陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

オタクが陥りやすい趣味貧乏

2022-02-03 | 二次創作論・オタクの位相

とあるニュースサイトで、衝撃的なことを知りました。
20代後半の女性小学校教員が売春のかどで逮捕されたという。女性は趣味の濫費で消費者金融に借金があり、給与では賄えなかったので副業としておこなっていた、ということです。当然ながら懲戒免職処分にされました。

まず、教員という立場でからだを売って稼ぐという、いびつな発想が考えられません。
保護者ふくめて顔が知られる仕事をしているし。そもそも倫理観からしてありえない。お金をもらっていなくても、相手が同性限定でもありえない。不特定多数と奔放に関係を結ぶような人間を先生と呼ばせますか。世の親御さんならば絶対に反対するでしょう。世も末だと思いますわ。

ただし、今回の記事の主旨は聖職者の性倫理の問題ではありません。
「趣味の濫費で消費者金融に借金があり」という部分です。

ビジネス系のニュースサイトでもよく、高給取りなのに趣味にお金を費やして貯金がない、という取材があったりします。
お子さんがいたり、住宅ローンがあったりで生活が苦しいことが多い30代、40代でも。けれど独身貴族で自分の自由にお金が使えるからと散財してしまう。なぜ、金銭感覚が狂いやすいのでしょうか。

お金を払うことでいい気分にさせてもらった、そんな快体験が忘れられないからです。
ものを多く買うことで、自分は豊かだ、社会の勝者だ、と誰かに知らしめたい。ブランドを身に着けたら、自分が高級な人物にみえる。芸能人でもいますよね、昔は貧相な顔つきの芸人さんだったのに、出世したのかいいスーツをまとって文化人みたいな顔をされているとか、けれども言動に品がないとかね。やたらお着物を召したがるご婦人とかもね。勝手ながら、子ども時代に劣等感のある暮らしをされていたのではと邪推してしまいます。

価値のあるものにお金を払うのは経済効果としては、悪くはありません。
でも、現在の日本は、妙なところへお金が流れ過ぎているような気がします。そして、マネーが注ぎ込まれているはずなのに、本来、そこで儲けていいはずの人が利益を得ていない。

そのひとつがオタク産業です。
人気アニメの映画の興行収入が億単位突破という知らせがきます。ファンがこぞって劇場に通い続けて数字を押し上げているのでしょう。あのキャラを百億の男にしよう、なんていうキャンペーンがSNS上で繰り広げられていたりする。でも、ビリオンヒットを飛ばそうが、実際に利益を得るのは配給会社であって、映像化権として原作者に入る実入りは固定らしいです。

私の子ども時代と違って、アニメや漫画の応援のしかたも様変わりです。
円盤が売れないせいか、関連グッズや、ゲーム化などのメディアミックス展開、2.5次元コンサートなど各種イベントでファン活動の幅をひろげ、末永く、太く、ファンに貢がせようとする。ファンもそれをお布施と称して、正しい消費活動だと信じてやまない。ガチャという絵を引かせる課金ゲームは、もはやギャンブルでしかありません。グッズのブラインド商法も、見本と違うもの(受注生産締切あとにサイズやデザインを変更する)をネット通販させる遣り口も眉をひそめたくもなります。

でも、友だちは買えるはずのものがうちのお小遣いでは、私の給料では買えない。
そんな若い子たちが「親ガチャ」と言って生まれを恨んだり、お金欲しさにパパ活をはじめたり、ユーチューバー(いまだとVtuberか)で稼ぎたいとか言い出したりしてしまう。ヘンだなって思うんですよ。でも、わからなくもない。その界隈のトップで居たいがために、承認欲求を満たすために、モノで自分を誇示しないといけないからなのでしょう。そこにしか居場所がないからです。

芥川賞受賞作の『推し、燃ゆ』にも、男性アイドルに入れあげるあまり高校中退してしまう女の子が描かれていましたけれども、それに近い子が多いのでしょう。
何かに熱中することで、趣味のサークルで連帯感を強めていくことでしか、青春の煩わしさをまぎらますことができずにいるといいますか。若い子と言っているけれども、大人でも同じです。「沼」という言葉で可愛らしく言っているけれど、恐ろしい感覚ですよね。私と同じようにお揃いであの商品を買わないと仲間外れにされるのなら、お友だちではなくて、それはねずみ講でしょう。

お金をかけた分だけ、賞賛されたい。それのファンであることを誇りたい。
だから作品やら作者やら、もしくはキャラ、アイドルの価値が下がることをすごく恐れているんです。人気がガタ落ちしてきたら見放し、ネット上で脚光を浴びたらぶら下がろうとする。それは、ほんとうに好きなのだと言えるのでしょうか。私もよくわからなくなってきましたね。単行本が出たら買う程度の応援しかしないですし、その作家が有名だから推してるんじゃないですし。お金をかけられなくなったから、その作品の悪い部分をあげつらってさよならしたいわけでもないですし。対人間でもそうですが、その作品とお付き合いした体験は、いくら貢いだとか、いくら字数で書いてきたとか、そういう目に見えるもので換算できるものではないでしょうから。買い物依存症はメンタル病んでますしね。

趣味活動が経済の中心になる、というのは国が安定していることの証でもあります。
紛争地域や飢餓の多い国ではありえないことですから。でも、度がすぎると、それはもはやカルト宗教のようなもので、生きかたを縛ってしまう恐れがあります。上記の女性教員も、ほどほどに趣味を楽しんでいたら、借金を抱えることも、失職することもなかったでしょう。若い女性で、男性がやさしくしてくれる上にてっとり早く稼げるので水商売をしたいと考えるひとがいるらしいですが、女性をお金で買うような男性は鬱屈していて女性を見下しています。イマジナリー恋人としてキャラクターに貢ごうとするのも、ホスト狂いしている女性と同じですよ。

あと、趣味で濫費しての借金を自己破産で返済義務を逃れたという話も聞きますが。
そもそも自己破産をしたという時点でまともな人間関係をなくしますし、そのあとローンを組めなくなったり、契約できなくなったりもしますから、おススメしません。こういう欲望を制御できない手合いに保証人なんか頼まれたら地獄への道連れですよ。

自分の人生を犠牲にしてまで、生活費を削ってまで、家族や友人との関係を壊してまで、好きなものを応援する必要はありません。私はそう思っています。推し活のご利用は計画的に。

(2021/09/15)

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