おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

厳しい自然、厳しい音楽-伊福部昭の「執拗に反復するリズム」-

2024-08-31 06:26:18 | 日記
作曲家の伊福部昭は、
「音楽に必要なのは、力と量と生活である」
と喝破した。

今回は、その意味を考えていきたい。

伊福部といえば、『ゴジラ』である。

今年は、ゴジラが日本に上陸してから、70年になる。

敗戦の余燼も、まだ、漂うなか、水爆実験という科学の暴走に対して日本人が抱いたのは、自然からの、驕り高ぶった人類に対する復讐の恐怖であった。

それは、ゴジラという姿となって現れたのだが、その威容は勿論、付された音楽は、強烈な、原始的なリズムで、見る者を威圧したのである。

あまりにも『ゴジラ』が有名すぎて、『ゴジラ』に比べてしまうと、他の作品が語られることは少ないのだが、伊福部は、『ビルマの竪琴』、『座頭市』、『大魔神』などの音楽も担当している。

伊福部昭は、1914年、釧路に生まれ、北海道帝国大学農学部に進学後、北海道庁地方林課に勤めるかたわら、学生時代から独学で行っていた作曲活動も、継続する。

在野の作曲家であった伊福部が、アカデミックな場に登場するのは、敗戦の混乱期である。

既に、いくつかの曲を発表して名が知られていた伊福部は、戦後、東京音楽学校(→現在の東京藝術大学)に作曲科講師として招聘された。

伊福部を招聘したのは、学長の小宮豊隆であるが、小宮は夏目漱石の一番弟子の文人であり、音楽の専門家ではない。

小宮が独学作曲家である伊福部を招聘するに至った経緯は詳らかではないが、小宮が、異例の、しかし勇気ある人事を行ったことは間違いないであろう。

実際、小宮の期待には十二分に応えることが出来たようで、伊福部門下からは、芥川也寸志、松村禎三、黛敏郎など、作曲家たちが輩出されている。

伊福部音楽の最大の特徴、土俗的な匂いの立ちこめる旋律、執拗かつ強烈なリズム、そして、変拍子である。

私淑したラヴェルの影響を受けつつ、伊福部は、日本の土俗的な音楽世界を切り拓く。

ただし、伊福部は、「幽玄」や「粋」をあざとく狙うような音楽は一切作らなかった。

彼の音楽に根ざしているのは、彼が生まれ育った北海道の大地、アイヌの精神世界である(→cf.『シンフォニカ・タプカーラ』(1954年) )。

伊福部の激しい音楽は、激しい自然、そして、その圧倒的な力と対峙する人間の逞しい生命力そのものなのである。

『ゴジラ』の音楽に、伊福部がこれ以上ないくらい、適合したのは、ゴジラという恐るべき自然の力を表象する怪獣と、伊福部自身の音楽が持つベクトルが一致していたからであろう。

力強く、単純かつ執拗なリズムは、有無を言わさず迫り来る自然の力を見事に表現している。

ちなみに、かつて東宝が、
「ゴジラに壊して欲しいところはどこか」
というアンケートを取ったところ、
「国会議事堂」が1位であったそうである。
今も、「国会議事堂」は1位かもしれない、と思うのは、私だけであろうか。
......。

また、『ゴジラのテーマ』より少し後の1961年に作曲された 『リトミカ・オスティナータ』がある。

『リトミカ・オスティナータ』は、実質的には、ピアノ協奏曲の形式を持っているが、独奏ピアノが妙技と、見事な旋律を聴かせるような、言ってみれば普通の意味での協奏曲ではない。

ここでは、ピアノはひとつの打楽器と化しており、オーケストラと一体となってひたすら変拍子のリズムを打鍵しなければならないない。

もはや、音楽は、洗練や優美とは、遥かにかけ離れて、野蛮ですらあるかもしれない。

そもそも、『リトミカ・オスティナータ』は「執拗に反復するリズム」という意味なのだが、リズムとは、音楽の原初の要素であり、強烈なリズム反復は、聴衆を、否応なく、祝祭的熱狂へと巻き込み、その心臓の鼓動さえ、高めてゆくのかもしれない。

