おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「昨日の世界」を見せて勝ったトランプ-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑥-

2024-03-04 06:47:12 | 日記
19世紀末から20世紀初頭もまた、生きにくい時代だったようである。

作家のシュテフアン・ツヴァイク(1881~1942)が亡くなる直前に書いた『昨日の世界』の序文で、

「つねに人は国家の要請に従わなければならず、最も愚劣な政治の餌食となり、最も空想的な変化に適応せねばならなかった。(中略)
この時代を、通って歩いた、あるいはむしろ駆り立てられ走らされた者は誰でも、息をつく暇がなかった。実際、私たちはほとんど息つく暇もなく、祖先の人間が体験した以上の歴史を体験したのである」
と述べている。

確かに、19世紀末から20世紀初頭といえば、
政治的には国家手記が台頭してきており、
経済的には資本主義が発達し、
マルクスが「人間の疎外」と言い、チャップリンが『モダン・タイムス』で描いたような人間の機械化、商品化が進んだ。

この急激な変化は、特に、19世紀に生まれた人たちにとっては耐え難いものだったのではないか、と、私は、想像する。

なぜなら、彼ら/彼女らは、まだ(ある程度は)人間が疎外されず、人間らしく生を謳歌できた、「昨日の世界」を体験していたから、である。

彼ら/彼女らにとって20世紀は人間が破壊されてゆく過程に見えたであろう。

だからこそ、その痛ましさに疲れ果てると、必然的に「昨日への世界」へと郷愁の眼差しを向けずにはいられなかったのかもしれない。

ところで、
フロイトは精神科医の観点から「妄想は何の根拠もなく起きるものではない」と言った。

確かに、精神医学において妄想は夢と同じように、その原因となる隠れた現実が歪んだかたちで表現されたものである。

患者が妄想を強く信じなければならない理由を知り、
患者の妄想の中で表現されている現実と、それに対する心理反応を知らなければ、患者の治療をはじめることは、できない。

これと同じく、社会の妄想というものがあるとするならば、社会の妄想を促す原因となっている問題を理解し、願望的思考に代わる現実的な解決策を与えなければ、私たちは、社会の妄想を正すことはできないということになる。

歴史上、独裁的な権力を獲得してきた者たちの多くは、社会の病を利用してきた。

イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、スペインのフランコ、チリのピノチェト......彼らは人々の苦悩につけこむことが巧く、人々が気付いた時には彼らは指導者になっていた。

2016年、「昨日の世界」、つまりアメリカンドリームから取り残された相当数のアメリカ人が苦しんでいる現実の問題に、トランプは手っ取り早い解決法を提示したかに見えた、そして彼は権力を獲得した。

さて2024年、トランプがかつて利用した社会の病は、治っていないどころか、まさに現実に起きていることそのものである。

そのようなことのひとつに雇用についての問題がある。

1870年から1970年の間、アメリカは賃金と雇用の上昇率で世界一となった。

初期の移民は、土地を求めてアメリカに行ったが、そのあとの移民は、賃金の良い職を求めてアメリカに行ったのである。

だが、1970年以来、それは「昨日の世界」の出来事となってゆく。

1970年以来、アメリカの実質賃金は下がってきているのである。
かつて平均的な労働者は、家庭を自分1人の給料で支えることができた。
今では夫婦共に、それぞれ少なくとも1つの仕事を持って働かなくてはならない。
それでも大変な思いをしながら働くトランプの最も強固な支持層といわれる中年の白人たちは、自分たちの暮らし向きが親より悪いことを不公平に思っている。
「昨日の世界」より悪いと思い続けながら日々生活することは、あまり楽しいものではないであろう。

特に、今、彼ら/彼女らは、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人が、自分たちよりもいくらか裕福であるため、そう感じるのである。

オバマがブッシュから引き継いだのは、暴落した株式市場、不況に近い状況、麻痺した経済だった。
そしてオバマはトランプに、ある程度活況を呈するようになった株式市場、復活した経済、低い完全失業率をトランプに残していった。

しかし、何百万人という鉱山労働者、工場労働者、小売業やサービス業、事務作業に関わる労働者は、依然として失業中か不完全雇用の状態にあったのである。

トランプの選挙戦において最も有権者を引きつけた謳い文句のひとつは、
彼が、海外の国々に外注してしまった数多くの仕事をアメリカに取り戻して、再びアメリカが「昨日の世界」のように、その仕事を担えるように出来る、というものだった。

グローバリゼーションというのは、特別にうま味のある目標であった。
経済学者も多国籍企業も経営幹部も株主もグローバリゼーションが大好きだし、実は、安すぎるくらい安い商品を探し、購入したがる(私のような)消費者たちも同様である。

しかし、 失業中、または失業の危機にある人々にとって、また、アメリカ国内の中小企業にとってグローバリゼーションは単なる強欲なモンスターである。

トランプの公約は、当然ながら希望を失い、「昨日の世界」へ郷愁の眼差しを向けずには居られない人々の心を打った。

彼の勝利がアメリカ中西部のラストベルトと呼ばれる重要な州で確実となったことは、その象徴ともいえる現象である。

しかし、残念なことに、雇用の大部分は、
グローバリゼーションではなくオートメーションによって失われているため、雇用に関する根本的な問題は簡単には解決できないのである。

つまり大雑把に言えば、外国ではなくコンピュータによって職は奪われ続けており、
コンピュータに取って代わられる仕事の方が外国に取って代わられる仕事よりもはるかに多いので、トランプが掲げた手っ取り早そうに見える方法では、実はうまくいかないのである。

かつてテクノロジーの進歩は、ほとんどの人々にとって勝利を意味した。

生産性の向上は国の富を拡大し、労働者にさらに高い生活水準をもたらした。

かつては、新たなテクノロジーによって失われた雇用は、新たに生み出された雇用で十分補われていた。

しかし、もうそうではない。
それは「昨日の世界」の話である。

確かに、生産性が向上するかたわらで、労働者の収入が伸び悩むという、これまでの歴史の中で類を見ない痛ましい矛盾を私たちは、今、経験している。

しかし、「昨日の世界」に、太陽が沈みゆくときの残照や暮れなずむ夕映えに似た味わいを求めても、夕暮れあとやって来る夜に対しての自分なりの裡なる哲学が無いかぎり、そのあとやって来る夜明けを待つことは困難なことになるのではないであろうか。

難しいことだとはわかるものの、「昨日の世界」を確りと、慥かに、自分の裡に位置づけてみたい、と、私は、やはり、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

また、長文になってしまいました^_^;

読んで下さり感謝しております。
ありがとうございます( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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