観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

宝塚駅 JR西日本)福知山線

2016-09-11 11:01:02 | JR西日本 東西線・宝塚線・福知山線

宝塚駅は、兵庫県宝塚市栄町二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・阪急電鉄の駅である。駅番号は阪急電鉄がHK-56。1日平均乗車人員がJR宝塚線内では最も多く特急列車を含む全列車が停車し、当駅折り返しとなる列車も多数運行される、線内中枢駅の一つです。

阪急側の駅の高架化以前、駅前から宝塚ファミリーランドへの道筋には土産物店が並んでいた。このように、温泉地として開発され、小林一三の手によって発展を遂げた宝塚駅周辺は行楽地の雰囲気をたたえていたが、宝塚ファミリーランドが閉園してからはそれも薄らいでいる。

宝塚市の中心駅であり、JR西日本の福知山線と、阪急電鉄の宝塚本線・今津線の合計3路線が乗り入れる。福知山線は「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。
JR西日本の駅は、JR宝塚線という福知山線の路線愛称が示すとおり同線の中核をなす駅であり、すべての営業列車が停車する。JR発足前後から輸送改善を続けた結果、大阪方面へは所要時間の面で阪急より優位に立っており、もはや日本国有鉄道(国鉄)時代のような阪急の輸送シェア独占状態は解消している。なお、当駅の正式な駅名の「塚」の表記は市名と同じである(JR塚口駅も同様)。
阪急の駅は、宝塚本線と今津線の共通の終着駅である。もともと当地は阪急の牙城であり、それを反映してか駅の規模も大きい。戦前には当駅からさらに有馬温泉まで線路を延ばす計画があったが、六甲山系の山々に阻まれて実現することはなかった。
両駅は駅前ロータリーをはさんで屋根つきの歩道橋(エレベーター・エスカレーターあり)で結ばれており、乗り換えの便がよい。タクシー乗り場はJR側・阪急側の両方にある(JR側は主に立花神姫タクシー(旧全但タクシー)、阪急側は主に阪急タクシー)。ロータリーには阪急バスや阪急田園バスに加え、阪神バスに西日本JRバス・JRバス関東の「ドリーム号」が乗り入れる。阪神バスおよび「ドリーム号」はJR側、阪急バスおよび阪急田園バスは阪急側に(大阪空港行きのみJR側)乗り入れる。当駅前に阪神バスが乗り入れているのは、かつて阪神電気鉄道が宝塚までの鉄道路線の建設を計画し(宝塚尼崎電気鉄道)、その後計画が専用道路(現・兵庫県道42号尼崎宝塚線)を走行するバス路線によって代替されたためである。
両駅とも、ICOCA(JR西日本)およびPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)の利用が可能。加えて阪急の駅ではラガールカード等のスルッとKANSAI対応各種カードが利用できる。

単式・島式ホーム複合2面3線を有する地上駅。南側の単式ホーム(1番のりば)が三田・篠山口方面行き、北側の島式ホーム(2・3番のりば)が尼崎・大阪方面行きホームとなっている。下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりば。中線である2番のりばは両方向の入線・出発に対応しており、現行ダイヤでは大阪方面の当駅折り返し・待避列車が使用している。過去には三田方面の列車が2番のりばに入線して後続列車の待避を行っていたこともあった。
利用客数が比較的多いにもかかわらず、2008年まで戦前からの駅舎を改装して使用しており、阪急のものに比べ見劣りするものであった。また地上駅時代、各ホーム間は跨線橋で連絡していたが、エレベーターやエスカレーターはなくバリアフリー面で課題があった。そのため2006年6月より駅の橋上駅化に着手し、2007年9月にはエレベーター付きの仮跨線橋が設置された。2008年4月には70年以上に渡って使用されてきた駅舎を閉鎖して仮駅舎へ移転、同時に長距離特急・急行が停車していた時代の名残でもある有効長の長いホームを活かし、列車の停車位置を三田側に移動して駅の営業が工事に支障が出ないようにした。2010年2月に完成した新駅舎は、広々とした改札に加えて、駅商業施設(エキマルシェ宝塚、3月8日開業)を併せ持つ利用状況に見合ったものとなっている。旧駅舎の解体後は、2面4線への拡張に備えた構造になっている。
2005年4月25日のJR福知山線脱線事故発生後、同年6月18日まで当駅 - 尼崎駅間が不通となり、三田側からの列車は当駅で折り返すこととなったが、折り返しに使用できるのは2番のりばのみであり、ラッシュ時には跨線橋が乗客であふれかえる事態となった。そのため、駅本屋に直結(当時)していた1番のりばの線路上に仮設ホームを設置し、本来2番のりばである線路を1番のりばとして使用した。この仮設ホームは運転再開の前日である6月18日に撤去された。
非電化時代は相対式ホームに中線1本という駅構造だった。また改札制限をしており、旧駅舎のコンコースが広かったのはこの名残である。
当駅から生瀬駅方面に惣川まで側線があり、砕石ホッパーから線路のバラスト用砕石が積み出される。俗に「惣川工臨」と呼ばれるDE10形牽引の砕石列車がこれを輸送している。
駅長が配置された直営駅であり、管理駅として福知山線の伊丹駅 - 新三田駅間の各駅を管理している。

JR宝塚駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 G JR宝塚線 下り 三田・篠山口方面
2・3 G JR宝塚線 上り 尼崎・大阪・北新地方面 2番のりばは当駅始発・待避用

朝のラッシュ時は大阪方面の運行本数が非常に多い。日中は1時間あたり快速(丹波路快速含む)・普通とも4本(快速の2本は当駅折り返し)が発着する。夕方時間帯は福知山行きの列車も発着する。JR東西線に直通する快速は朝晩のみ設定されている。
初電は4時52分と早く、終電も0時44分(新三田行き)であり、当駅終着の終電到着は0時58分である。当駅での夜間滞泊は行わず、北伊丹駅まで回送される。

かつてJR宝塚駅では国鉄時代から駅弁の販売が行われており、末期には駅構内にある改札口手前の売店で販売していた。ちなみに淡路屋は当駅および生瀬駅における駅弁の販売を端緒とする。

1897年(明治30年)12月27日 - 阪鶴鉄道が池田駅(現在の川西池田駅)から延伸した際に、終着駅として開業。旅客・貨物取扱開始。
1898年(明治31年)6月8日 - 阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸。途中駅となる。
1907年(明治40年)8月1日 - 鉄道国有法により国有化。国有鉄道の駅になる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。阪鶴線の駅となる。
1912年(明治45年)3月1日 - 阪鶴線の福知山駅以南が福知山線に改称し、当駅もその所属となる。
1934年(昭和9年)頃 - 新駅舎竣工。この駅舎は2008年まで使用される。
1966年(昭和41年)3月 - 特急停車駅に昇格。
1979年(昭和54年)7月1日 - 貨物取扱廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2005年(平成17年)
4月25日 - JR福知山線脱線事故発生。福知山線は当駅から大阪側が運休となり、運転再開まで三田側への折り返し運転が行われる。
6月19日 - 福知山線、全線運転再開。仮設ホームは前日に撤去された。
2007年(平成19年)9月1日 - エレベーター2基を併設した仮跨線橋を設置。
2008年(平成20年)4月12日 - 仮駅舎・仮ホーム(三田側に延伸設置)供用開始。従来の駅舎・跨線橋・ホームの一部(大阪側)は前日をもって閉鎖。
2010年(平成22年)
2月20日 - 橋上駅舎の供用開始。
3月8日 - エキマルシェ宝塚が開業。

電報略号 ラカ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 32,487人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1897年(明治30年)12月27日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有


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