冒頭の
「音楽に必要なのは、力と量と生活である」
という伊福部のことばが、いま、また、重みをもって、迫ってくるように、思う。

敗戦復興も一段落し、日本人が、物質文明への傾斜を強めようという時代に伊福部昭が示したのは、人間の根源的な生命の力強さと、生命の躍動する力であった。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

台風10号が猛威をふるっていますね。

天気の急変に気をつけたいですね。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

憲法上の危機を生み出した偽りの精神疾患-時代と文化により変容するものとしないものに対して-

2024-08-30 07:08:02 | 日記
よく
「三島の作品は、どうも受け付けない」
と言う人がいるが、三島由紀夫の『鍵のかかる部屋』も、その中のひとつかもしれない。

「戦後の混乱期における一青年の退廃的な内面を描いた」文学作品とされているようだが、はっきり言ってしまえば、小児性愛者の話だからであり、私たちに、戦後間もない日本の混乱期だけが原因ではない問題にも意識を向けさせるからである。

これは、病院で治療できる精神疾患ではないにもかかわらず、アメリカにおいて、SVP(性的暴力犯)の審問で、精神科病院への強制収容による予防拘禁を正当化する目的から、1世紀以上前に、小児性愛に対応する語として「少年性愛」という、いかにも医学的で珍妙なことばがひねり出されたことがある。

区分としては、小児性愛は、思春期以前の子どもを 、少年性愛は思春期以降の子どもを対象にする、ということにしたようだが、少年性愛は、臨床単位として受け容れられておらず、研究もほとんど行われていない。

しかし、この偽りの診断は、精神医学の濫用の代表例であるにもかかわらず、都合のいい治安対策にされ、二重処罰の禁止という憲法によるかけがえのない保護までを侵したのである。

DSM-5すら、少年性愛を正式な診断に入れることを検討したが、性に関する障害や法科学の専門家たちの、ほぼ総反対に遭い、中止を決めた。

実際、「少年性愛」の採用を支持したのは、一握りのその研究者と、それよりはいくらか多くの、「少年性愛」の誤診を生活の糧の一部もしくは全部にしているSVPの鑑定者たちの一団だけであった。

勿論、年端もいかない思春期前後の子どもに対する性的暴力は、投獄に値する卑しむべき犯罪であるが、病院で治療できる精神疾患ではないのである。

おびただしい研究が証明するように、思春期前後の子どもに性的興味を持つこと自体は、なんら精神疾患に固有のものではないからである。

年齢や文化や時代によって大きく異なるものの、思春期は自然の定めた性的適齢期の境界線であると解釈されることが多い。

例えば、100年ほど前まで、アメリカの合意年齢は13歳であり、発展途上国の多くでは今でも合意年齢は低いままであるし、欧米諸国の多くでもそれが引き上げられたのは、ごく最近のことである。

生物学的に、思春期前後の子どもに対する性的興味は、進化の過程で、男性の本能に組み込まれている。

寿命が今よりずっと短く、いつ不慮の死を遂げてもおかしくはなかった時代に、性的に成熟し次第、DNAが子孫を作りだがることは、理に適ってはいたのである。
(→かつての平均死亡年齢は、現在の平均結婚年齢とほぼ同じであることに留意したい。)

しかし、現在のように、寿命が延び、乳幼児の死亡率が低下すると、最適な求愛戦略は、大きく変化した。

80歳くらいまでは余裕で生きられるにもかかわらず、焦ることはない、子孫を作ることも子育ても十分に成長してからの方が安全、かつ賢明に行える、と考えられるようになった結果、現代社会の一般的な状況や余命などの期待値を考えれば、当然、子どもへの行為はまだ早すぎると見なされ、それから子どもを守るために法的な合意年齢が引き上げられたのである。

