神は慈愛なり

神はこの世界を真実で創造されたからには、真実をもって生きる。

神。

2011-07-13 13:16:11 | Weblog
聖書。

父におり、父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。

もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。

そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。

父が子によって栄光をお受けになるためである。

何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

それは真理の御霊である。

この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないで、それを受けることができない。

あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。

あなたがたのところに帰って来る。

もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。

しかし、あなたがたはわたしを見る。

わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。

わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。

わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。

わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にあらわそうとされないのはなぜですか」。

イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。

そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。

わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。

これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。

わたしは平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。

もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。

父がわたしより大きいかたであるからである。

今わたしは、そのことが起こらない先にあなたがたに語った。

それは、事が起った時あなたがたが信じるためである。

わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。

この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。

しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。


神=父=御子

三位一体(同人物である)