おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

コメントを一時停止にさせていただいた理由

2024-03-09 16:26:29 | 日記
「さしあたって」と「とりあえず」ばかりで人生を送りたくないなあ、と、回復中の私は考えています。

とはいえ、機敏に手っ取り早く、という方がありがたいときもありますし、現実の生活のなかでは、むしろその方が喜ばれることが多いのかもしれません。

「ゆっくり」というのは、楽なようで、実はなかなか苦しくつらいものなのです。

「間に合わないやつだ」とののしられる、「まだその程度なのか」と蔑まされる、そんなことを繰り返しているうちに、出来の悪いやつだ、と自分で自分がイヤになる。

周りの人からのそうした軽蔑と自己嫌悪という暗いトンネルをくぐり続けて10年以上が過ぎました。

幸いにも仕事が増え、しかし、それにすぐ対応出来ておらず、まだまだ私は心と体の調子と相談しながら辛抱強く「ゆっくり」をまだまだ担っていかなければならない、と思います。

不器用な私の場合、心を込めて文を綴ろうとすれば、おのずからゆっくりということになってしまいます。

心のこもらないコメントを返すことがないように、しばらくは慣れるために、本当に言葉が届くように、しばらくはコメントを一時停止にさせていただいています。

ご不快に思われても仕方のないくらいの時間、はっきりと説明を描かずに申し訳ありませんでした。

私にとって、心を込めるとは、そうした「ゆっくり」を担うことに他なりませんでした。

私の場合、焦りは、このゆっくりと心を込める苦痛から逃れようとする姿勢をいうのだと、考えました。

身についてもいないものを、既に身についているかのように飾ることを、私は、「虚飾」だ、と、思います。

結局、「虚飾」は焦りの子どもに他ありません。

たどたどしい文で言い訳を連ねました。
コメントには感謝しているのに、コメントを一時的に止めている我が儘をお許しください。

図々しいですが、これからもよろしくお願い致します。

オーウェルが『1984年』を描いてから75年経ったけれど-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑨-

2024-03-07 06:40:19 | 日記
1949年にイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、
小説『1984年』のなかで描いた、鏡の世界では、何もかもが見かけとは反対になる。

例えば、平和省は延々と戦争を続け、真理省は党の偽りのプロパガンダとつじつまが合うように、過去の記録を改ざんしている。
また、愛情省にいたっては拷問を行っている。

......あれ??

オーウェルの小説のなかの世界だけではないようにも、私には思えるのだが......。

最近まで、西欧において、オーウェルの小説『1984年』の読者は、
そこで描かれている薄汚い欺瞞、常時行われる監視、善意による残酷さが、
アメリカと対峙する国、特にロシアにだけ存在する特殊なものである、と半ば確信し、ある種の優越感を抱くことが出来ていた。

「ビッグ・ブラザーと思想警察だなんてSF小説らしく想像力が豊かだ」
とか
「文明世界に住む私たちは、全体主義に汚されることはなく、また全体主義に支配される心配もない」と思えていたからである。

こうした状況が一変したのは、トランプがロシアの独裁的な手法を真似し始めたときからであろう。

トランプのツイートや記者会見は、『1984年』で描かれた言語「ニュースピーク」で行われているかのように、私は感じることがある。

トランプの周囲により、トランプの虚偽発言は「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)だとごまかされてしまい、不都合な事実を掲載した政府のウエブサイトは一掃されてしまった。

また、トランプにとって、最大かつ最重要な戦いはメディアとの戦いであろう。

ファクトチェックを重要視する自由な報道機関によって、トランプの恐れ、その結果として起こる怒りはあおられている。

どんな独裁者にとっても、純然たる真実やそれを表現したものほど危険なものはない。

また、どんな独裁政府にとっても、真実を否認すること、真実を語る勇気のあるひと人々を否認することほど大事なことはないのである。

『1984年』でイギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に描いたディストピアでは、ビッグブラザーと思想警察がテレスクリーンを通じて市民のあらゆる動きを監視し、会話の一言一句を隠しマイクで聞いている。

