おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「腐敗に至る病」はいつでも、どこでも政治家に蔓延するのか-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑤-

2024-03-03 06:29:04 | 日記
「最も恐ろしい言い回しは“I'm from the government and I'm here to help”(私は政府の者です。あなたの力になります)である」

「現在のこの危機にあって、政府は問題の解決策とはならない。政府が問題そのものなのである」

というのはドナルド・レーガンの名言である。

さらに
「経済に対する政府の見解は、いくつかの短い表現に集約される。
動いているものには、課税せよ。動き続ければ規制せよ。そして、動きが止まったら、助成金を出せ、である」

「政府が制限されない限り、人間は自由でない」

というのもドナルドレーガンの名言である。

彼が始めた共和党の戦略とは、自ら政府を率いると同時に、それに対抗することであった。

こうした名言に有権者は納得し、レーガンは大統領に選ばれたのである。

しかし、その戦略はあとになってほぼ詐欺のようなものであることがわかったのだが......いつでもどこでも歴史は繰り返さないが、韻を踏むようである......。

レーガンのある意味「仲間内(お友達?)」資本主義のもとで、連邦政府の職員の数は、実際には、32万4000人増え、財政赤字は9070億ドルから3倍に増え、2兆6000億ドルとなった。

やはり、どうやら日本だけではないらしい。

アメリカの大統領たち「も」、
大統領に選ばれるまでは、何事においても前の政権や政府を非難しながら成功し、その後、非難した政府より無能な政府を運営してしまうという矛盾したことを踏襲している。

アメリカでも、政府の解体もひとつの戦略であり、儲かる「外注」契約を巨大な企業に勝ち取らせ、労働者と消費者と環境の保護に必要な規制に縛られずに会社を経営させるためのものであった。

確かに、プロパガンダによって、国民は政府のもたらす有益なもの(社会保障、医療、無償教育、警察、インフラ)が見えなくなり、欠陥の方に注意が向いてしまう。

しかし、その欠陥の一部は、まさにそれを非難している政治家が自ら招いたものなのである。

ところで、
アメリカ建国の父と呼ばれる政治家たち「も」抜け目のない「派閥闘争」に力を尽くしてきた政治家たちであったようである。

しかし、彼らは、フランス革命のときのような完璧な人間像の心酔を欠く代わりに、
人間を利己的で欲望にとらわれた生き物と見なし、歴史上にほとんどの時代において、独裁的権力による制約なしには、利己的な欲望は抑えられないと考えていた。

だからこそ、そのような建国の父と呼ばれる政治家たちの考えから、アメリカは強力な共和党と民主党の組織を作り、チェック・アンド・バランスという包括的な仕組みを用いて人間の本能を抑えたからこそ、過去に独裁支配を免れることが出来たのである。

建国当時は、各州の間に大きな隔たりがあり、争いが多かったことから、より緊密な結束への賛同を得ることは、容易ではなかった。

神聖な文書であるアメリカ合衆国憲法は、激しい議論と、ギリギリの妥協の連続から生まれ、
大きな州の支配から小さな州の権利と財産を持つ少数者の権利を守ることと、多数の下層階級の人々、女性、奴隷の権利を守ることを目的としていた。

上院は州の人口規模にかかわらず、各州に2議席が割り当てられている。

たとえば、憲法を批准するときは、人口規模の小さい州の支持を得るには譲歩が不可欠となる。

このような制度では、すべての州の人口規模が比較的小さく、各州の人口格差も小さかったときには政治的権力の配分にそれほど偏りは出なかった。
しかし、人口格差が大きくなると、そうはいかないのである。

例えば、カリフォルニア州の各上院議員は、ほぼ2000万人の有権者を代表しているが、
ワイオミング州の各上院議員が代表するのは30万人以下である。

つまり、ワイオミング州の上院議員に投じられた1票は、カリフォルニア州の上院議員に投じられた1票よりも、上院で60倍大きな影響力を持つといえる。

選挙人制度も同様に、人口規模が小さい州に有利になるように偏りを生んでいる。

その代表的な例では、ヒラリー・クリントンは、一般投票の得票数で大きく勝利していたにもかかわらず、選挙人の獲得数で負けてしまった。

その理由としては、民主党支持の有権者が人口の多い州に大きく集中していたことと、選挙人票の特殊な配分の仕方が挙げられる。

例えば、ワイオミング州の有権者の1票は、カリフォルニア州の1票よりも、選挙人の票集計において3.6倍大きな影響力を持つのである。

時間の経過とともに変わる人口動態の傾向のために、こうした格差はさらに不公平なものになるであろう。

また、下院には「1人1票」という民主的原則があるとされていた。

しかし当初から、政治的な策略は、そうした高尚な考え方を名ばかりのものにしたようである。

有色人種をはじめ、女性、財産を持たない人たちは都合よく排除されたのである。

また、最初から、選挙制度はよく、しかも比較的簡単に操作されてきた。

例えば、「ゲリマンダー」というスラング100年以上前に作られたもので、当時のマサチューセッツ州知事であったエルブリッジ・ゲリーの名字とサラマンダーを組み合わせたことばである。
火の中に住むという伝説のトカゲであるサラマンダーの形と、選挙で自党が有利になるようにゲリマンダーが作り上げた選挙区の形が似ていた。