しかし、だからといって性的な本能が、これに従ったわけではなかった。

基本的な欲望が変化するのには、少なくとも何万年から何十万年という進化期間を必要とする。

法律の変更は一日で可能かもしれないが、もう適切だと見なされないから、という理由だけで、長年培われた本能を消し去ることは出来ないのである。

実際、広告業界は、多くの大人が、今でも、思春期前後の子どもたちに性的興味を持っているという事実を知っており、童顔のモデルにきわどい服を着せたり、大胆なポーズをとらせたりして、この興味につけ込んでいる。

そのようなセクシーな広告に刺激された性的衝動を精神疾患であると主張するならば、それは、常識にも、経験にも、研究に拠る証拠にも反するであろう。

思春期前後の子どもに性的興味を持つこと自体は、犯罪でも精神疾患でもない。
人間の本質である。

しかし、今の私たちの社会でこの衝動を行動に移すのは重罪であり、長期刑に値する。

仮に、「少年性愛」の診断を用意する正当な理由がひとつだけあるとするならば、それはごく幼い子どもだけに対して、異常に執着する、まれな個人にレッテルを貼るためかもしれない。

しかし、DSM-5に少年性愛の診断を載せないだけの説得力のある理由はたくさん在り、それらは、この有用かもしれない唯一の使い道よりもはるかに重みがある。

「少年性愛」という、つくられた病は、研究されていないし、そのような病があったとしても、どうすればうまく診断できるのかも、有効な治療法があるのかどうかもわかっていない。

この診断案に臨床上の必要性は見当たらない。

治療法があったとしても、助けを求めていて、治療したいという意志と回復できる見込みがある犯罪者候補が大量にいるわけでもないのである。

また、SVP(性暴力犯)の裁判に法科学が軽率に利用されすぎていることは、既に、深刻な問題になっている。

これまでの流れからするに、法科学の鑑定者たちは、SVPの審問で、この診断を強制収容の支持材料としてむやみに拡大解釈することを止めはしないであろう。

子どもに性暴力や性的虐待を行う者に、同情の余地などない。

しかし、最も嫌悪すべき者たちに対してであっても、間違った人権侵害を許せば、憲法の安定は損なわれる。

三島由紀夫をはじめ、文学が作品を通じて、思春期前後の子どもへの性的興味、同性愛、政敵や少数派の宗教の弾圧などを考えさせられることは多い。

しかし、私たちが、将来にもっと無知蒙昧な時代に転げ落ちたならば、それらに精神医学を利用するような状況を、どのように防ぐというのだろうか。

つくられた精神的な病に、臨床上の実用性が少しでもあったところで、法科学に悪用される、恐るべき危険の方がはるかに大きいだろう。

現代に、三島が生きていたら、何を思うのであろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

さらに4つも地球はないのだから-E・O・ウィルソンが提示した解決策-

2024-08-29 06:32:52 | 日記
「自然保護の父」とも呼ばれ、作家で植物学者、そして自然保護運動家でもあるジョン・ミューアは、
「森羅万象に通じる最もはっきりとした道は、森林の自然にある」
と述べた。

農耕社会の始まりは、1万年前、都市の誕生は6000年前、工業社会の始まりは200年前、コンピューター社会の始まりは50年ほど前である。

私たちは、いざとなれば概ねどのような環境にも適応出来るのかもしれないが、自然に反した環境に適応する力は私たちの遺伝子には組み込まれていない。

人類の祖先は、何千世代にもわたって自然の中に生き、自然の糧を得て暮らしていた。

人類が、自然を支配するまでには数十万年かかったが、それを破壊するのに要した時間は、たったの数百年であった。

木を見て森を見る人ならば、森が燃えていることもわかるであろう。

喩えて言うなれば、今は世界全体が燃えている状態である。

自然界にとっての最大の脅威は、
「人口過剰、消費、経済的便宜」という致命的な組み合わせではないだろうか。

「人々を養い雇用を生むためには、この熱帯雨林を伐採しなければならない」
「このパイプラインは、私たちの経済にとって必要不可欠になる」
「これらの環境規制によって、私たちの仕事がなくなる」
といった、実は偽善的な発言が繰り返されていることは、周知の事実である。