自分の子どもを含め、至るところに密告者がいて、あらゆる思考、感情、人間関係について政府に密告する。

使用言語は「ニュースピーク」である。

先にも述べたように、この鏡の世界では何もかもが見かけとは反対になるため、

目下のスローガンは「戦争は平和である」「自由は服従である」「無知は力である」である。

党の方針に従わなければ、「思想犯罪」となるため、善良な市民は、「メモリーホール(記憶口)」と呼ばれる深い穴に危険で不都合な真実を投げ入れる。

党の正当性に反対する者は「非実在者」として歴史から抹消される。

オーウェルの描く、この鏡の世界では真実が偽りであり、偽りが真実なのである。

また、愛情はビッグブラザーに向けられなければならないとされ、個人の結びつきは国家に対する犯罪行為で、各人の1番の弱点を攻撃する特殊な拷問によって罰せられる。

思想警察は、この物語の主人公であるウィンストンがネズミを極端に恐れ嫌っていることを知った上で、大型で獰猛なかなりお腹を空かせたネズミが入ったカゴを、彼の顔に押しつけるのである。

警察は、彼が助かるために、彼が言わなければならないこと、感じなければならないことを指示してはくれない。

しかし、まさにカゴの扉が開こうとしたとき、ウィンストンの頭に、発すべき正しい台詞がひらめくのである。

それは、
「ジュリアにやってくれ」

である。

ジュリアはウィンストンの最愛の女性である。

愛する女性を「自ら進んで」裏切った、となれば、ウィンストンの狂気は正され、彼が善良で信頼できる市民として社会に再び迎え入れらえるようになるのは明白だ。

当然ジュリアの方も、同じようにウィンストンを裏切ることによって正気を取り戻していた。

党は彼/彼女たちの服従だけではなく、愛情も欲している。

物語は、ウィンストンが涙を流しながら、テレスクリーンに映るビッグ・ブラザーを見上げ、彼への愛情を確認し、自らに対して勝利を収めるところで終わる。

トランプが登場する前からすでに、スノーデンの暴露文書によって、アメリカ政府が巨大な監視機関となっていたこと、国民には嘘をついていたこと、CIAが『1984年』のなかの「思想警察」とさほど変わらない手法と精神のもとに、精神的・肉体的拷問を行っていることが明らかになった。

「ビッグ・ブラザー」が人の心を読み取り、思考を共生する手段は、独裁者になろうとする者が今日利用することができる監視技術と比べれば、悲しいほど未熟な者であると言えよう。

プライバシー、思想の自由、民主主義が、これほど独裁的に操られる危機にさらされたことは、これまでになかったのではないであろうか。

ところで、
民主主義は、貴重な統治方法であるが、歴史上ではあまり多くはみられない、危険なほどもろいものでもある。

民主主義的な政府をはじめて樹立したアテネは、扇動的指導者によって民衆が悲惨な決断に導かれ、その短期的試みは失敗に終わった。

プラトンは民主主義がそれほど機能しない制度であると考え、自分が理想とする国家ではそれを禁じた。

400年前に西欧で民主主義の先駆者が台頭し始めると、哲学者のホッブズやヴィーコは、その動きが必然的に、混乱と中央集権への復帰を招くと予測した。

過去300年の歴史から、
民主主義はうまく機能している場合は最良の統治形態であるが、
対立、組織の分裂、混乱、腐敗に悩まされると最悪の統治形態となることが証明された。

世界には、今、失敗した何十もの「民主主義国家」が在り、内戦や無政府状態、全体主義者による権力奪取のまっただ中にあるか、そうした方向に向かいつつある。

ちなみに、昔のイスラムの格言には
「人民の人民に対する1年間の専制政治よりも、サルタンによる100年の専制政治の方がまし」
というものがある。

私たちの民主主義がいつまでも安泰だと信じるには、アメリカを含む世界の民主主義国家の多くで復活しつつある反民主主義の傾向に目を瞑らなければならないようになりつつある。

