
昨年の安倍総理射殺、いやそれ以前の令和元年あたりからだと思うのだが。
とにかく世の中物騒な事件が増え続けている。つい先ごろも、猟奇的な事件が発生した。
新聞をとらないのでなるべく陰惨な事件を見聞きしてメンタルをやられないようにしているが。さすがに、これは不可解すぎるのではないだろうか?
20代の娘が60代男性の頭部をホテルで切断して自宅持ち去り、精神科医の父や母も共謀していた、と。この娘は医大卒だが定職につかずニート。男性とはダンスクラブで知り合い、交際上のトラブルがあったらしい。にしても家族ぐるみで動画撮影するなど常軌を逸している。なお、この母親はもと学芸員らしい。娘には多重人格の傾向があっての責任能力の判断や、男性被害者側に性加害でリベンジポルノ疑惑もあることから、同情の声があり減刑の署名活動まではじまったという。私怨があるからと人を殺していいわけではないし、感情を逆なでされたからと暴力をふるっていいわけでもない。
精神科医だの、芸術好きだののキーワードでなんとなく家庭像が想像できてしまう。
人の裸だの、心の歪みだのを扱う職性だもの。血を流して怖がらず、トルソなんぞ見慣れたら、人の頭部なんぞ転がっていても屁にも感じないだろう。こうした感覚の鈍磨は、エリートだからと見過ごされて成長過程で躾けられて矯正されなかったケースが多い。
娘の精神障害については、両親は適切に治療すべきだったが、患者を診ながらも我が子を治療できなかったのはなぜか。そして、娘はなぜパパ活に走ったのか。父母双方の愛情のねじれや、どこかゆがんだ父性愛を感じとってしまう。まさか、ビアズリーのサロメよろしく、愛している余りに頭だけ持ち帰りたかったなんてこともなかろうに。
頭がよい男は自分よりも賢くなさそうな、だか美人で愛想がいい女が好きで、頭がいい女は野心的なので働かずに自分を養ってくれるハイスペ男を選ぼうとする。じつはどちらも、本質的には倫理的に賢くはなく、自尊心が低くて主体性の欠片もないのだが、頭の良さが学歴やら職種やらで決まってしまう現況、こうしたエリートのサイコパスは増えていくだろう。歴史上の偉人でも、こうした異常者は少なくなかっただろう。
なぜ頭がいい人が独善に陥るかといえば。
むだな万能感から、他人と協力しなくても願望をかなえてきた成功体験が多く、他人を見下しやすい傾向があるからだ。なまじ察しがいいだけに、他人の粗がよく目につく。生殺与奪の権利を自分が握っていると思いやすい。その裏にあるのは、頭がいいはずの自分が不自由なカッコつかない人生を歩まされたという苦みなのだ。
加害者親子の貌をみれば、けっして凶悪犯罪者の面影があるようには見えない。
なのに、なぜ、こんな事件を引き起こしたのか。それは彼らの心の闇に因があって、まだ解明されてはいない。
この一件で思い出すのは、上級国民と言われた老紳士が交通事故を引き起こして、母子が死亡したにもかかわらず無罪を主張した事件だ。しまいには車に故障があると言い出した。
これがもし、生活保護世帯で、外国人で、あるいは中卒や高卒の親だったら? 母子家庭だったら?
世間は娘が性加害を受けて人を殺しても、それを幇助した家族を擁護するだろうか? いやむしろ、娘のだらしなさなどをなじっていくだろう。
それだけ、私たちは職業だの、学歴だののフィルターで人となりを見誤っているのだ。
エリートだから許されるという社会階層上の特権意識が、モンスターを生みだしている。政治家の庶民の生活を無視した政策もそこにゆきつく。
知能が低い生命体でも子煩悩で、親は身を手して子を守る。
その事実が、進化の頂点にいるはずの人類の、ときたま起きるモラルのゆがみについて、やるせない気分を抱かせるのだ。
私はときおり、こうした事務屋の管理部門ならではのエリート意識で自分を見失わないように、朝方、掃除をすることにしている。
数字を追うだけの頭の作業ではなく、粛々と手仕事をすることで、自分が他人に活かされている労働者であることを再認識したいからなのだ。自分自身を大切にできる人は、気軽に知らない男に身をゆだねたり、命を奪うことにためらいを見せなかったりしないだろう。そうであると思いたいのだ。
(2023/08/06)