観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

F-104 航空自衛隊

2014-08-23 08:33:22 | 自衛隊/車両/その他

F-104 は、ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機。愛称はスターファイターです。

F-100 スーパーセイバーに始まるセンチュリーシリーズの一員とされ、また、第2世代ジェット戦闘機に分類される、アメリカ合衆国初のマッハ2級のジェット戦闘機。初飛行は1954年2月。
細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを一基搭載している。その卓越した高速性と形態はミサイル(当然無人である)を彷彿させ、日本やアメリカにおいては「最後の有人戦闘機」とも称されました。
アメリカ空軍では短い期間の運用に終わったが、冷戦下において日本やイタリア、中華民国(台湾)や西ドイツなどアメリカの同盟国や友好国を中心に、世界15ヵ国で供与・運用されました。1960年代に勃発したベトナム戦争のほか、第二、第三次印パ戦争等の実戦に投入されました。
高度な操縦・整備技術を要し、高価であった事もあり、南ベトナムや大韓民国、フィリピン、南アメリカ諸国をはじめとする発展途上国への供与はF-5A/Bへ譲られたが、ライセンス生産を含め2,578機が生産されました。初飛行後から半世紀を経た2004年、イタリア空軍に所属したF-104S退役を最後に全機退役となりました。

機体は高い縦横比、つまり、細長く、尖った機首に向かって先細りになる胴体内にレーダー、コックピット、機関砲、燃料、着陸装置、およびエンジンが余積なく搭載され、前面投影面積は小さく纏められました。小面積の主翼と相まって、誘導抵抗が非常に高くなる高迎角時を除いて、抗力を非常に低く抑えたものとして、充分な加速力、上昇力と潜在的最高速度を発揮することとなりました。その反面、持続旋回性能は不十分なものであり、F-104A/Bに対してM1.8/550ノットまではフラップの使用を可能にする変更により操作性を改善したものの、制御入力に敏感で操縦を困難なものとしました。
単座型の他、何種かの複座練習機型が生産されました。それらは一般に単座機と同様の内容ながら、追加コックピットのために、機関砲と内部燃料の一部を取り外すことになりました。首脚格納部は位置を変えられ、収納方向が後方に変更されました。複座型は垂直尾翼面積の僅かな拡大と機体重量に係わらず、サイドワインダーを使用した戦闘においては初期の単座機と同等の性能を発揮しました。

航空自衛隊は、G型を基に日本での要撃任務用途にあわせて火器管制装置などを改良したF-104J、および複座の練習機F-104DJを採用しました。日本にとっては、独自で機体選考を実施した最初のジェット戦闘機ともなった。航空自衛隊では栄光という愛称を持っています。三菱重工業がライセンス生産を担当し、細い胴体に極端に小さな主翼という形状から、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もあります。F-15Jの配備に伴い、1986年に全機が退役しています。

J型1号機は1961年(昭和36年)6月30日に米国で初飛行、フライング・タイガー・ライン(貨物航空会社 フライング・タイガース)のCL-44により空輸された。3号機までは完成機として輸入され、国内で再組み立てされました。続いて17機が三菱重工業でノックダウン生産、160機がライセンス生産された。DJ型は20機全てが完成品輸入で、国内で再組み立てされました。
1963年から1966年にかけて、第201から第207までの7個飛行隊が新編されました。1964年(昭和37年)10月から第202飛行隊がアラート待機を開始、1965年(昭和40年)には所要飛行隊を維持することが難しいとして、J型30機のライセンス生産による追加調達が決定。1967年(昭和42年)度に計230機が配備されました。

F-104J は要撃機という日本の要求にあわせてM-2爆撃コンピュータを取り外しており、NASARR F15Jも、F-104Gの搭載したF15Aと異なり対地攻撃の機能を持たない。空中給油については、C型以降は給油口が一点加圧式であるため、空中給油プローブを取り付ければ可能だが航空自衛隊は装備していない。なお、給油口の位置自体は左エアインテイク前方で自衛隊機もその他の空軍機も同じです。諸外国のF-104もプローブは着脱が可能で、装着したときの最大速度はマッハ1.75に制限されました。武装はM61 バルカン 20mm ガトリング砲とAIM-9B/Eサイドワインダー空対空ミサイル、2.75in FFARロケット弾を装備できる。ロケット弾の装備は、当時のサイドワインダーでは全天候戦闘を行う事ができなかったからである。バルカン砲は当初装備の予定はなく、C-1契約の180機は未装備で引き渡されている。後にバルカン砲が搭載されたが、F-104J計210機のうち、装備した機体は160機前後に留まりました。未装備機の機体の銃口はふさがれ、空きスペースには予備の燃料タンクを有していました。

全長:16.7 m(ピトー管含まず)
全幅:6.69 m
全高:4.11 m
最高速度:Mach 2.2
発動機:GE製 J79-GE-7 ×1基
推力:A/B 7170 kgf
最大離陸重量:12,490 kg
固定武装:M61 バルカン 20mm ガトリング砲1門
搭載兵装:AIM-9サイドワインダー空対空ミサイル×4発、ロケット弾ポッド、無誘導爆弾など
生産数:(F-104A:153機 F-104B:26機 F-104C:77機 F-104D:21機)

三島由紀夫は 1967年12月5日に航空自衛隊百里基地でF-104に体験搭乗し、その際の経験を元にして1968年2月に「F104」と題した短編を著しています。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鳥ノ木駅 JR四国 予讃線 | トップ | 安土駅 JR西日本 東海道本線 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