観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

埴生駅 山陽本線

2012-10-05 06:22:56 | 瀬戸内海 山陽本線・JR神戸線

埴生駅は、駅周辺の人家は少ないものの、山陽オートレース場の最寄り駅でレース開催日には賑う駅です。保線基地を挟んだ向かいの丘の上に山陽オートレース場があります。駅との通路も完備されています。

小高い丘の上、山口県山陽小野田市大字埴生字角野にあります。西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。駅前はかなり広いスペースがあります。

単式・島式の複合型2面3線のホームと緩い傾斜の大きな屋根、コンクリート駅舎を持つ地上駅です。駅舎は単式の1番のりば側に置かれ、島式の2・3番のりばへは跨線橋で連絡しています。ホームは長く、有効長も長い構内です。


下関地域鉄道部が管理し、JR西日本関連会社のジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅であり、窓口での発券はPOS端末で行う。待合室ではキオスクが営業。駅開設の記念碑もありました。


埴生駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線 下り 下関方面
2 (使用停止中)
3 ■山陽本線 上り 厚狭・新山口方面


下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりば。中線であるはずの2番のりばには架線が張られておらず、線路についても下関方は下り線、新山口方は上り線とのみ接続されているため、電車の入線はできない。かつては改札上に字幕式の発車案内があったが、現在は各方面乗り場案内の印字されたプラスチック板で塞がれている。

1901年(明治34年)5月27日 - 山陽鉄道 厚狭駅 - 馬関駅(現在の下関駅)間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。


1942年(昭和17年)7月 - 駅舎を改築。
1959年(昭和34年)5月12日 - 跨線橋を設置。
1964年(昭和39年)10月1日 - 埴生炭鉱の閉山に伴い、貨物の取扱を廃止。
1980年(昭和55年)2月 - 埴生駅と山陽オートレース場を結ぶ連絡橋(全長126メートル、幅3メートル)が完成。同年3月に開催された日本選手権オートレースに伴うもの。
1982年(昭和57年)4月2日 - 駅舎を改築。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。

電報略号 ハフ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 489人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1901年(明治34年)5月27日
備考 業務委託駅
POS端末設置


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