恐怖、不安、国家主義、経済危機、外国人排斥、レイシズムに煽られるかたちで、急進右派の政党や政策が急速に票や支持、社会的信用を集めている。

また、テロなどに対する反射的な過剰反応の影響で、市民の権利は縮小し、監視網が拡大している。

歴史上、民主主義国家が失敗しているのは、下手な決断が下されたり、決断が下されずに政治が停滞したりした結果、混乱に陥ったり、強者による敵対的な権力の奪取を招いたりしたときなのである。

昨日の結果を受けずとも、アメリカはすでに大きく広がる政治不信に苦しんでいる。

この世界は、予想されるトランプによる政権の混乱により、
民主主義がこれ以上機能せず、その結果生まれた政治の空白を独裁者がぴったりのタイミングで埋めてしまうという、
多くの人々が最も恐れていることを現実にすることなど、ない世界であるということを、私は、信じたいと思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から数日間不定期更新になりますが、また、よろしくお願いいたします( ^_^)

ヘイリー氏が撤退してしまうようですね......「いずれは.....」予想していたことではありながら、やはり残念です(/_;)

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

「ここでは起こりえない」ことがいま、ここで起こりうる-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑧-

2024-03-06 06:35:04 | 日記
シンクレア・ルイスの小説『ここでは起こりえない』(1935年)は、2016年以来、まさに今再び読むと特に恐ろしい本である、と思うのは私だけであろうか。

やり手のカリスマ扇動政治家バズ・ウィンドリップが、驚異的な経済的利益の獲得、という大げさな約束を掲げ、有権者の怒りと恐怖を煽り、
さらに愛国心や、伝統的なアメリカの価値観、ユダヤ人や外国人に対する嫌悪の念に訴えかけることによって、
アメリカ大統領に当選する。

......うん??......シンクレア・ルイスの小説だよね??
......なにかにどこかしら似てないかなあ??
......。

その後、ウインドリップは、ヒトラーの親衛隊にも似た民兵の後ろ盾を得て、独裁的な権力を振るう。
......。

ルイスは、ヒューイ・ロングの人格と野望をもとに、ウィンドリップを描いたのかもしれないが、私にはトランプに見えてしまう。

ヒューイ・ロングは、大恐慌時代のルイジアナ州で活動した大衆的な扇動政治家ともいえる現象で人物であり、(私には、)アメリカのの歴史上、最もトランプを彷彿とさせる人物である。

自らを「キングフィッシュ」と名乗っていたロングは、「誰もが王様」というスローガンを掲げていた。

ロングは、ルイジアナ州知事としてほぼ独裁的といっても過言ではない権力を振るっていたが、上院議員に選出されてからも長くその姿勢を維持し、1935年に暗殺されるまで、ルーズベルトに最も嫌われ、大統領選のライバルと恐れられていた。

ただ、ロングの支持基盤はトランプの場合よりもずっと組織化され、その分だけ規模も大きかった。

750万人の「富の共有」クラブ会員、2500万人のラジオ聴取者を従えており、支持者からは1週間に6万通の手紙を受け取っていた。

トランプと同様に、ロングもまた、選挙集会での聴衆からの追従と、盛り上がった集会の雰囲気を堪能していた。
また、どちらもアメリカ国民の味方を巧みに演じた。

シンクレア・ルイスは、ヒューイ・ロングが暗殺されず、1936年の大統領選でルーズベルトに勝利した場合に、アメリカで起きることを想像してフィクションを描いたのである。

ちなみに、フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』も同種の物語だが、その設定は1940年のアメリカ大統領選でリンドバーグがルーズベルトに勝利するというものである。

ルイスは扇動的に大衆の気を引くロングの振る舞い、と、当時(1935年ごろ)のドイツやイタリア、スペインで権力を握ったファシスト政府とを重ね合わせることで、アメリカが架空のファシストに支配されてしまうことを、想像したのである。

