
オタクの祭典と呼ばれるコミックマーケット。その参加者の高齢化が進んでいるのがネット上で話題となっているようです。若年者の人口が比較して少ないんだから、という正論はさておき。
私自身はコミケに参加したこともなく、その予定も生涯ないでしょうが。
出品者はともかく、参加することに意義を感じている人もいます。私が行きたがらない理由は、人混みが嫌い、並ぶのが嫌、作り手の顔をみてものを買いたくはない、無駄な本を買って散財してしまいそう、などです。コミケに並ぶ人のマインドを全否定していますね、ごめんなさい。
30代以上になりますと仕事でも責任が出てきますし、育児や介護などの家庭内の問題もあります。
一定年齢以上でコミケ参加できるのは、心身共にアグレッシブかつ経済的に余裕があるからだ、という見方もできそうですね。
オンラインで二次創作をしている身の上なので、コミケだの同人誌それ自体の存在を否定しはしませんが。
同人サークル参加や、同人誌やグッズ販売をなにかとても偉業のように語る人は、やや苦手なのかもしれません。私が過去にどこそこに論文載せたよ、と語っても、何それ読まないよ、とおっしゃる市井の方が多いのと同じで、興味のない人にははたしてどうでもいい業績だからです。難関資格のように履歴書に書けるわけでもありません。でも、一定数、そこに集う人はいるわけで。
同人趣味は極端としましても。世の中にはいろんな趣味道楽があります。
カフェや居酒屋巡り。バイク走りや車の改造。プラモデルやパズル。ゲーム課金に動画制作。釣りや登山、楽曲演奏、コスメや香水集めや古本のコレクション。占いヲタク。盆栽趣味、家庭菜園。映画鑑賞に美術館巡り。就職に役立たぬ資格マニアもある意味道楽人です。
30代前半ぐらいの頃、40代半ばぐらいの、いわばバブル期世代の人に、「趣味がなければ自分は生きていけない」と豪語されたことがあります。
何を話しても、自分が頑張っている天体写真の話。ダウンロードするのに重すぎる星空の画像を一方的に送り付けられたときには閉口しました。仕事の話は一切なし。あとは、いかに自分の育ちが不幸であったか。同居している毒母への呪い。ロマンチストに見えるけれど、なにか子どもがそのまま老けてしまったような違和感を覚え、その後、交流を断ったのですが。実際は写真は体裁のいい外向きの趣味で、煙草やお酒が好きで、休日はいつもギャンブル。社長令嬢と結婚してのし上がるのが夢で、なのに勤め先も偽っていて派遣社員だったという事実までわかってしまいました。あまりに趣味を綺麗に語る純朴な姿とかけ離れすぎて、これが詐欺師なのかと思ったくらいでした。実害はなかったのですが。
現在で言うと50代半ばぐらいの世代なので、やはりバブルの野心的な空気感が抜けてないのでしょう。
なぜか、この世代の趣味人のおじさん、おばさんに、私はいい思い出がありません。職場にゲーム機をもちこんでいるおばさんは、仕事のミスを私に押し付け、いつも前職場やら配偶者やらの愚痴ばかり。この人もやはりギャンブラーだった。私をその悪の道にひきずりこもとしたので、縁を切ったのです。この駄弁オバサンと縁を切ったら、私はいい職場に巡り会えました。運気を下げる人だったのでしょう。
私自身も、拙ブログで書いているとおり、まぎれもなくヲタクなのですが。
同じものが好きだからといっても、生き方や信条、金銭感覚や時間の使い方に解せぬものがあって。だからこそ、こうしたタイプを引き寄せないために、サブカル趣味なんて持ち合わせていませんよ、という顔をして働いています。
趣味道楽に人生を全振りする姿勢は、現在の、冷めた賢い若者からも煙たがれる傾向があります。
「釣りバカ日誌」の浜ちゃんみたいに、趣味が嵩じて、社長に気に入られて出世する、なんてことはなかなか起こりえません。ITスキルを教えるのならまだしも、たいがいお偉い人は格下の人間が自分に勝つ部分があると、部下を潰そうとするものだからです。
私は大学院生のころ、祖父母の家に泊まって、なんとなく日曜朝の特撮番組を観ていたら。