それ以降、コンピューターの高度なテクノロジーのおかげで、選挙区ごとに有権者を分類し、いびつな形に作り上げた選挙区に有権者を集約させることが出来るようになったようであるが、それは、ゲリー知事の素朴な期待をはるかに超えてしまっていたのである。

アメリカであれ、日本であれ世界のどこであれ、政治の世界でものを言うのは巨額の金であることは、残念ながら、事実である。
また、これまでも、これからも、政治の世界でものを言うのは巨額の金である現実は、悲しいけれど、変わらないであろう。

裕福な者がそうでない者を犠牲にしてますます豊かになっているのは、
自分の富を利用して政治家を買収し、その政治家が彼らをさらに裕福にする法律をやみくもに通過させてしまうことが一因としてある。

特権のある者にさらに利益を図ることは、古代ギリシア、ローマ、メソポタミア、ペルシャ、インド、中国などなど、古代から、時代や場所を問わず世界の至るところで見られる。

しかし、どんな新人でも、腐敗に至る駆け引きをすべて覚えるまでには時間がかかるはずである。

政治家として在任期間が長いことが、政治家として円熟すること、ではなく、
腐敗につながる手腕や人脈を作り上げること
になっているように見えてしまう現実を、私は、残念に思っている。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も寒いですねー、スマホを打つ手が(打ち始めは特に)やはり、まだ、かじかむシーズンなのだなあ^_^;と思いました。

体調に気をつけて過ごしたいですね( ^_^)

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

本当の危機は外部ではなく、内部に在る-私たちが直面していることについて考えるⅡ④-

2024-03-02 06:34:42 | 日記
「これからおとぎ話をお目にかけよう。
架空の話だが、人が学ぶべき教訓も秘められている」

という台詞から、リムスキー・コルサコフ(1844~1908)の歌劇『金鶏』は始まる。

かつては威厳のあったドドン王も、老年になるにつれて、怠惰になり、近隣諸国からの侵攻に悩んではいるものの、
ドドンは、どうして良いかわからず惰眠と飽食に耽っていた。

2人の王子と大臣や貴族からもあまり良い策が出ず、ドドン王は、国家存亡の危機に瀕する。

そんなとき、ドドン王に、危機が迫ると教えてくれる、という金の鶏を献上する者がいた。

この金の鶏(以下、金鶏)は、危機を察知すると、その方角に向かって鳴いてくれる。

しかも、金鶏は「寝転んで治めよ」と言う。
(国民は驚き、不安だったかもしれないが)ドドン王は喜び、安心して、「また」昼寝をし始めるのだった。

しかし、ある時、金鶏が危機を知らせる。

ドドン王が2人の王子を差し向けるも全滅、金鶏は鳴き続ける、仕方なくドドン王は兵を率いて「危機が起きていると金鶏が示す」方向へ。

しかし、そこで出会ったシュマハの女王に一目惚れし、求婚し、自らの王国を明け渡すことを約束してしまう。

リムスキー・コルサコフはロシア帝政末期の作曲家で色彩豊かな管弦楽法を開発すると同時に、ロマノフ王朝が崩壊に向かう混乱のなかで、コルサコフは「ロシア人とは何か」と考えていた。

しかし、政府に反発するような意見を公にしたコルサコフは、王立音楽院を追放されてしまうのである。

人間とは素晴らしいもので、表現の自由が制限されたとき、(皮肉なことではあるが)表現力や表現方法は爆発的に拡大されるようである。

コルサコフも例にもれず、暗喩、寓話、歌劇という形で、人生最後にして最高の歌劇を書き上げる。

それこそが『金鶏』である。

さて、国民の不安をよそに、ドドン王はシュマハの女王を伴って帰国する。

ドドン王が結婚式を挙げようとすると、ドドン王に金鶏を献上した者が現れて、
「私が金鶏を王様に差し上げるときに、金鶏と引き換えに私の望みは何でも叶えるという約束をしましたね。
私はシュマハの女王を嫁にしたいと思います」
と言い出す。