恐ろしいことだが、
芸術が人生を模倣するように、人生が実際に芸術を模倣すること、はある。

ルイスの小説『ここでは起こりえない』の出版から約90年が経って、トランプが暴走し、バズ・ウィンドリップの生き写しにならないよう日本で祈るだけの私からすると、
『ここでは起こりえない』がヒューイ・ロングを模倣したように、トランプが実際に『ここでは起こりえない』を模倣するような、ロングの再来になるような、ことがないように強く願うだけである。

ところで、一時的ともいえるような「冷戦の終焉」によって、アメリカの正しさが証明されたという考えが根底にあるような例外主義者たちは、世界を
「私たち対彼/彼女ら」
「善対悪」
と見なしているようである。
また、その素朴な二元論は、さまざまな時代、政権、政党にわたり、アメリカの外交政策の失敗を重ねてきたようである。

第二次世界大戦後の調査で、アメリカは、評判のよい国のランキングトップであり、最下位はドイツであった。

その順位は今は逆転しており、2020年ごろBBCが33カ国で2万4000人を対象に行った調査では、アメリカが世界で2番目に評判が悪い国となってしまった。
最下位はイランであったが、ウクライナ侵攻前の調査であったからではあるが、ロシアよりも評価が低いというときもあったのである。

また、同じ頃のギャラップ調査では、65カ国の6万6000人以上に「今日、世界平和に最大の脅威をもたらしている国」を尋ねた。
その結果は、アメリカが24%でトップであり、次にパキスタンが8%、中国が6%と続いた。
アメリカの悪評の一部は、アメリカが世界唯一の超大国であるがゆえの避けがたい結果であるのだろう。

確かに、大国は当然敵を持つものだし、友好的な相手にさえ嫉妬の念を抱かせると思う。

しかし、アメリカに向けられている怒りは、他国の内政の干渉、民主的に選ばれた指導者の追放、反乱の支援、愚かで破壊的な戦争の開始、偽情報の拡散、他国の資源の搾取など、アメリカが約70年に渡って行ったことに対して向けられている怒りでもある。

個人あるいは国の自己愛は、ある程度であれば受け入れられるが、大きすぎると悲惨な結果を招く。

国の適度な自己愛は、国民に自信を与え、他国からの信頼、自国の明確な意思決定と精力的な行動を促す。

しかし、過度であれば、大きな躓きになることは、個人においても国においても同様である。

何に対してであれ、卑屈な忠誠心は、現実に目を向けた建設的な批判よりも、その対象を愛する度合いは、ずっと、低い。

何の過ちであれ、過ちを見抜いて正せないとき、その過ちはずっと続き、さらに対象を悪化させることになってしまうのではないだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

「ここでは起こりえない」ようなことが、今、再び、アメリカ大統領選を中心とし、世界で起きそうですね^_^;

これからも結果を注視していきたいなあ、と思います( ^_^)

今日は、寒いですね。
体調に気をつけたいですね。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

「アメリカ」は進行中の一大事業である-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑦-

2024-03-05 06:53:00 | 日記
1957年、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の物語を当時のアメリカ社会に移植したミュージカル『ウエスト・サイド物語』によって、レナード・バーンスタイン(1918~1990)の名前は世界に広く知られることになった。

1961年に『ウエスト・サイド物語』が映画化されると、当然ながら、バーンスタインの名前はさらに世界で有名なものとなる。

バーンスタインはアメリカ生まれ、アメリカ育ちのスター的な指揮者であり、作曲家でもあった。

そんなバーンスタインが作曲を担当した『ウエスト・サイド物語』において、
モンタギュー家とキャピュレット家の争いは、
白人青年とプエルトリコ移民の娘との道ならぬ恋に
読み替えられ、ており、『ウエスト・サイド物語』というミュージカルは移民国家が宿命的に抱えざるを得ない社会問題を鋭く描き出していた......のであるが、バーンスタイン作曲の音楽もまた素晴らしく、全米が熱狂してしまったのである。

当時、アメリカに留学していた小澤征爾氏は自伝に
「タクシーに乗るといつも『ウエスト・サイド』の『トゥナイト』が流れていて、アメリカ中が本当に熱狂していた」
と記している。

