おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

私なんかに、花束を。-What is The reason to be born?-

2023-12-31 03:52:40 | 日記
「ついしん。
どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。」

(ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』より)

ダニエル・キイスは、『アルジャーノンに花束を』の執筆を

「希望と絶望のはざまで長い年月耐えてきた」
期間と、表現しています。

かつての難治性うつ病とそれらの薬を減薬出来ている私に、まず、
「今年1年よく生きていた」
と、花束を贈りたいような年末なので、少しだけ描いてみたいと思います。

私が、『アルジャーノンに花束を』に興味を持った理由は、私自身が長く精神病に悩んだこと、が、まずひとつにあります。

かつて、大学院時代に、取材と称して(大学院の先生の紹介があってやっと)作業所とそのスポー
ツチームの休日のボランティア、さらに、ステージが重いガンの現場を礎に自分自身の病気と対峙したいと、修士時代は考えていました。

芸術療法について(そのあとのチャイルドラインの前・後期学習や、よりそいホットライン、上智と早稲田の院などなどにもあとで鳥瞰してつながる)で学ぼうとしていましたし、(体調/心調に左右されますが)今でも、コロナ禍で変則的になったものの、継続していることが在ります。

それだけは、誰にも奪うことのできない私の経験です。

今年も、ほんとうにありがたい、と、思っています。

さて、『アルジャーノンに花束を』の作者のダニエル・キイスには、彼が創造した人物であるチャーリー・ゴードンに対して、さまざまな手紙が来ていたようなのですが、彼の「日本語版文庫への序文」からひとりの日本人の少女の手紙を読み込んでみたいと思います。

それは、一気呵成には描けませんが、それを下地に描くことを頑張ってみたいと思います。

読んでくださりありがとうございます。

よいお年を( ^_^)


そのうち そのうち

2023-12-30 14:25:24 | 日記
そのうちお金がたまった
そのうち家でも建てたら
そのうち子供が手から離れたら
そのうち仕事がおちついたら
そのうち時間のゆとりができたら
そのうち、そのうち、そのうちと
できない理由を繰り返しているうちに
結局は何もやらなかった、
空しい人生の 幕が下りて 頭の上に寂しい墓標がたつ
そのうち そのうち 日が暮れる
いまきたこの道帰れない

相田みつを「そのうち」


『七歩詩』と「原因において自由な行為」(刑法39条) -七歩詩から①-

2023-12-30 13:05:43 | 日記
植は可哀想かもしれない。

持つものは持っている、兄の曹丕(魏の文王)に武や文の才能を妬まれ、

「七歩歩くうちに詩を作れ、さもなくば処刑だ」

と言われ、哀しいながら考えた。

「煮豆持作羹
漉鼓以為汁
萁在釜下燃*
豆在釜中泣**
本是同根生***
相煎何太急****」
(→
*豆がらは釜の下で燃え
**豆は釜の中で泣く
***豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに
****豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか)

何でだよ兄さん!?

この詩の哀しさを教えてくれた恩師をみているうちに、

原因において自由な行為(刑法39条)を想い起こした。

「(泥酔状態に仮になったとしても)泥酔状態で行った殺人や障害などは、心神喪失注(≒自分が何もわからない状態で)の行為だから罰せられない」
というものだ。

しかし、自ら責任能力のない泥酔状態をわざと作り出し、その状態を「利用し」て人殺しなどの犯罪を引き起こした場合でも無罪だと、はできないであろう。

そこで、「計画的に責任無能力」になった場合は罰する」という理論を

原因において自由な行為

というのである。

泥酔状態を作ることが予見され、作り出そうとして酒を飲む原因を設定した行為の当時には、自分をコントロールする能力が十分に働いていたわけであるから、危害を加えたなら、
加えたあなたにも責任能力はあるだろう、と、いう理屈である。