朝早くから農作業に出かける祖母にたしなめられたことがあります。いい年をしてまだそんなもの観てるの、子どもみたいだね、と。小腹が立ちましたが、娯楽というものが年に数回の祭りぐらいしか許されなかった、働きづめの世代なら、あたりまえの感覚だったのでしょう。今ならその気持ちわかります。背負っているものが多くて忙しい人間は、遊んでいる人間に憎悪を抱くものですから。ちなみに、今はそんな番組を観たいとも思いません。それどころか、テレビじたい無駄だと思っています。
40代になった私はいま、深夜アニメを観ることもなく、あまつさえ、映画や漫画、小説をむさぼるままに楽しむこともなく在庫はほとんど売り払い。いま自宅にあるのは、非常に厳選されたものばかり。本棚にある本の傾向もずいぶん様変わりしました。
ヲタクらしいものを少なくしていったら、職にも恵まれ、働くことが嫌にならず。
健康にも気遣い、趣味活動に時間を浪費しすぎて後悔することもなくなりました。広げ過ぎた好奇心にふりまわされて、気が散っていたのです。部屋もモノが散乱していました。ゆいいつ、道楽として残っているのは、このブログに延々と好き勝手な駄文を載せていることぐらいなものでしょう。
十年ぐらい前の、少し先輩の「趣味道楽に生きすぎるおじさん、おばさん」に対する悪印象が、今の私の、ヲタクへの近親憎悪的な感情と内省のもとになっているのです。40代半ばになって人生を取り戻せない時期になったときに、現実逃避の二次元ばかり追いかけているような日々を過ごしたいか? 答えはノーでした。絶対にこんな人間になりたくない、人生堕落してしまうぞ、という激しい怒りがありました。
趣味に生きる人は、なぜか、歌舞伎やらクラシックコンサートやらの、あるいはゴルフやらの、そういったお金がかかりそうな、高尚な趣味をもちはじめると、なにがしか自分がひとかどの人物であるかのように装いがちです。私が拙ブログで球に書いてしまう芸術文化関係だの、哲学のなんたるかだの、そういった記事も似たもので、ようするに趣味を箔付けのために利用しているにすぎないのです。
これは油彩画やらパッチワークやら陶芸やら、ヨガやらの、文化的で健康的そうな趣味も同じで。
人に見せびらかし系の趣味は、褒め言葉をもらうことを前提にして招かれるので、こちらとしては気づまりがします。自分の作品の悪いところぐらいは、自分で把握してくれませんか、といいたくなります。暴論をはかせてもらえば、粗大ごみで資源の無駄遣いを誇られてもね、と思うわけです。自分も性格が悪いですね。働き盛り世代は趣味ができる余裕がある人に猛烈に嫉妬しているからです。
でも、そんな趣味を生半可にかじったところで、ちっとも人間として成長することはありません。
働いて、仕事で責務をこなさないと、ひとは一人前になんかなれっこないのです。いくらSNSで趣味の集まりで王様になったところで、それが人生の何の意義になるのでしょうか。人生を変えたけりゃ、もう、その趣味から足抜けするしかないのです。もしくは、ひとりでコツコツ楽しめばいいだけで。
趣味というか自己の満足ばかりを優先して、他者の迷惑をかえりみず、自分が楽しむためならば誰かの時間やお金を奪っても当たりまえ、賞賛されて気分がいいという態度は、とても幼稚で醜いように、潔癖症な私には映ります。
こうした方がたにSNSで出会ったことが契機で、SNS依存をやめられたのは、じつに人生の好機なのでした。
アニメや漫画が好きだからといって必ずしも人格に問題がある、と偏見を持ちすぎてはいけないのですが。
ある意味、趣味で付き合うひとは、会社や配偶者を選ぶぐらいの慎重さで選ばないと、最終的には自分の楽しみを奪われて嫌な想い出にされかねないのです。ちなみに、私は他人の好きを強引におしつけてくる輩が大嫌いなので、自分の低俗な趣味にひきずりこんで体よく利用しようとするひととは絶対に関わらないようにしています。
ですので、私が拙ブログで必死にまもっている趣味嗜好がくだらないように思える方は、どうか無理に付き合わずに、自分の時間や嗜好をもっと大事にしていただきたいのです。世の中には趣味かかずらわうよりも、心を砕かねばならない課題はたくさんあるのですから。
(2022/08/15)