私は、
もし、IBMが、
コンピューターの前身である当時最新のパンチカード/カード分類技術を
ナチスに提供する意思がなければ、
ホロコーストはあれほど早く、そして冷酷なまでのスループットをもって行われなかったのではないか、
と思うときがある。
ところで、精神医学において
「妄想」とは、
「強固に維持された揺るぎない誤った信念であり、
決定的な証拠や理性的議論による修正にも抵抗するもの」
と定義されている。
また、動詞として
「妄想させる」と使われる場合は、
「誤ったことを相手に信じさせる」という意味になる。
人々に「妄想させる」ように人生のほとんどの時間を割くことをやっているのが、多くの過剰なる権力を持ってしまった政治家のように思えるのは、
私の気のせいであると信じたいし、今日からの国会の論戦にも期待していきたいところである。
ただ、
この精神医学における「妄想」は、
ある人が本当でないことを信じている、というだけで、それが妄想であると決めつけるわけではない。
なぜなら、人間は人生で大きな不安に直面すると、自らを安心させるような不正確な説明を作り上げる性質があるからだ。
しかもこの性質は人間にもともと備わった性質である。
私たちは、人類がほとんど知識を持たなかった古代に作られた神話が、
極めて多くの知識を獲得した現在までも、語り継がれているし、さらに、私たちは、今ある不安と将来に対する恐怖に向き合えるよう、新たな神話を絶えず作り出している。
いずれにせよ、私たちは多かれ少なかれ誤った信念を持ち合わせていて、信じるに足る反証を前にしても、誤った信念に固執するものである。
さて、
安全、 便利さ、貴重な研究データを得るためであれば、私たちはかなりの部分のプライバシーを提供する価値がある、と信じているところがある、と言っても、ピンとこないかもしれない。
例えば、
あらゆる物がインターネットに接続されるようになり、至る所にチップが配置されるにつれて、インターネットは、人々の心拍数や毎日の活動レベル、部屋の設定温度、冷蔵庫の中身、車を運転するスピードに関する情報を得るだろう。これらは人々の安全や便利さのためになるし、生活をより良くするための貴重な研究データのためになるであろう。
しかし、同時に、人々はいわば丸裸の状態でコンピューターと親しく語らっているし、さらに言えば、コンピューターに向かってなどいなくとも、自分のことをさらけ出していることが多いといえよう。
ジョージ・オーウェルは、1947年に、当時はかなり新しい発明だったテレビが全体主義者による監視のための絶大な力を持ったツールになると予測している。
オーウェルの著書『1984年』では、鋭く目を光らせる独裁者のビッグ・ブラザーが、あらゆる部屋に双方向カメラを設置して、党がすべてを監視して市民の自立的な活動すべてを封じられるようにした。
しかし、オーウェルは、自分の最悪の悪夢として、日常生活では当たり前になったプライバシーの侵害は想像することはできなかったようである。
いずれ、安全、便利さ、貴重な研究データを得るためとして、
ある意味では政府機関や企業は、私たちの一挙手一投足を監視し、記録し、分析していて、私たちよりも私たちのことをよく知るようになる日々が来るようになるかもしれないのだ。
多くの国において、多くの人々は、多くの場合、テロ防止という大義名分や、便宜のためだとか、さらには個人や集団の安全強化のために、むしろ進んでプライバシーを提供している面すら在る。
しかし、この在り方は、きわめて不安定で、1度暴走すると、止めることが非常に難しいのである。
言い方を変えると、重大なテロ攻撃という理由(言い訳?)が与えられたときに、プライバシーや民主的な抑制の方が、尊重されるということを、誰も保証できないのである。
冒頭に描いたが、私は、
もし、IBMがコンピューターの前身である当時最新のパンチカード/カード分類技術をナチスに提供する意思がなければ、
ホロコーストはあれほど早く、冷酷なまでのスループットをもって行われなかったのではないか、と思うときがある。
つまり、IBMのパンチカード/カード分類技術はユダヤ人に関する大量データの収集を可能にし、その結果、ホロコーストが、あれほど早く、冷酷なまでのスループットをもって行われなかったのではないか、と思うし、同じことが、今後、世界で起こることを非常に危惧している。
ビデオ監視も日常生活の中で急速に普及した。
その先駆けとなるシステムは、ナチス・ドイツによって、V-2ロケットの発射を監視するためにペーネミュンデに設置された。
CCTV(閉回路テレビ)がアメリカではじめて使用されたのは、オーウェルが1949年に『1984年』を出版した直後である。
また、現在イギリスでは、国民14人あたり1台のCCTVが設置されているといわれている。
そして、CCTVの機能は、カメラが見ているものをコンピューターが自動で解析するVCA(画像解析技術)によって大きく向上してきた。
急速に進歩するテクノロジーによって、部屋にいる人々の識別や、表情に基づいて感情を分析し、
その人たちの行動の目的を理解できるようにもなっている。
NSAやCCTVのプライバシー介入の度合いは、不気味にも思えるほどであるが、それでも、
グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフトやその他サイバー企業による全面的な介入に比べれば、大したことはないのであろう。
確かに、これらの企業は、私たちに多くのものを提供してくれているし、私もその恩恵を日々享受しているが、
これらの企業が(すべてを知ることは無理にしても)何を手にしているのかを知るようにしながら享受しなければならないと私は、感じている。
インターネットによるプライバシーの介入は、無意識のうちに広まり、不満なく受け入れられてきた。
なぜなら、それによって、かつてない水準の便利さが、私たちにもたらされるからある。
しかし、ナチスドイツの例のように、素晴らしい技術もひとたび邪悪な手に落ちてしまうと、
私たちが取るすべての行動によって、何らかの情報が明らかになり、プライバシーが侵害され、外部から私たちが操られるようになってしまう。
今のところ、こうした監視ツールは主に営利目的で使用されているが、
それを、簡単に政府の武器に変えることが出来ることは、
中国、ロシア、イラン、シリア、エジプト、その他独裁政権で、すでに十分に示されているはずである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今回から、また不定期更新からいつもの日記に戻る予定です。
また、よろしくお願いいたします。
早いもので、今日が1月の最終日です!
明日から2月( ^_^)
まだまだ寒い日が続きますが体調に気をつけたいですね。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。