
個人事業主たまに非正規で会社勤めだった私がコロナ禍でのトラブルをバネに正社員就職して、経理総務の責任者に。勤め先の経営状態も、規模も賃金もけっして恵まれているとはいえず、社内でトラブルがないわけがありません。
あいかわらず一時間ぐらいのサビ残もある。
経営者も癖があり、管理職の皆さんは文句を呑み込んでコツコツ働く人の好い方ばかり。得意先には横暴な顧客もいて、外注のひとは納期がたまにずれたり品質に問題があったりもする。日々のストレスは溜まります。
けれども、私がその仕事にしがみついているのは、ひとえに、専業個人事業主では得られないものがあるからーーそれは社会的信用。名刺ならば好き勝手な屋号をつけたり、偽名だったり、うさんくさいなんとかクリエイターだとかスペシャリストだとか名乗ってもOK。国家資格も、学歴も、過去の職歴もいりません。ユーチューバーや作家に小学生でもなれるのと同じです。
しかし、勤め先の名前が入った健康保険証があること、金融機関の支店長や取引先の経営者や営業マンにその会社の顔として挨拶をすること、代表者印はじめとした印章を管理できること。就業規則などをはじめたとした重要な社内文書にアクセスできる権限があること。なにより、賞与があり、昇給があり、よほどのトラブルがなければ解雇にされないこと。こうした精神衛生上の安定感は、私のこれまでのキャリアではなかったものでした。
私の後に入社した方は総務としてのフォロー体制がいいのか、ベテラン組と比べますと素直で、きちんと挨拶もしてくれます。離職率を下げて優良人材をなるべく定年もしくはそれ以後の雇用延長でも確保するのが、総務の私の務め。
ときおり、挫けそうになり、かつてのように退職してしまおうかと思ったことは一度や二度ではありません。
でも、そのたびに思い出すのです。毎日求人誌を眺めては、ハローワークの求人を見ては息を吐いていたことを。事務仕事は椅子取りゲーム、本人の能力のみならず、求職のタイミングもものを言います。40歳以上になると、けっして好条件のキャリアアップできる職場に恵まれるとは限らないからです。
最近、とあるニュースサイトで。
ツイ廃だった自称絵がうまい人がアニメ制作会社に落ちてしまったという告白が話題になっていました。それに対する反論は、私の思った通りです。組織が欲しいのはどんな人か? 能力があるのは当たり前ですが、「一緒に働いて気持ちがいい人」なのです。
ところが、ウェブ上に蔓延する働いたら負け、社畜は奴隷というネットミームを信じて貴重なキャリア形成を怠ったまま労働から逃げ続けると、イザ中高年で職探しに困ってしまうのです。新型うつ病のような、好きなことばかりするときは絶好調なのに、他人と協働することができず空回りする。自己評価や主張が強すぎて、周囲にいる人がエネルギーを奪われてしまう。フォローするのに疲れて、組織からはみ出してしまう。
ひと昔前はこうしたタイプは一匹狼タイプの天才肌とか芸術家タイプだとか誉めそやされましたが。現代のSNS評価でまちがった自尊感情を身に着けてしまうと、お笑い芸人や迷惑ユーチューバーのように注目を集めさえれば優秀であるという、ゆがんだ意識をもったまま成長してしまうわけです。そして、おちぶれた芸能人の老後のような末路をたどります。
これはとても恐ろしいことなのです。
ウェブ上で稼げますよとか、ハンドメイド作品で売れますよかとか、そうした他人と関わらずにひとり仕事で生活できるといううまい儲け話が、人付き合いが苦手だと思っている人を囲い込み、労働者としての自己修養を怠らせてしまったのです。
ウェブ上で創作ごっこに勤しんでいるぐらいならば、簿記の勉強を早くはじめればよかった、エクセルだってもっと動かせれば。私はこの年で正社員に戻れたものの、社会人としての経験値の足りなさにいくど打ちのめされたかわかりません。
私がこのキャリア形成上の損益分岐点に気づいたのは30代後半であって、その原因は、当時40代か50代近くの男女と交流して、その人の勤務形態や職種と、その人の言動の対応関係をまざまざと見せつけられたからでした。私と同世代で高卒であってもすでに会社の経理部長として活躍している女性(ただしお局気質なので性格難あり)もいれば、銀行勤めを退職、その後転職を繰り返したあと、自分より年下の資産持ちキャリア女性の入り婿になりたい、なんていう弱者男性もいたりしました。大企業で派遣で働いていれば、高収入男性と出逢いがって専業主婦になれるという夢をみた40代女性もいました。
こうした人間関係の嫌な部分を見て、反面教師になるプロファイリングをし、どうしたら、そういった人生の轍を踏まずにすむかを真剣に考えたのです。
正社員という形態だからこそ、社会人として優れているとか、能力があるとは言えないでしょう。けれども、個人で働く仕事よりも、多くの人を巻き込んで成果を上げる仕事方がはるかに難しく、より高いレベルでの人格の陶冶を求められるのです。
そして万が一、勤め先が廃業倒産したり、もしくは失業の憂き目にあったとしても、自活できるビジネススキルが身に就くためにはやはり10年以上の組織で働いた経験値は必要ではないかというのが、いま正社員になって身に染みて感じているありがたさなのです。
労働の報酬はさらなる仕事という言葉がありますが、組織内での自分の立ち位置を理解して、他人が楽をできるように働くのが良質な労働者であって、かつ、吉野源三郎のいうところの「生産者」なのであって。いたずらに絵だの、文章だの、好き勝手に我流でつくって売れれば一人前と思っているようなうぬぼれやさんは、まだ消費者レベルなのでしょう。
私はこの真実を忘れて、せっかくの正社員ライフを放棄しないために、このいじわるな日記を書き残しておくのです。年を取ったら健康と、かつてはものたりなかった生活ぶりが、実はありがたかったと気づくものですが捨ててしまってからではもう遅いのですね。おそらく、わが勤め先に毒づいていきおい退職した前任者はきっと後悔しているでしょう。会社に砂をかけるようなことをして辞めてはいけないのですから。過去の私に言ってやりたいのです。
(2023/07/29)