『ウエスト・サイド物語』の成功は、伝統的クラシック音楽の作曲技法とジャズ、ロック、マンボのリズムなど南米由来の民族音楽を組み合わせて、誰も聴いたことがなかった音楽空間を切り拓いたことにあるのではないであろうか。

バーンスタインは
「あの旋律はバレないように、チャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』をパクったんだよ」
豪放に笑いながら語るが、豪放と繊細は表裏一体である。

ひとは、自らの繊細さを無意識に隠すがゆえに、無意識に豪放さを演じることがあるのだ、と私は、バーンスタインの豪放な笑いに彼の繊細さを思う。

バーンスタインには2つの顔がある。

ひとつは、アメリカ生まれ、アメリカ育ちであり、アメリカ的にジャズとロックとクラシックを組み合わせて売れっ子作曲家バーンスタインとしての顔である。

もうひとつは、バーンスタインという名前からも解るように、ユダヤ人として自分の祖先に対して思いを馳せ、ユダヤ教をモチーフとする音楽の作曲家であるバーンスタインの顔である。

バーンスタインは、アメリカという、さまざまな場所から集まった人たちが建国し、成長し、大国となったアメリカで生まれ育ったからこそ、自らのルーツに思いを馳せずにはいられなかったのであろう。

バーンスタインは、『ウエスト・サイド物語』や『キャンディード』といった商業的なミュージカルの作曲経験を活かし、
ついに積極的にイディッシュ語を用い、ユダヤ教をモチーフとする音楽を作曲するようになる。

そうして成立したのが、旧約聖書の予言者エレミアを名に冠した交響曲第3番『エレミア』であり、
イギリスのチチェスター聖堂から名をとった『チチェスター詩篇』である。

ところで、
アメリカンドリームの本質は、個人や集団が持つ願望である。

アメリカを建国したのは、疲弊していて、人口過剰で、争いが絶えない世界から集まった移民たちである。

そうした世界から逃れてきた彼ら/彼女らを迎えるアメリカという新たな国は、少なくとも建前では、
勤勉によって、自由、平等な機会、そして成功がもたらされるという理想を唱えていた。

「すべての人間は生まれながらにして平等」と謳ったアメリカ独立宣言は、アメリカ国民にとって大きな励みとなった。

しかし、願望は実現の同義語ではない。

約250年経っても、理想はいまだに実現しておらず、ひとつの理想にとどまったままなのである。

「アメリカ」は、いわば進行中の高尚な一大事業なのかもしれない。

北アメリカ大陸がどの程度よい場所になるのかについて、悲観的だったシェークスピアと対照的に、トマス・モアは架空のアメリカ像である『ユートピア』を描いた。
社会改革を目指すモアの衝動は、カルバンやクエーカー教徒に浸透し、新たな地上の楽園の創造を願ったイギリス人入植者に大きな刺激を与えた。

旧世界の人々による新世界への入植は、宗教の自由や完璧な政治の理想主義的追求として美化されたり、物語風に表現されることが多い。

当初から、アメリカのユートピア信仰と理想主義は、現実的な営利主義と戦わなければならなかったのである。

領土拡大熱やビジネスチャンス、2人目、3人目の子供たちの居場所を開拓すること、法から逃れることなどにみられるような、高尚さに欠ける動機についてあまり触れられないのは、それがアメリカ例外主義を支持し正当化するような、建国の神話にならないからである。

ユダヤ人としてアメリカ合衆国に生まれ育ちながらも、「アメリカ」から離れユダヤ人である自分やユダヤ人が本当の意味では未だ持たざる国家の国体ともいうべきものを見つめる。