それに起こったドドン王は彼を殺してしまうのだが、その時、金鶏が
「愚かな王様を葬るぞ」
とさけんで、ドドン王の頭をつつき殺してしまう。

そして、シュマハの女王は高笑いをしながら金鶏と共に消え去ってしまうのである。

ドドン王が治めていた国の本当の危機は、外国ではなく、約束を守れない「愚かな王様」に在ったのである。

しかし、王様よりも、もっと愚かなのは、国民だったのである。

金鶏に葬られしまったドドン王の葬儀で、国民は、

「あの王様は愚かだったかもしれないけれど、王様がいなくなったら、私たちは一体どうしたらいいのだろうか。
ああ、どんな愚かな人でもいいから、誰か私たちを導いてくれ」
と盛大に嘆きの歌をうたうのである。

......。

このようにどこか現代の日本や、今の世界の状況にも通じるような辛辣政治風刺を、コルサコフは流麗かつ緻密な音楽劇に仕立て上げた。

しかし、歌劇『金鶏』は上演禁止となり、その心理的ショックがコルサコフの死期を早めたといわれている。

帝政ロシア、ソ連時代にも長く上演禁止は続き、再演が果たされたのはソ連末期、1989年のことだった。

それほど、この芸術によるコルサコフの政治風刺は「学ぶべき教訓」に富み、それゆえに恐れられていたのであろう、と、私は思う。

ところで、
歌劇『金鶏』のなかで、
「本当の危機は外部ではなく、内部にある」という内容が強調されていたが、
2016年頃からよく言われるようになった「アメリカを再び偉大に」というスローガンも一見、国の内部を見ているようにみえて、
根本的な姿勢は、今起きている良くないことの原因をほぼすべて国の外部に求めているように、私は、思う。

多くのアメリカ人は、
自国のインフラ完備がずさんであるにもかかわらず、なぜ海外での戦争やインフラ事業に何十億ドルも費やすのか、
また、自国で困っている人々に目を向けないで、なぜ、他国の困っている人々を援助するプログラムを支援するのか、
さらに、なぜ他国が、貿易協定によってアメリカよりも優位に立っているように見えるのか、ということを不思議に思ってきていた。

そんなとき、トランプは、他国に対し、アメリカ大統領就任演説の中で
「今日、この日から、アメリカ・ファーストただひとつ。
アメリカ・ファースト」
と警告したのである。

色褪せたかにみえたアメリカンドリームに色が戻るかのようなことばに、トランプ支持者は、彼をアメリカの救世主だと見なしたのかもしれない。

トランプ支持者は、
トランプがアメリカを偉大にし、
トランプが外敵からアメリカ国民を守り、トランプが国内の敵をも一掃してくれる、とすら考えたのである。

これは民主主義において危険な煽動方法ではあるが、アメリカが味わっている屈辱にも、何も出来ない立法府の行き詰まった状況にもうんざりしている多くの人々の心に響いたのである。

ただ、どこかコルサコフの『金鶏』の国民の振る舞いと対比してしまう。
そして、歴史は繰り返されないまでも、「また」韻を踏むように私には思えてしまう。

確かに、大胆で単純な解決策を求める人々には、とりあえずトランプが光り輝く鎧兜を身につけた騎士に見えるのかもしれない。

しかし、民主主義を尊重しているとは言い難いその姿勢を恐れる人にとっては、歴史上にいた独裁者の手法に見えるのであろう。

トランプの「アメリカ・ファースト」というスローガンは、外国人嫌悪と人種差別主義という不快な過去の重荷を負っている。
(→たとえば、第二次世界大戦へのアメリカの参戦を阻止するために結成されたアメリカ・ファースト委員会を代表する最も有名な人物であるチャールズ・リンドバーグは、反ユダヤ主義で、ヒトラーとナチスドイツの崇拝者であった。)

また、現代の「アメリカ・ファースト」の本質は、アメリカの軍事と貿易における自国優先主義である。

自国優先主義は、国の歴史が浅かったジョージワシントンの時代であれば、合理的な考え方であったかもしれないが、
各国が緊密に関わり深く依存し合う社会では、きわめて自滅的な姿勢である。

コルサコフの歌劇『金鶏』の時代より、世界は複雑にそして密になった。

しかし、コルサコフの歌劇『金鶏』は指導者と国民にとって、根本的な「学ぶべき教訓」が、まだまだ秘められているように、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

昨日から3月ですね。
先月もとってもありがとうございました( ^_^)
今月もとってもよろしくお願いいたします。

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、やはり読んでいても数式だらけで、どのように民主主義を語ろうとしているのか、私には理解できない構成と説明の本です^_^;
私は、タイトルと帯に負けましたね......(T_T)
見開きに4個も数式がある以上にその解説が不明瞭でした。
丁寧な説明も出来ない本に、学生時代に出会わなくて良かった^_^;
出会っていたら、落ち込んでいました。

