神無月の巫女の16年越しの再来ともいうべき漫画「姫神の巫女」が、連載されたのは、当時コロナ禍のどん底だった2020年の5月のことでした。ちょうど今から3年前。もう、そんなに経つのか…。このニュースはYahoo!でもかなり喧伝されたのですが、カルト人気だったこの作品がいつまにか百合作品の歴史に刻まれ現在も語り継がれる事態に驚いたものです。
カドカワ系列出版社の月刊誌にて毎月連載され、2021年の年末に最終話を迎え、コミックスは全三巻で完結。今回は遅まきながら、その最終巻のレビューをするものです。この表紙はおそらくアニメDVD最終巻の巫女服でワルツのパロディなんでしょうね。
雑誌掲載時のレビュー(【あれからの神無月の巫女、これからの姫神の巫女(まとめ)】)で、すでに最終話までの感想はすませていますので、今回は概論になります。
生れ落ちた日時が同じふたりの少女が、16歳の誕生日に命を奪い合う、とある島の儀式。
御神巫女として敵対するはずの皇月千華音と日乃宮媛子は、協定を結び、一時的に都会で友だちごっこをすることになります。ふたりは互いの使命と自分の恋心に揺れながら、決闘の日を迎え、さらにその後、悲しい定めから逃れるのですが…。
2014年10月に完結したウェブノベル「姫神の巫女~千ノ華万華鏡~」を原案とする本作。
原作者の介錯先生が「現代版百合度を増した」と称したとおり、いくつかの改変事項があります。さらには神無月の巫女そのものと比較してもファンには嬉しいアレンジもわんさか。列挙してみると、
・アニメ版神無月の巫女をリフレインさせる演出
連載第一話は、あきらかにアニメ版最終話Cパートの交差点での再会を意識したつくり。初回のラストはED絵をパロディした構図でツイッターでは大盛り上がり。他にもセルフオマージュだとわかる名珍場面があります。
・「姫子」と「千歌音」の日常劇と紛れ込む事件
全20話のうち、ほぼ半分は儀式の直前までと、その後日談の日常シーン。とくに前半のデート部分は、神無月の巫女ファンが待望した、転生後のひめちかが幸せな生活を送るという夢を公式が実現させたもの。儀式までのふたりの緊張感をはらみつつ、ときには刺客とのバトルもあり、陰謀もあり、ハラハラドキドキ。ロボットではなく等身大で闘う剣戟場面も見ごたえ十分です。なお、これまでのひめちかシリーズではなかった私服姿がかなり多いのもポイント高め。
・近江和双磨がなんと女性に!!
ウェブノベルでもいけすかない監視役のソウマ。御観留役のこの人を含め、九頭蛇の連中もなんと神無月の巫女のオロチ衆たちの客演で、しかも女体化。とくにコロナまがいの彼女はなかなかいい活躍を見せます。ヒール役のソウマ子も「百合のあいだに割って入る男を去勢するため」の存在感のない状態ではなく、むしろ、女だからこその願いや古いしきたりから逃れられない体質の体現者というべきで、狂ってはいるけれども、最後は憎めない立場なんですね。
・媛子の暗躍と千華音の懊悩
ほかの神無月の巫女シリーズと異なるのは、かなり積極的で、かつ、したたかな「姫子」像が拝めること。そして強く美しい剣士でありつつも恋心に惑わされていく「千歌音」。御霊鎮めの儀式を境として、前半は千華音の、後半部は媛子の内面に迫る構成。ウェブノベル版の既読者でも台詞やふるまいにミスリードを誘うような仕掛けがあったりして、存分に楽しめます。やはり真骨頂は神嫁の成婚式以後の騒動のあたりでしょう。
・令和ならではの時代性を加味
神無月の巫女は昭和の話らしいですが、アニメでも原作でも時代設定がややわかりづらい節がありました。本作ではタピオカドリンクやスマホ、SNSなど、あからさまに現代性を前面に押し出し。IT世代の媛子だからこその思い出づくりも、来栖川姫子の写真好きを彷彿とさせてファンには嬉しい仕掛けです。
・新しく固い愛をつむぐ媛子と千華音
漫画版「姫神の巫女」の最大の特徴は、もちろん、島の軛から逃れた媛子と千華音がつつましく暮らしながら家庭を築いていること。つまり学生時代の淡い恋愛にとどまらず、しっかりと大人の責任を果たす。神無月の巫女では死別し、あるいは百合心中をし、幸福な未来は来世に先送り。けれども、姫神の世界では、いわば互いの生と死を奪い合う殺人者でもあったふたりは、その過ちをあらため、勇気をもって生まれ変わったといえるのです。そうです、美しい輪廻転生ではなくて、死んで人生をリセットしたいでもなくて。いまの現世のまま、みずからの騙し、かどかわしの過去を悔い改め、ふたりで幸福を築き上げていこうとする。そんな温かみのあるラストは、コロナで荒んだ世の中にあっては待ち望まれたものでしょう。