『詩篇』は、バーンスタインがそのすべて書き込んだようにも感じられる。

『詩篇』の中心的人物は、少年ダビデであるが、バーンスタインはダビデの言葉に、繊細かつ美しい音楽をつける。

旧約聖書は、過酷な運命を課せられたユダヤ民族が、その過酷な運命こそが、神の恩寵の証であると読みかえた。

バーンスタインの『詩篇』は、人生は、苦しみの連続であるが、その苦しみこそ神の恩寵のあらわれだと思想転換を行った。

その思想転換の過程をバーンスタインは音楽によって語っている。

人生は苦しみの連続かもしれないが、『ウエスト・サイド物語』のように素晴らしい芸術と出会うとき、苦しくとも生きよう、と、私は思える。

バーンスタインは音楽を通じて、苦しくとも生きようとする心の動きを、世界に示したのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

ここ数日、アメリカ大統領選挙について考えていると、ゴダイゴの『ガンダーラ』が頭の中に流れっぱなしです^_^;
(→私よ、そこ『ウエスト・サイド物語』じゃないんかい......(T_T))

ところで、最近、私のスケジュール変化の都合で、しばらくの間、コメントを書いていただける欄を大変勝手ながら一時的に止めています。

コメントは楽しみなのですが、拝見する時間的余裕がない中で、頂くのは申し訳ないので、変わった環境(スケジュール)に慣れるまでしばらく、ブログ更新のみにさせて頂きますm(_ _)m

本当に自分勝手でごめんなさい。

こんな私ですが、これからも読んでいただけると幸いかつ嬉しく思います。

よろしければ、また、これからもよろしくお願いいたします。

そして、いつもありがとうございます( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

「昨日の世界」を見せて勝ったトランプ-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑥-

2024-03-04 06:47:12 | 日記
19世紀末から20世紀初頭もまた、生きにくい時代だったようである。

作家のシュテフアン・ツヴァイク(1881~1942)が亡くなる直前に書いた『昨日の世界』の序文で、

「つねに人は国家の要請に従わなければならず、最も愚劣な政治の餌食となり、最も空想的な変化に適応せねばならなかった。(中略)
この時代を、通って歩いた、あるいはむしろ駆り立てられ走らされた者は誰でも、息をつく暇がなかった。実際、私たちはほとんど息つく暇もなく、祖先の人間が体験した以上の歴史を体験したのである」
と述べている。

確かに、19世紀末から20世紀初頭といえば、
政治的には国家手記が台頭してきており、
経済的には資本主義が発達し、
マルクスが「人間の疎外」と言い、チャップリンが『モダン・タイムス』で描いたような人間の機械化、商品化が進んだ。

この急激な変化は、特に、19世紀に生まれた人たちにとっては耐え難いものだったのではないか、と、私は、想像する。

なぜなら、彼ら/彼女らは、まだ(ある程度は)人間が疎外されず、人間らしく生を謳歌できた、「昨日の世界」を体験していたから、である。

彼ら/彼女らにとって20世紀は人間が破壊されてゆく過程に見えたであろう。

だからこそ、その痛ましさに疲れ果てると、必然的に「昨日への世界」へと郷愁の眼差しを向けずにはいられなかったのかもしれない。

ところで、
フロイトは精神科医の観点から「妄想は何の根拠もなく起きるものではない」と言った。

確かに、精神医学において妄想は夢と同じように、その原因となる隠れた現実が歪んだかたちで表現されたものである。

患者が妄想を強く信じなければならない理由を知り、
患者の妄想の中で表現されている現実と、それに対する心理反応を知らなければ、患者の治療をはじめることは、できない。

これと同じく、社会の妄想というものがあるとするならば、社会の妄想を促す原因となっている問題を理解し、願望的思考に代わる現実的な解決策を与えなければ、私たちは、社会の妄想を正すことはできないということになる。

歴史上、独裁的な権力を獲得してきた者たちの多くは、社会の病を利用してきた。

イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、スペインのフランコ、チリのピノチェト......彼らは人々の苦悩につけこむことが巧く、人々が気付いた時には彼らは指導者になっていた。

2016年、「昨日の世界」、つまりアメリカンドリームから取り残された相当数のアメリカ人が苦しんでいる現実の問題に、トランプは手っ取り早い解決法を提示したかに見えた、そして彼は権力を獲得した。

