おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

7/9の日記に+α

2023-07-23 05:45:00 | 日記
エーザイが、アルツハイマー病治療薬「レカネマブ」に続き、2024年にも別の(作用の)仕組みの新薬候補の治験をはじめる、とのこと。複数の分子(因子)が関連し合っているとはいえ、仮に多剤が前提の治療になるとしたら、副作用やそもそも多剤を用いる負担にも目を向けるべきだ、と、私は思う。
以下は別の場で現場というかある製薬会社の開発チームの方から、いいねと言っていただけた7/9の日記の一部です。
ー歴史は繰り返す、のか……??-
「最近、エーザイとバイオジェンが開発したアルツハイマー病治療薬「レカネマブ」の普及期における課題が普及期における抗うつ剤等の向精神病薬の課題と構造的に似ているように感じた。3点挙げてみると
第1に、根治に繋がる薬ではないところ。向精神病薬の場合は完治ではなく、寛解を目指すようなところだ。
第2に、「適切な診断と治療」を行える専門医の不足と偏在だ。
かつてからだが、外科医療のように眼の前に明白なレントゲン写真やデータの示せない分野であり、またそれだけに確たる判断がしづらい分野の属性かもしれない。しかし、これまでのDSMの歴史をみても、はっきりとみようとして、ロボトミーや電気けいれん療法に頼ろうとした歴史をみても、そして、結局多剤処方になりがちな現在を見ても専門医の不足と偏在が透けて視えるだろう。
第3に、病気自体は勿論であるが、副作用に対するケアの環境不足だ。今回なら、レカネマブを選ぶのかリリーの「ドナネマブ」を選ぶのかによって、作用は勿論、副作用についてかなり異なるが、悩む患者に寄り添える環境があり、「患者のQOL」が保たれるのかという点だ。どの病気でもそうだが、特に可視化が難しい認知症やうつはケア環境も可視化しづらいことには重ねて留意したい。
今回は(も?)財政や保険制度の問題、そして、細かい病院データは省いた。」
ここまで読んでくださりありがとうございます。今日だけの分も少し描いてみたいかな。

聴く耳の需要

2023-07-11 06:05:35 | 日記
昨日、今日と豪雨のニュースに心が痛い。
「助けてください」
そう叫ぶ彼女の腕の中には、生後数ヶ月の幼児がいる。もはや、誰が見ても明らかに死んでいる幼児を抱えながら彼女は奔っている。
奔って走る彼女の眼の前に
「死人がいない家をみつけてきたら、生き返らせてあげる。」
という人物が現れる。いわゆる、仏陀である。
彼女は必死に頼む。みつけてみます、だから、助けてください、と。
しかし、歩けど歩けど死人が出ていない家が見つからない。徐々でありながら、彼女は自らの運命を「受容」してゆく、そして、仏陀のまえで、抱き続けた、我が子を葬るように頼む(諸説あり)。
我が子が、葬られてゆくなかで彼女の哀しみなどの感情も、ある意味「昇華」されてゆく。彼女にとって幸いだったことは、聴いてくれる耳や視てくれる目があり、そして感じてくれるこころが存在したことだと、私は思う。
昨日、今日と豪雨のニュースに心が痛い。
他者の自己の苦しみとして静かに聴く耳の需要はいつもあるはずだ。何故なら、悲しみ苦しみ傷付く人いつもいるから。
「人間」とはよく創られたことばだと私は思う。「人間」は人(ひと)と人(ひと)の間柄的存在なのだから。
昨日、今日と豪雨のニュースに心が痛い。何も出来ていない自分を直に視ると情けなく、かなしくなる。まず、目の前のことをみつめ、みなおし、 やれることから考えてみたい。
ここまで読んでくださりありがとうございます。また、次回。

人生を疑問形にして他人に問うなかれ

2023-07-10 06:10:58 | 日記
先ほど、まだ布団でうだうだとしていたとき地震が起きた。
驚いて確認したところお隣の千葉県で最大震度2とのこと。被害も余震もなくてほっとした。
このようなかたちで、眠りから覚めたので(いまだに地震は怖い)、災害に遭って考えたことと病気になって考えたことの共通しているところが在ると思っているので以下、それを描いてみたい。
まず、地震が起きたときに、どうやって逃げて命を守るかを考える。そこには、どこで、何をどうするかが生死を分けるが、病も同じだと思う。起ってしまったことへの対応という観点に立てば、その後、行うことの決定が先々の選択に与える影響は計り知れない。
私の場合は、「投薬」の段階といえる
つぎに、逃げようと避難先に急いでいる段階で避難先に着く前に予期せぬ事故に遭ってしまったとき、例えば(これは、私が子どもの頃起きた地震で実際ごく近い周囲から見聞きした話からずっと考えてきた事例)、倒壊した建物に腕や脚などが片方挟まれてしまい自力では抜けない、が、レスキューを待っていたら余震で更なる建物の崩壊で命の危険がある。しかし、腕や脚を切断して逃げるようと決断する時、「余震とレスキューどちらが先か」、「いま、ここ、この自分の選択に誤りはないか」、そして「何が1番大事か」を私は考えるし、選択した後も考え続けるだろうと思う。
私の場合は断薬の段階とも言える。
そして、地震発生後、さまざまな決定後の心身のリハビリ、その後の生き方の心構えは同じであると思う。
私の場合もなんとか心身が生き残り、断薬の後遺症と伴走しながら生きていて、生き方を試行錯誤している段階だ。
ここまで読んでくださりありがとうございます。災害とはちがいどうして病になったかについては心当たりがありますが、そこはゆっくりと描いていきたいと思います。
では、また次回。

歴史は繰り返す、のか......?

2023-07-09 06:13:38 | 日記
体調がやっと回復したので、また、描き始めます。
最近、エーザイとバイオジェンが開発したアルツハイマー病治療薬「レカネマブ」の普及期における課題が普及期における抗うつ剤等の向精神病薬の課題と構造的に似ているように感じた。3点挙げてみると
第1に、根治に繋がる薬ではないところ。向精神病薬の場合は完治ではなく、寛解を目指すようなところだ。
第2に、「適切な診断と治療」を行える専門医の不足と偏在だ。
かつてからだが、外科医療のように眼の前に明白なレントゲン写真やデータの示せない分野であり、またそれだけに確たる判断がしづらい分野の属性かもしれない。しかし、これまでのDSMの歴史をみても、はっきりとみようとして、ロボトミーや電気けいれん療法に頼ろうとした歴史をみても、そして、結局多剤処方になりがちな現在を見ても専門医の不足と偏在が透けて視えるだろう。
第3に、病気自体は勿論であるが、副作用に対するケアの環境不足だ。今回なら、レカネマブを選ぶのかリリーの「ドナネマブ」を選ぶのかによって、作用は勿論、副作用についてかなり異なるが、悩む患者に寄り添える環境があり、「患者のQOL」が保たれるのかという点だ。どの病気でもそうだが、特に可視化が難しい認知症やうつはケア環境も可視化しづらいことには重ねて留意したい。
今回は(も?)財政や保険制度の問題、そして、細かい病院データは省いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。描いたり、復帰したり心身の不調との付き合いのなかで描かせていただいています。よろしくお願い致します。
また、次回。