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稲童1号掩体壕(行橋市指定史跡)

2013-04-08 00:06:00 | 遺構 /人間魚雷 回天の島 大津島など

掩体壕(えんたいごう)は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。掩体、掩蔽壕(えんぺいごう)、掩壕とも言う。 通常は、コンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみであり、屋根(天井)が無いものもある。なお英語ではBunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。

太平洋戦争当時の築城(ついき)海軍航空隊関係軍事施設の一部として、現在、稲童1号掩体壕を含め数基が残っている。飛行場は1942(昭和17)年の開設で、掩体壕は1944(昭和19)年8月ごろに造られました。戦後、築城飛行場は米軍の接収を経て航空自衛隊築城基地になります。

 この稲童1号掩体壕は、掩体壕としてはかなり大型の部類になり、陸上爆撃機「銀河」「月光」「一式陸上攻撃機」「九六式陸上攻撃機」などの大型機を格納するために造られた大規模な掩体壕である。入口幅26.8m、入口高5.5m、奥行き23.5m、盛土幅42.0m、盛土高8.5m、鉄筋コンクリート造り。鉄筋コンクリートで天井をつけた有蓋掩体壕が7基前後、土手で囲んだだけの無蓋掩体壕が13基前後造られたとのです。しかし、その掩体壕群があった場所は民有地になって半数以上が壊されてしまいます。いくつかは残っていて、そのうち保存状態が良くてアクセスしやすい位置にあるのが1号掩体壕です。2011(平成23)年に史跡公園として整備されて、より見学しやすくなりました。

掩体壕には屋根付きの有蓋(ゆうがい)掩体壕と屋根のない無蓋(むがい)掩体壕の2種類があり、稲童1号掩体壕はご覧の通り有蓋です。有蓋掩体壕は敵の攻撃から機体を守るため堅牢な鉄筋(無筋もあったかも)コンクリート造で、形状はヴォールト(かまぼこ)型かドーム型をしています。また、敵機に上空から発見されにくいよう躯体は土で覆われていました。


 行橋市稲童地区は築城海軍航空隊の飛行場の北側に位置(約1Km)し、掩体壕などの軍事施設が集落付近にあったために、空襲の被害の激しかった地域で、今なお安浦(やすうら)神社の鳥居や灯篭などにその傷跡が残っています。


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