さて2024年、トランプがかつて利用した社会の病は、治っていないどころか、まさに現実に起きていることそのものである。

そのようなことのひとつに雇用についての問題がある。

1870年から1970年の間、アメリカは賃金と雇用の上昇率で世界一となった。

初期の移民は、土地を求めてアメリカに行ったが、そのあとの移民は、賃金の良い職を求めてアメリカに行ったのである。

だが、1970年以来、それは「昨日の世界」の出来事となってゆく。

1970年以来、アメリカの実質賃金は下がってきているのである。
かつて平均的な労働者は、家庭を自分1人の給料で支えることができた。
今では夫婦共に、それぞれ少なくとも1つの仕事を持って働かなくてはならない。
それでも大変な思いをしながら働くトランプの最も強固な支持層といわれる中年の白人たちは、自分たちの暮らし向きが親より悪いことを不公平に思っている。
「昨日の世界」より悪いと思い続けながら日々生活することは、あまり楽しいものではないであろう。

特に、今、彼ら/彼女らは、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人が、自分たちよりもいくらか裕福であるため、そう感じるのである。

オバマがブッシュから引き継いだのは、暴落した株式市場、不況に近い状況、麻痺した経済だった。
そしてオバマはトランプに、ある程度活況を呈するようになった株式市場、復活した経済、低い完全失業率をトランプに残していった。

しかし、何百万人という鉱山労働者、工場労働者、小売業やサービス業、事務作業に関わる労働者は、依然として失業中か不完全雇用の状態にあったのである。

トランプの選挙戦において最も有権者を引きつけた謳い文句のひとつは、
彼が、海外の国々に外注してしまった数多くの仕事をアメリカに取り戻して、再びアメリカが「昨日の世界」のように、その仕事を担えるように出来る、というものだった。

グローバリゼーションというのは、特別にうま味のある目標であった。
経済学者も多国籍企業も経営幹部も株主もグローバリゼーションが大好きだし、実は、安すぎるくらい安い商品を探し、購入したがる(私のような)消費者たちも同様である。

しかし、 失業中、または失業の危機にある人々にとって、また、アメリカ国内の中小企業にとってグローバリゼーションは単なる強欲なモンスターである。

トランプの公約は、当然ながら希望を失い、「昨日の世界」へ郷愁の眼差しを向けずには居られない人々の心を打った。

彼の勝利がアメリカ中西部のラストベルトと呼ばれる重要な州で確実となったことは、その象徴ともいえる現象である。

しかし、残念なことに、雇用の大部分は、
グローバリゼーションではなくオートメーションによって失われているため、雇用に関する根本的な問題は簡単には解決できないのである。

つまり大雑把に言えば、外国ではなくコンピュータによって職は奪われ続けており、
コンピュータに取って代わられる仕事の方が外国に取って代わられる仕事よりもはるかに多いので、トランプが掲げた手っ取り早そうに見える方法では、実はうまくいかないのである。

かつてテクノロジーの進歩は、ほとんどの人々にとって勝利を意味した。

生産性の向上は国の富を拡大し、労働者にさらに高い生活水準をもたらした。

かつては、新たなテクノロジーによって失われた雇用は、新たに生み出された雇用で十分補われていた。

しかし、もうそうではない。
それは「昨日の世界」の話である。

確かに、生産性が向上するかたわらで、労働者の収入が伸び悩むという、これまでの歴史の中で類を見ない痛ましい矛盾を私たちは、今、経験している。

しかし、「昨日の世界」に、太陽が沈みゆくときの残照や暮れなずむ夕映えに似た味わいを求めても、夕暮れあとやって来る夜に対しての自分なりの裡なる哲学が無いかぎり、そのあとやって来る夜明けを待つことは困難なことになるのではないであろうか。

難しいことだとはわかるものの、「昨日の世界」を確りと、慥かに、自分の裡に位置づけてみたい、と、私は、やはり、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

また、長文になってしまいました^_^;

読んで下さり感謝しております。
ありがとうございます( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。