なぜ偽善的かというと、必要に聞こえるかもしれないが、環境破壊を正当化するために用いられる経済計算は、ほんの数年間にごく僅かな人だけを利する短期間の収益性に、ほぼ常に、基づいており、何世紀にもわたって、それ以外の人々全員が負担する長期的コストを無視しているからである。

莫大な資金を持つ大企業や財界勢力は、毎年何百億ドルもの大金を投じて政治家を買収し、自分たちに刃向かう科学にはケチをつけ、私たちが責任ある環境政策に従えば、雇用が失われ、経済が崩壊すると脅して、一般市民を怯えさせている。

多くの先進国の中で、やはり、企業と超富裕層は、全人類にとって明らかに有益とみなされるべき場合でも、環境保護の課題を醜い党派的な政治問題に変えてしまった。

特にアメリカでは、宗教とは関係の無い大企業も、急進的な宗教右派と、不自然だが強い同盟関係を結んだようである。

しかも、宗教右派は、道徳を細かく管理し、規制することで頭が一杯であり、地球のよき保護者となるべきだという聖書の教えもほとんど無視しているのだが。
......。

環境保護運動もそれなりに活発ではあるものの、大資本や、少なくなりつつある時間との苦しい戦いを強いられているようである。

昆虫学者であり、社会生物学と生物多様性の研究者であるE・O・ウィルソンは、
「私たちは、妄想状態の中を生きている。
特にアメリカは、世界にとてつもない重荷を背負わせている。
私たちのこの贅沢な生活水準は、莫大な費用をかけて実現されている。
現在のテクノロジーを活用して、世界に住む70億の人々の生活水準を、平均的なアメリカ人の水準にまで引き上げるためには、あと4つ地球が必要になるだろう」
と、絶望の念を表している。

現在も将来も、さらに4つの地球を私たちが持つことはない。

私たちが、生き残るためには、たったひとつの孤独な地球を、もっと優しくかつ賢く活用しなくてはならないのである。

ウィルソンは、解決策として、

まず、世界中の生物多様性のホットスポットにある広大な自然保護区域を保存すること、
また、女性を教育し、自立を支援することによって人口を抑制すること、
エネルギー消費量を徹底的に削減し、環境に優しい、持続可能なエネルギー源の使用を劇的に増やすこと、
さらに、新たな緑の革命によって、より多くの食料を少ない土地で生産できるようにすること、
を挙げている。
その解決策は、驚くにはあたらないことであり、私たちはそれを真剣に考えるときにきているのである。

地質学的時間の尺度では、私たち人間が少しばかり手を出したところで、地球はびくともしないだろう。

例えば、マンハッタンから人間を追い出した場合、ほんの数世紀で美しい森林がよみがえると言われている。

また、12世紀頃、カンボジアは、世界でも極めて裕福で、人口が多い場所だったが、今は、非常に多くの都市が、再び生い茂ったジャングルで覆われたり、ジャングルの中に埋没しているものもあり、そのような場所であったとは、思えない。

一方で、人間の短い時間の尺度では、私たちは自然を大きく傷つけると同時に、自分もひどく傷つける可能性があるのである。

自然は洞窟のカナリアのようでもある。

自然を破壊すれば、次に破壊されるのは、私たち人間である。

自然を維持するためには、長期にわたる経済的投資と道徳的義務、そして何よりも私たちの自覚と努力が必要なことは明白であろう。

ただ間違いなく言えることは、私たちが持続可能性を達成できるし、また、達成しなければならないということである。

現在、まだ、多くの国々が向こう見ずな船長に舵取りを任せきりにしており、私たちの小さな船は、
「人口過剰、貪欲な消費、激しい競争」という最悪の嵐に向かって進んでいる。

