってから世界が変わったと思うなよ、目の前が変わったと思うなよ。悲しい時は悲しめばいい。怒りたいときは怒ればいい。苦しい時は苦しめばいい。
だから人生は楽しみとか幸せがあるんだよ。って、それを聞きながらそうだよなと深く頷きました。
それと同時に願い事とか夢などどうでも良いと言っているよう聞こえました。多分、みつろうさんは神になったり悪魔になったりしていましたね(ここで良いことを願っているお前らは欲の塊であることに気づけよと言っているように見えました。)
これはこの世界のバランスです。
とにかくこの世界を感じて生きていく、辛いことも悲しいことも、良いことばかりあるわけ無いし、良いことばかりだとそれは苦痛しかないんだと。
僕は東洋医学だけれども、陰の中に陽があり、陽の中に陰がある。これはどこまでいってもそうなっている。分けることはできないし、どんなに闇が深くても、その中に必ず陽が(光)がある。
僕らは苦しい闇の中でも必ずある光を見つけて生きていけばいいんだよ。だから途中で願い事をやめて、ただありがとうございますと感謝しました。いい春分の日でしたね。
みつろうさんも言っていたし、きゅうりの科学的実験でも良い願い事をすると必ず悪い事が起こる部分が出来ると結果が出ていますね(これは日本の教授が行った実験で世界が驚愕している)
何故ならエネルギーは波なので高い波があれば必ず低い波になり、これを繰り返す事になるからです。この世界は陰陽と同じなので、陰の時にどうやって光を見るかということなんでしょう。
よく波動が高いとか低いとか言うけれど、どちらが良いとか言うことはありません。
私は死にかけた時に、高波動の領域に入ったことがありますが、あまりにも高すぎて身体じゅうが緊張して呼吸も出来なくなり、心臓が止まりそうになります。
ほぼ拷問のようになります。
つまり私たちの持つ肉体はこれに耐えることが出来ません。
むしろ瞑想の様に低振動の時の方が、肉体的レベルでは非常に心地よくさらに高次元と繋がります。
もとに戻りますが、あなたが良い願いをすると、どこかで必ず悪いことが起こるということです。
これは実際の場面でも同じです。あなたが夢を実現させる為には、必ず夢を叶えられない人が必要になります。
だから、僕は現世において良いことばかり起こると思うなよ、全て経験しろよ。その為に現世にいるんだろ。と思っています。
その中で重要なのは闇の中にも光があるということです。
どんなに闇の中でも必ずどこかに薄暗くてもいいから少し明るいところがある。それを見るんだということです。
願い事は人間のこざかしい欲によるものです。だから争いが絶えない。多くの願い事がそれを引き起こしている。
良いことは悪いことであり、悪いことは良いことである。それは分離していない。これを認識することが重要です。
尚、僕はこれが正しいと主張している訳では無いので自分で考えてくださいね。
さとうみつろうさん。ありがとうございました。最高の時間を過ごせました。共有できたことを感謝します。
#レイの祈り #春分 #神と悪魔 #さとうみつろう
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