ふたりだけの恋愛関係、その愛憎劇だけに焦点をあてがちですが。
最終話に登場した九頭蛇の一人に対する千華音の対応も、胸を打つものがあります。媛子を慕う彼女をみて、無碍に打ち倒そうとせずに、その友愛を受け入れようとする。誰からも愛される媛子だからこそ、自分も大切にしたいと願う。島の掟は厳しいものだけれども、皆殺しにするぐらいに憎んでいるわけでもなく、島は島なりの規律で温存され、そのいびつな価値観を否定するものではない。自分と異なる考えや生き方を受け入れはしないが、距離をおいてつぶしまではしない。それこそがまさに多様性にほかならないのではないか。そんな慈悲というものを教えてくれたような結末でした。
さて、漫画本編じたいも、カバー裏にあるおまけ漫画も含めて大満足の全三巻。
最終巻の驚きは、柳沢テツヤ監督の応援イラストと、脚本家植竹須美男先生のあとがきによせて。そして、この第三巻のレビューをどうしてもすぐ出せなかった理由がまさにここにあります。柳沢氏のコメントはいいのですが、植竹氏の文面は当時かなり理解に苦しみました。いい意味でも、悪い意味でも。
アニメ神無月の巫女で没案にあった、姫子の「お母さんになりたい」「千歌音ちゃんの娘になりたい」語りとか。謎の百合漫画の解説だとか。現代の百合漫画は豊富ですばらしいとか。平成令和の百合漫画の状況はこうだが、しかし、自分たちは当時ウェブノベルでこういう百合を描きたくて発表したのだ!といったような制作意図めいたものが、ファンは読みたかったのだと思うのですよ、そこは。アニメ神無月の巫女のときの熱量がもはやそこにはないのでは、そんな予感すらします。「これからもよろしくお願いします」という弁もありながらも。多分、この頃からかなり病状は進んでいたのでしょう。
植竹氏ひとりはこのコミカライズにあたっては、なんとなく原案の一人ではありながら、どこか冷めた目でこの物語を眺めていたのでは、そんな空気感を私は感じ取ってしまい、レビューに起こすのがためらわれていたのです。私のこのひねくれた感想は本来は自分の胸にしまっておくべきものでした。
そうこうするうちに、今年の二月に植竹氏はあっけなく急逝されてしまいました。
私が読んだ植竹節は、この姫神の巫女の寄稿が最後になったわけです。現在も、神無月の巫女のブックレットやらの外伝小説や「京四郎と永遠の空」のノベル文庫を読みなおしていますが。もうこの人の手掛ける神無月の巫女の続編が拝めないのだと思うと、虚しくなります。来年は20周年だというのに。
この姫神の巫女は最終巻を迎えましたが。
2021年末のコミケにて、「HIMEGAMI AFTER」という後日譚が介錯先生描き下ろし同人誌で発表されています。それについては稿をあらためることにしますが、今後、前世編もふくめて、アニメ化は厳しいかもしれないがせめて漫画なりで作品化されていけばいいなと、ファンの一人としては思う次第です。神無月の巫女に関わった関係者の皆様は、今後とも、さらなるご多幸と健康をお祈り申し上げます。
激しい憎悪や裏切りへの怒りに震えながらも、敵を信じ愛することで未来に進むことができた、自分を赦すことができた。愛する者のために犠牲になりながらも、自分は誰よりも幸せですと笑って死ぬことのできた、この美しい物語を、私はいつまでも愛し続けるでしょう。自分のありのままを認め、生まれなおした気分になれば、明日からでも、きょうこのときからでも、人生のやり直しはできるのです。この作品は私にそのことを教えてくれたのです。
(2023年5月7日)
*漫画「絶対少女聖域アムネシアン」&ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほか関連作レヴュー一覧*
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