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V-107(CH-46)タンデムローター式ヘリコプター(ボーイング・バートル社)

2019-04-24 04:06:42 | 乗り物(鉄道:船:飛行機:バスなどなど)

V-107(CH-46)は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、ボーイング・バートル社が製造したタンデムローター式のヘリコプター。

 バートル社が製作した、同社唯一の実用ヘリコプターであった。バートルはパイアセッキ・ヘリコプターの流れを汲む会社で、設立間もない1956年に大型輸送機の開発に取り組んだ。機体はターボシャフトエンジン双発、タンデムローターのヘリコプターで、エンジンを胴体後方の上部に取り付け、客室の騒音軽減と面積拡大をはかり、貨物の積み込みを簡易にするため、機体後部に傾斜板式の扉をとり付けた。また、客室は完全密閉できるように処理し、水上でも安全に運用できるようにした。

バートルモデル107(V-107)と名づけられた原型機は1958年4月に初飛行し、この巨大ヘリコプターに目をつけていたアメリカ陸軍によって7月に研究用YHC-1A(後にYHC-1C)として少数が購入されたが、エンジン出力が小さかったために採用されなかった。

陸軍の不評によって注文は全く無く、そこでエンジンをゼネラル・エレクトリックのT-58-110-1に転換して出力を強化したモデル107IIを発表して、1960年10月25日に初飛行した。すると、アメリカ海兵隊が1961年に強襲揚陸作戦用ヘリコプター HRB-1 シーナイト(Sea Knight)として採用したことにより、軍民両用の機体として注目されるようになった。その後、アメリカ軍の航空機呼称が変更され、機種番号がCH-46に統合された。


バートルは1960年にボーイング社に吸収されて、同社のヘリコプター部門(ボーイング・バートル、後に完全吸収)となるが、V-107の生産は続けられ、カナダやスウェーデンなどへ輸出された。また、この機体の特徴はすぐ後に生産された弟分のCH-47によく受け継がれている。

日本での運用
日本では川崎重工業が1962年(昭和37年)5月にノックダウン生産1号機を飛行させ、1965年(昭和40年)には生産販売ライセンスを取得した。各自衛隊でKV-107として採用された他、警視庁や民間向けに販売し、日本政府による武器輸出三原則が発表されるまで海外への輸出も行った。自衛隊向けの機体は「しらさぎ」との愛称が付与されたが「バートル」と呼ばれることが多い。


日本で最も多くのKV-107ユーザーとなった陸上自衛隊は、1966年(昭和41年)4月5日-1972年(昭和47年)にかけて川崎KV-107II-4を41機購入し、同年からはエンジンを石川島播磨重工業のCT58-IHI-140(1,400shp)に換装したKV-107IIA-4を1981年(昭和56年)11月12日まで18機購入、上陸・輸送ヘリコプターとして使用した。
陸上自衛隊の機体はキャビンの床面を補強しローラーコンベアを設置し、電動ウインチを使って重機材を後部扉から引き込み搭載できるようになっている。また、胴体下面には4.5トン対応のカーゴスリングを装備し、重量物の運搬を可能としている。胴体両側には80ガロンの増槽を装備しているが、沖縄県の第101飛行隊に配備された機体は、海上自衛隊や航空自衛隊と同様に500ガロンのスポンソンタンクを装備し、一部では機首に気象レーダーを取り付ける工事を行った。また、陸上自衛隊では民間向けの旅客型に準じた仕様で、胴体側面に角窓が並ぶVIP仕様機のKV-107II-4Aも1機購入している。
陸上自衛隊の機体は日本航空123便墜落事故にも出動し、生き残った乗客を救出する姿がテレビなどで報道され、有名になった。
後継機としてCH-47J/JAが導入されると減数し、KV-107II-4Aは1996年(平成8年)4月に退役、KV-107II-4/IIA-4も2002年(平成14年)3月25日に全機が退役した。


各自衛隊の中では、最も「バートル」を長らく運用したユーザーである航空自衛隊は、S-62J、救難隊のH-19C救難ヘリコプターの後継として1967年(昭和42年)からKV-107II-5を17機導入し、18号機からはエンジン強化型のKV-107IIA-5に切り替えられ、1990年(平成2年)までに計52機が納入された。
1991年(平成3年)からUH-60Jの導入が始まったことから減数に転じ、2009年(平成21年)11月3日、入間基地の航空祭でラストフライトを行なった844号機(浜松救難隊)を最後に退役した。因みにこの844号機は2008年公開の角川映画「空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-」の冒頭のシーンでその機体番号を含め飛行・離着陸シーンを見ることができる。
白色と黄色を基調とする救難隊のイメージ色を機体に施していた。


海上自衛隊では機雷掃海ヘリコプターとして使用するため、1963年(昭和38年)9月にKV-107II-3を2機導入した。第51航空隊において試験を行い、1972年(昭和47年)からはエンジンを出力アップしたKV-107IIA-3を1976年(昭和51年)2月まで7機、合計9機を導入した。すべて第111航空隊で運用され、余裕のあるスペースを生かして掃海のほか輸送機としても使用された。1989年(平成元年)-1994年(平成6年)にかけて後継機であるMH-53E シードラゴンが11機導入されたことにより順次退役し、1990年(平成2年)3月30日に全機除籍された。
民間
川崎重工業の系列企業が数機を購入したほか、警視庁が要人輸送・離島連絡用の特注機KV-107IIA-17を1機購入した。


性能・主要諸元
全長:25.40m(回転翼含)
胴体全長:13.66m
胴体幅:2.21m
全高:5.09m
主回転翼直径:15.24m×2
主回転翼枚数:3枚
室内長:7.37m
室内幅:1.83m
室内高:1.83m
自重:5,251kg
運用重量:4,868kg
最大離陸重量:8,618kg
全備重量:9,700kg
超過禁止速度:254km/h=M0.21(外部搭載なし:270km/h)
巡航速度:241km/h=M0.20
実用上昇限度:5,180m
ホバリング上昇限度:3,350m
航続距離:400km(増槽使用:1,100km)
燃料容量:510gal(機内350gal+増槽80gal×2)
発動機:ゼネラル・エレクトリック製 CT58-140-1 ターボシャフト×2(出力:1,400HP×2)
(川崎製)IHI製 CT58-IHI-101-1 ターボシャフト×2(出力:1,250HP×2)
武装:固定武装なし。機内に自衛・制圧用小火器の搭載は可能。
収容人数:乗員3名+乗客25名
初飛行:1958年4月22日(モデル107原型機)


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