観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

涙橋停留場 鹿児島市電谷山線

2018-12-20 08:37:07 | 九州 その他市電・私鉄

涙橋停留場(なみだばしていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市郡元三丁目にある鹿児島市電谷山線の電停。正式には「涙橋電停」(なみだばしでんてい)と呼ばれる。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。

駅名由来は付近に薩摩藩処刑場があり、処刑者と家族が停留所付近の新川にかかる橋で涙の別れをしたことによるそうです。


2面2線の相対式ホーム。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。 両のりばには電車接近表示機及びアナウンスがある。両のりばとも車椅子の使用は可。ただし、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可とされている。

のりば:かつて鴨池~当停留所間が高架だった名残が奥のホーム構造に残っています。
1番のりば

1系統 - 脇田、谷山方面
2番のりば
横断歩道からスロープでホームに連絡します。標準の電照式停留所名標が設置されています。
1系統 - 郡元、騎射場、天文館、鹿児島駅前方面
※1番のりば、2番のりばの表記は当記事でのみのりばを分かりやすくするために記したものであり、実際には決められてはいない。
ホームにはFRP式の長椅子が設置されています。
停留所を出ると新川を渡ります。

 

 

周辺
当駅より郡元に向かう軌道に緩い勾配と接する道路との間に不自然な段差が生じているが、これはかつての高架の取付口の痕跡である。谷山線は昭和20年代まで全区間が専用軌道で、そのうち鴨池 - 当電停間は高架線であった。その後も、郡元 - 当電停間はセンターポール化計画に追加されるまでは専用軌道であった。


歴史
1917年11月3日 - 鹿児島電気軌道により設置される。駅名は郡元。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。
1959年10月1日 - 新川に改名。
1967年1月1日 - 涙橋に改名。
1990年 - 涙橋架け替え決定のため、郡元電停ダイエー側 - 当電停間がセンターポール化計画に追加される。
1992年 - センターポール化される。


涙橋電停
◄郡元(南側) (0.4km)(0.5km) 南鹿児島駅前►
所在地 鹿児島県鹿児島市郡元三丁目
北緯31度33分33.93秒 東経130度32分49.02秒
駅番号 口18
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 5.4km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人力車 | トップ | ケミカルタンカー 新東弘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