観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

鹿児島本線生みの親(串木野駅舎前) 長谷場 純孝

2018-11-08 04:43:46 | その他 施設など

串木野駅舎前に、鉄道国有化と鹿児島本線敷設の功績を讃え、胸像が建っている。国道3号線(鹿児島~熊本間)や鹿児島本線(鹿児島~川内間)敷設等の功績がある。
長谷場 純孝(はせば すみたか、嘉永7年4月1日(1854年4月27日) - 大正3年(1914年)3月15日)は、日本の政治家。

衆議院議員(11期)。

薩摩国日置郡串木野村(現在の鹿児島県いちき串木野市)出身。父は鹿児島藩の郷士。1871年に東京に上京。1872年、警視庁の羅卒(巡査)となり、少警部に進む。1877年、故郷へ戻って私学校に入り、西南戦争には西郷隆盛方として参加し、捕虜となる。1880年、特赦により出獄。

出獄後より国会開設運動に携わり、1885年から1887年まで鹿児島県会議員、1887年から1890年まで鹿児島の4郡の郡長となる。1890年の第1回衆議院議員総選挙で鹿児島県から当選し、以降11回連続当選。のち政友会設立に関わる。1908年から1911年にかけて1度目の衆議院議長を務めた。また、1911年の第2次西園寺内閣で文部大臣を務めるが、翌年病にかかり辞任。1914年、2度目の衆議院議長に就任し、シーメンス事件での混乱の中、議会の運営に当たるが、就任わずか9日で動脈瘤破裂のため急死する。

栄典
1910年(明治43年)12月27日 - 従四位
1912年(大正元年)12月18日 - 勲三等瑞宝章
1914年(大正3年)3月15日 – 従三位・勲二等旭日重光章

8620形蒸気機関車は日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。


68660号は大正12年につくられ鹿児島本線開通後の大正から昭和にかけて急行列車などに使用されていました。


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