政治は一瞬かもしれないが、芸術は永遠なのかもしれない-私たちが直面していることについて考えるⅡ③-

2024-03-01 06:31:23 | 日記
「民族」とは、新しい概念である。

「民族」とは、
19世紀以降、すべての差異を塗りつぶし、普遍化していくような近代主義が出現してから、
そのような近代主義に抵抗して、

「違う。そうではない。
私たちは画一化などされないし、画一化できないはずだ。
私たちには普遍化から守るべき独自性があるはずだ」
という想いから出てきた考え方だ、といっても過言ではないであろう。

「そうではない」

という否定から始まっているから、私たちが積極的に「民族」を定義することはいつも難しいのかもしれない。

生きてゆく中で自覚的・無自覚に育まれてきた、明示不可能な世界観というものが、どうやら「民族」の概念の中心にあるようである。

アルメニア生まれの作曲家、アラム・ハチャトゥリアン(1903~1978)は、政治にも思想にもあまり興味はなかったのだが、ハチャトゥリアンの卓越した才能を時代が見逃すわけはなかった。

時代や政府当局が、ハチャトゥリアンに期待したことは、西洋音楽の語法の中にアルメニアをはじめとする少数派の民族の音楽を取り込んでしまう、という政治色の強いことであった。

あまり政治に関心のなかったハチャトゥリアンは、純粋に故郷アルメニアを中心に民族音楽を集め、研究をするのである。

そしてその結果、政府当局者が予想だにしなかった、極めてアルメニア的な、決してソビエト連邦的な「労働者の勝利」などという普遍的イデオロギーとは、結びもつかない、
民族の魂や郷愁に訴える曲が出来たのである。

そのような曲のひとつにいわゆるハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲がある。

曲は冒頭から西洋的ではなく、荒々しいリズムではじまり、西洋でも、東洋でもない、コーカサス地方独特の感性に満ちている。
騎馬民族特有の激しいリズムがあるかと思えば、嘆き悲しみ点に吠えるがごとく哀切極まるメロディーも出てくる。

この音楽を聴くとき、私は、
政治が一瞬に見えてしまうほど、芸術は永遠なのかもしれない、などと、思うのである。

さて、実際のところ、ハチャトゥリアンのこの曲に困ったのは、ハチャトゥリアンの芸術を政治的に利用しようとしたソ連当局者たちで、結局、この強烈に民族色溢れる音楽に、1941年「スターリン賞」を与えざるをえなかったのである。

アルメニアに近いグルジア出身のスターリンがこの音楽をどう感じていたかは伝えられてはいない。

しかし、スターリンの言葉や著書は、忘却の波にさらわれていく一方、ハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲は今でも愛聴されている。

やはり政治は一瞬かもしれないが、芸術は永遠なのかもしれない、と私は、思うのである。

確かに、私たちは、前大統領のトランプが壁を国の周囲に建設してはじめて再び偉大になれる、と言ったり、
マイノリティに向けた恐怖や嫌悪を選挙で勝利を得るための争点にしてしまった事実や明らかなレイシストを、政権の中でもきわめて大きな権力を持つ地位に任命したという事実を前にしているし、そのような世界に生きている。

人種の優位性に関わる一部の考え方が、これほど深く広範囲にわたって維持され、
アメリカ国内に、また、他国の人々との関係に大きな破壊をもたらすということは驚くべきことである。

これは、戦争と同様に不必要な行為で、世界は、そのようなことをしている余裕はないはずである。

そもそも私たち人類は、7万年前に起きた壊滅的な火山の爆発(パンデミックという説もある)をなんとか生き延びたほんの2000~3000人の男女から始まった。

そのため人類全体は生物学的には非常に近い親戚であり、他の種と比べれば遺伝的にずっと同質であるといえる。

人類の違いは目に見えないほど僅かなもので、数個の遺伝子が違うだけだが、正確に説明することは難しい。

細かい地理的変動による差異を省けば、私たち人類は、大体において外見がいくら違っていても、遺伝子的に同質であるといえる。

また、遺伝子の違いはきわめて小さいだけではなく、その違いが現れたのはごく最近のことで、およそ、6000~1万年前まで、地球上の人間はすべての茶色の目をしていたのである。

「民族」や「人種」などということばを超えて、芸術が心に響くのは、私たちの歴史や遺伝子の観点からも理解できる現象であると思うのである。

やはり、政治は一瞬かもしれないが、芸術は永遠なのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

先ほど、関東で地震があり、私も揺れを感じました。

能登半島地震の教訓を忘れず、落ち着いて、できる限り対策を見直したいと思いました。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。