観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

長門大井駅 山陰本線

2012-01-25 10:07:19 | JR西日本 山陰本線 日本海

長門大井駅は長門鉄道部が管理している駅です。駅舎の事務室部分は改装されて「カネコ理容」という理髪店として利用されています。乗車券(常備券のみ)の発券も行う簡易委託駅であるが、月曜日は理髪店が休業するので窓口も終日休業となります。
所在地は山口県萩市大井字呑石にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。

1955年まで「大井村」と呼ばれていたこの地域は、その後の合併で萩市の一部となっています。萩市の中心部から離れ、観光とは全く無縁の地域のため、利用客は大半が学生と高齢者。しかし、駅前がいつもきれいに整っており、気分よく利用できる駅です。05年春に「いそかぜ」が廃止されたため、この区間を走る優等列車は全廃となりました。


駅は相対式ホーム2面2線で、交換設備を備えた地上駅。古さをよく残している木造駅舎で駅舎がある方が下りホームで、ホームの中央部に上りホームへ通じる跨線橋があります。

雨量計も設置されています。ホームの向こうには田園が広がり、ホーム上にはちょっとしたベンチがあります。

ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■山陰本線 下り 東萩・長門市方面
反対側 ■山陰本線 上り 益田・浜田方面

※案内上ののりば番号は設定されていない。

保線用の側線があり、枕木やレールなどが置かれていました。
駅近くには「円光寺穴観音古墳」があります。幅2.56m、奥行き9m、高さは前室で1.7m、奥室は2.3mないし2.5mでこのあたりでは珍しい規模の古墳だとか、また「元寇の碇石」碇石は今のように鉄の技術が無かった蒙古襲来の時期に碇として使われていた石で 元寇関連の遺跡としては最東端に位置する。

1929年(昭和4年)4月24日 - 国有鉄道美禰線(当時)の東萩駅 - 奈古駅間延伸により開業。客貨取扱を開始。
1933年(昭和8年)2月24日 - 当駅を含む美禰線の一部区間が山陰本線に編入され、山陰本線所属駅となる。
1963年(昭和38年)2月1日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる


電報略号 オイ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 38人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1929年(昭和4年)4月24日
備考 簡易委託駅

 


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