ギリギリのところで、航路を修正することは、難しいが不可能ではない。

イギリスの批評家サミュエル・ジョンソンは、
「絞首刑になるとわかった者は......素晴らしい集中力を発揮する」と人間の本性について述べている。

必要に迫られることは、徹底した改革の最良のきっかけとなるはずである。

ひとたび、確りとした改革を実現できれば、持続可能社会を維持することは容易になるであろう。

私たちは、今、薄明かりの中、転機に迫られている。

この薄明かりを、新たな暗黒時代が始まる直前の夕暮れにするか、暗黒時代を抜け出す直前の夜明けにするか、物語を変えられるのは、私たち自身でもあることを、改めて認識したい。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

「ハイリゲンシュタットの遺書」以降のベートーヴェンの再生-ピアノソナタ第21番 「ワルトシュタイン」-

2024-08-28 06:37:23 | 日記
フランス革命は、政治的事件であると同時に、思想的事件でもあった。

それは、簡単に言えば「個人」を構成単位とする近代国民国家国家の誕生である。

これは、ただの暴動・反乱ではなく、
「旧体制から個人を解放せよ」という革命の思想が伝染し、さらに伝播する可能性があった。

だからこそ、フランス革命は否定し、潰さなければならない、と、周辺諸国は団結し、軍を送り込んだのである。

しかし、これに対して、フランス側は、ヨーロッパ史上初となる「国民軍」でこれを迎え撃った。

1792 年、ヴァルミーの戦いでフランス国民軍を見たゲーテは、有名な
「この日、この場所で、新しい世界史が始まる」
ということばを記したとされている。

ゲーテは、国民軍の思想的意味を直感したのであろう。

革命は、やがて、ナポレオンの登場を生む。

コルシカ生まれの将軍に率いられたフランス国民軍の大進軍は、「個人」を解放する思想の伝播でもあったのである。

若きヘーゲルも、この思想運動に熱狂し、自らは難解な観念論哲学を大衆に分かりやすく説き、ドイツにおける啓蒙活動に邁進した。

このような思想の大転換は、芸術家にも影響を与えた。

ヘーゲルと同じ年のベートーヴェンも、例外ではなかった。

ベートーヴェンの生涯は、難聴となり、 自殺を考え、1802年頃に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く前と後に分けて考えられることが多い。

「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く前のベートーヴェンは、モーツアルトやハイドンといった先輩音楽家に忠実に、すなわち、旧来の音楽形式に真面目に従って作曲を行っている。

しかし、作曲家として、致命的な難聴を患い、絶望し、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きながらも、ベートーヴェンは、外に聞こえる音に拘泥せずに、自分の内面に耳を傾け始めたのである。

このことは、当時の社会情勢とも相まって、ひとりの人間ベートーヴェンが生き、作曲する意味を根底から考え直させた。

「『新しい世界史が始ま』ったのならば、そこに生きる人間に相応しい音楽が、新しい形式が、必要である。」
と心に決めたベートーヴェンは、もともとの激しい気性をもって、猛然と新しい音楽を書き始め、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた後の1802年頃から10年ほどの間に次々と傑作を生み出していったのである。

従来の古典派の音楽形式は吟味され、拡大構成され、巨大な「ソナタ形式」となった。

交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」で、私たちが耳にするのは、ベートーヴェンが、苦悩と努力によって鍛え上げた新しい時代の形式なのである。

交響曲は、多くの聴衆、すなわち新時代の大衆に向けて書かれたが、パトロンである旧時代の貴族向けにも作品は書かれ、献呈されている。

そこにも、ベートーヴェンの新しい精神は活き活きと躍動している。

「ワルトシュタイン」は、ベートーヴェンのパトロンの貴族の名であり、彼に献呈されたために、このように呼ばれているのだが、ワルトシュタイン伯爵に献呈された曲は、たくさんある中で、この曲の特異性、重要性のため、特に名前が冠せられているのであろう。

