観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

市坪駅 JR四国 予讃線

2014-05-29 06:10:28 | JR四国 私鉄四国

市坪駅(いちつぼえき)は、戦後に片面ホームの無人駅として開業しました。愛媛県松山市市坪西町にある、四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。


松山市出身の俳人正岡子規の幼名「升(のぼる)」に因む「野球(の・ボール)駅」という愛称がある。無人駅ながら、隣接する松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)のプロ野球や愛媛県武道館のコンサートなど大規模イベントが開催される場合には、松山駅の係員が派遣対応いたします。また、ホーム幅が狭く転落のおそれがあるため、多客時には入場制限が行われることがあります。駅東側は住宅街になっています。

相対式ホーム2面2線。駅舎はなく、築堤上にホームが設置されています。両方のホーム上に簡易型の自動券売機が設置されています。折り返し用の引き上げ線を1線有する。


1 ■予讃線 (下り) 伊予市・内子・伊予長浜・伊予大洲・八幡浜・宇和島方面
2 ■予讃線 (上り) 松山・伊予北条・今治・伊予西条方面
1番線が一線スルー(速度制限なし)の通過線となっている。
臨時停車する上り特急列車は、通過時と同じく1番線に入線するが、プロ野球観客輸送などの特に乗客の整理が必要な場合は2番線に入線する。
なお、下り列車で市坪止まりの場合は、引き上げ線の関係で2番線に入線する。
また、地形の関係でホームの有効長が90m(4両分)しか無いので、5両編成以上の列車が停車する場合、ホームにかからない車両のドアは開かない。
ホームの階段は1番線が中央寄り、2番線が北伊予方にある。

開業以前の1935年(昭和10年)頃には、当駅付近に臨時駅が設置されていた。椿宮仮乗降場と称していたとする資料もあります。

子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、1889年(明治22年)に喀血してやめるまでやっていました。ポジションは捕手。自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともある(ただしベースボールを野球(やきゅう)と訳したのはこれより後、中馬庚が始めである。野球を参照のこと)。また「まり投げて見たき広場や春の草 」「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」などと野球に関係のある句や歌を詠むなどしており、文学を通じて野球の普及に貢献したといえます。これらのことが評価され子規は2002年(平成14年)、野球殿堂入りを果たしました。
なお、子規が「野球」という雅号を用いたのは中馬庚が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前の1890年(明治23年)です。つまり、「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬庚であるが、読み方は異なるが「野球」という表記を最初に行い、さらに「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」と日本語に訳したのは子規であるとのこと。

1964年(昭和39年)10月1日 市坪駅として開業。当初棒線駅。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
2002年(平成14年)7月13日 輸送力増強工事が完成、相対式の交換駅となる。同時に愛称「野球(の・ボール)駅」が付与された。

電報略号 チホ
駅構造 盛土駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 678人/日
-2005年-
開業年月日 1964年(昭和39年)10月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 


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