観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

早雲の里荏原駅 /井原鉄道井原線

2013-05-08 06:08:01 | 瀬戸内海 JR西日本呉線 / 文化の井原鉄道

早雲の里荏原駅(そううんのさとえばらえき)は、井原鉄道の本社、車両基地が併設される、運行上の拠点駅です。岡山県井原市東江原町にある、井原鉄道井原線の駅です。駅前には84台分のパークアンドライド用、駐車場があり、駐輪場も整備充実しています。

北条早雲(伊勢盛時)の故郷であり、当時は備中国後月郡荏原庄(えばらのしょう)と呼ばれていことにちなんでいます。

単式1面、島式1面の2面3線のホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。1・2番のりばが島式ホーム、3番のりばが単式ホームである。


無人駅であり、跨線橋を使って直接ホームに入る形になっている。駅構内(清音方向)に本社・車両基地がある。また北側駅前ロータリー「早雲の里交流センター」があり、待合所としての機能を果たしている。ホーム待合所があり背もたれも省略された椅子があります。

北条 早雲は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖です。伊勢 宗瑞とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきたが近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流です。

1950年代に発表された藤井論文以降、伊勢氏のうちで備中国に居住した支流で、備中荏原荘(現井原市)で生まれたという説が有力となり、その後の資料検証によって荏原荘の半分を領する領主(300貫といわれる)であることがほぼ確定しました。

早雲の里荏原駅プラットホーム
ホームは優等列車の待避もないわりには井原線の駅では最も整備されています。
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■井原線 下り 井原・神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面 通常はこのホーム
3 ■井原線 上り 清音・総社方面 一部列車のみ


2番線を上下本線、1・3番線を上下副本線とした一線スルー構造であるが、実際の運用では、井原線に各駅停車しか運行されていないため、下り列車は1番のりば、上り列車は2番のりばを使うのが基本である。3番のりばは専ら当駅止まりの列車の降車ホームとして使われるが、線路保守の観点から清音方面への上り列車も僅かながら使用する。なお、当駅始発の下り列車は出庫後直接1番のりばに入線してくる。

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

電報略号 ソエ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 無人駅

 

 

 


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