打楽器的な和音の連打で始まる第1楽章は、ベートーヴェンが当時完成させつつあった巨大なソナタ形式の実験である。

意外な転調、展開を見せるが、何よりも、その音楽自体が堂々とした自信、風格を漂わせ、さらに優美ささえ兼ね備えている。

第2楽章も、当初は、長大なものが用意されていたが、あまりに全体が長すぎてしまうため、この楽章は外され、代わりに現在の短い、内面に向き合うような楽章が配置されたのである。

このことは、結果的に、斬新で、それまで誰も聴いたことのないピアノソナタの姿を生み出したのである。

それは、他人に向かって演奏するというよりも、孤独の中で、自らと対話するような思索が、そのまま、音となったような音楽である。

孤独な思索は夜の闇に似ているが、明けない夜はない。

夜の闇に、曙光が指すかのような明るい第3楽章が始まる。

朝霞の中から、壮麗な城が、その威容を現すかのように、音楽は、その壮大な姿を徐々に現してゆく。

さらに、第1楽章の主題も回帰してくるのであるが、ここにて、曲全体のドラマ性が明確になる。

それは、第2楽章という孤独の中から、再び人間が輝かしく、自信に満ちて立ち上がるという、再生のドラマなのである。

そして、この再生は、「人間ベートーヴェンの再生」であり、さらには、「新しい時代の新しい人間の誕生そのもの」であるのかも、しれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日から、日記は、定期更新に戻る予定です( ^_^)

また、よろしくお願いいたします(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

また、よろしくお願いいたします( ^_^)




精神療法において精神療法家と患者の協調に必要なことは、政治家と有権者の協調にも必要である

2024-08-23 06:37:19 | 日記
精神療法家と政治家には、多くの共通点があり、影響を及ぼす範囲は大きく異なっているかもしれないが、目標や手法が極めてよく似ている、と、私は思う。

なぜなら、両者とも、明言されることも隠されることもある動機を理解し、それらに訴えかけることによって相手の態度や行動を変えようとするからである。

精神療法家が1度に1人の患者に働きかけるのに対して、政治家は何百万という人々に影響を与えるが、両者が持つスキルはよく似ている。

精神療法において、精神療法家と患者との協調に必要なことは、政治家と私たちの協調に必要なことでもあるのではないか。

以下は、精神療法での基本的なルールなのだが、ルールのなかの「患者」を「有権者」に、「精神療法家」を「政治家」に置き換えて見てほしい。

・精神療法家は、誠実であること、また、患者にも、誠実であるように促すこと。

・患者との強い絆を築かなければ、患者を助けることは出来ない。

・患者の言葉づかいで話をする。

・患者の話をよく聞き、患者が精神療法家から学ぶのと同じくらい多くのことを、患者から、学ぶようにする。

・精神療法家の努力すべてが患者本人に向けて行われていることを、患者にわかってもらう。

・共感と信頼が治療に最も必要な要素である。

・痛みや恐怖、怒り、落胆を自由に表現するように、患者を励ます。

・患者のニーズと、患者がそれをどのように満たして欲しいと感じているかを確認する。

・現実的な目標と期待について話し合う。

・性急な判断をしない。

・徐々に希望を持たせる。

・事実や数字よりも、比喩やイメージ、例え話を用いる方が有効である。

・精神療法家が自分の感情を意識し、それを効果的に活用する。

・治療中の何もかもが同じ重みを持つわけではないことを理解し(→精神療法で語られた内容の10%に満たないことが、患者の変化の90%以上に貢献することもある)、患者が潜在的に持つ変化への転換点に常に注意し、変化を起こすためにできることは、何でもする。

これらのルールを見てゆくとき、よろしくない政治家たちが体現し、悪化させてしまっている社会の狂気を癒そうとする政治家には、精神的なアプローチを学ぶことは有用だ、と、私は、感じることがある。

また、ゆっくりと、おだやかに今の社会を現実に引き戻すとき、政治家には、精神療法家と同様の戦略が、必要になる。

精神療法家が、妄想を抱く患者に対して、その患者が信じているものが間違いで自滅的であることを証明しようとして、事実に基づいた議論を行うことは、まず、ない。

いかにその妄想がはたからみれば、とんでもなく間違っていて、有害だったとしても、患者にからみれば、妄想はつらい現実の埋め合わせをする手助けをしてきたのであり、妄想が間違いで害を及ぼすものだからといって、捨て去ることが出来るものではないのである。

精神療法家が、先走って患者に現実を押しつけようとすると、患者は、怒りや不安、困惑を感じ、さらには頑固な妄想を抱いて、精神療法家とともに治療に取り組む意欲を無くしてしまう可能性がある。

真実は、人を自由にすることも確かにあるのだが、患者の側にそれを聞き入れる準備ができていなくてはならないし、その真実は、正しいタイミングと方々で伝えられなくてはならないのである。

優れた精神療法家は、妄想を必要とする患者の隠れた苦悩を汲み取ると同時に、その苦悩を和らげる現実的な方法を見つける取り組みを、患者と共に少しずつ行っていく。

精神療法家は、患者の苦しみへの共感を表すことが重要で、患者が妄想によって、その根本原因を避けていることの是非は問わない。

精神医学において妄想とは、
「強固に維持された揺るぎない誤った信念であり、決定的な証拠や理性的議論による修正にも抵抗するもの」と定義されている。

また、動詞として「妄想させる」と使われる場合は、
「誤ったことを相手に信じさせる」という意味になる。

社会の妄想は、それを広め信じる者にとっては、逆に有益な目的を果たす。

そしてそれが、社会や世界にとって誤った、危険なものであるから、という理由だけで、捨て去れるものではない。

さらに、勇気を持って事実と向き合うように政治家が、有権者に素直に呼びかけても、有権者に、それを受け容れる準備が出来ていなければ、有権者は怒りや恐怖や不安を感じ、政治家と共に参政する意欲をなくし、政治家は選挙に負けることがある。

1979年に、カーターが行った「社会のmalaise」と呼ばれた演説(→正式なタイトルは「A Crisis of Confidence」)と、その後の有権者の反応は、よい例であろう。

精神療法家が、最初に行うべき、最も重要なことは、患者の立場に身を置いて考えることである。

「自分が、この人の状況にいたら、私もこの人のように行動し、考え、感じるかもしれない」という前提に立つことから始めるのである。

政治家が有権者に、最初に行うべき、最も重要なことも、同じであろう。

グテーレス国連事務総長は、精神分析者の妻から、心理学の知識が持つ政治的な価値を学び、彼は、
「妻は私の政治活動に、きわめて有益なことを教えてくれた。
2人の人間が一緒にいるとき、そこにいるのは2人ではなく6人である。
各々が自分に加え、各々が考える自分、そして各々が考える相手の6人である。
人間にあてはまることは、国や国家に当てはまる。
それぞれのシナリオにおいて、鍵となる様々な関係者と関わる際、事務総長が果たす役割のひとつは、こうした6人を2人にすることである。
すなわち、誤解と間違った認識が消えるようにすることである。
認識は、政治において核心を成している。
政治においては、6人を2人にするということに、とどまらない。
難題に対処するために、ひとつになって取り組むことが出来るように、何百という人々を取りまとめる仕事が多いのである」

未来において、決定的に重要な政治家の仕事は、人々が国の問題を解決するために、ひとつになって活動出来るように、各国内で人々を団結させること、また、世界中の国々が、世界の問題を解決するために、ひとつになって活動出来るように、国々を団結させることであるだろう。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から、また、数日間、不定期更新となります。

よろしくお願いいたします( ^_^)

国内外ともに政治、特に選挙のニュースが、本当に今年は多いですね......本当に目まぐるしいなあ......と思います^_^;

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

またよろしくお願いいたします(*^^*)