この泥酔状態で起こした事故と、高齢者が高齢だと認識していても運転した末に起こした事故をどう考えるのか、と、の問いが横たわる。

誰にでも背景が在るので、すべてはわからない。

(しかし、泥酔状態の背景もさまざまであるが......。)

さて、兄の曹丕と曹植の考えをみるに、『七歩詩』の兄もさまざまな原因で、精神的な泥酔状態かもしれない。

そんな意味で、私を救ってくれようとしている恩師を理会するため、彼が拘っていた
『七歩詩』を
考えてみたいと思う。




フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領が解っていたこと-アメリカ大統領選挙2024を考える②-

2023-12-28 06:41:03 | 日記
3400年前のトゥキュディデスの時代から、歴史学者のなかでは、
「優れた指導者が歴史を作るのか?」
それとも
「歴史が優れた指導者を作るのか」と、いう議論が続いている。

私には、それと同様であるが逆向きの疑問として、恐ろしい指導者は、例えば、プーチンどの程度歴史の流れを変えてしまうのか、それともプーチンは歴史の流れを示す存在にすぎないのか、とよく考えてしまう。

いずれについても、いえるのだが、

「長期的に見れば歴史に存在する力がその流れを変えるのだが、短期的に見れば、偉大な(ときに恐ろしい)指導者が歴史を変えるのではないか」と私は思う。

歴史には政治の面でも希望をもたらしてくれるような前例があるものである。

アメリカ大統領のなかでも、時代の流れのなか、うまく舵を取った大統領たちの存在もそのひとつである。

ジョージ・ワシントンの持つ素晴らしい統率力により、アメリカは存在し得、現在のような豊かな国に分類される国のかたちを採ることができた。

それから70年後、エイブラハム・リンカーンの優れた指導力により国民はアメリカという国を存続させることに成功した。

さらに70年後、フランクリン・デラノ・ルーズベルトの介入が無ければ、大恐慌の規模はずっと大きくなっていたであろう。

ルーズベルトが大統領に就任したとき、アメリカは今よりもはるかに深刻な問題に直面し、大規模な制度の変更を必要としていた。

世界中の株式市場が暴落し、貿易が行き詰まった。
労働者の4分の1が失業し、人々が飢えに苦しみ、経済およびそのなかで生きる人々がすべてが麻痺したかのようになっていた。

しかし、ルーズベルトは自信を失うことなく、また人々に自信を抱かせる方法を知っていた。

大統領として彼が発した

「唯一恐れなければならないのは、恐怖そのものだ」

というメッセージはアメリカ国民の心に響き渡った。

その後、ルーズベルトは、「炉辺談話」を通じて、アメリカ国民との深い心のつながりを築き続けた。

アメリカ経済の落ち込みを癒すためには、まずアメリカ人の心の落ち込みを癒さなければならないことを、ルーズベルトは解っていたのである。
(我が国のトップはどうであろうか......。)

それからさらに70年後、アメリカ国民の多くは、バラク・オバマも変革をもたらす大統領になることを期待した。

選挙活動のなかでオバマが
「Audacity of Hope」
「Yes,We Can」
というルーズベルトの精神を取り入れた、キャッチフレーズを用いたことも期待された理由のひとつであろう。

この続きは、アメリカ大統領選挙2024を考える③に描くこととしたいと思う。

来年の前半は世界中で選挙がある。
1月の台湾総統選挙にはじまり、2月にはインドネシア大統領選挙、3月のロシア大統領選挙に4~5月のインド総選挙、そして11月のアメリカ大統領選挙である。
アメリカ大統領選挙まで、残り1年もない2023年の年末に思うことは、未来において決定的に重要な政治家の仕事は、人々が国の問題を解決するために各国内で人々を分断しないこと、そして、世界中の国々が世界の問題を解決するために一丸となって活動できるように国々を分断させないこと、である、と、私は、思う。

ここまで、読んでくださりありがとうございます。

私が、パソコンを諦めて、ほぼスマホ1台で、描いたり、撮ったり、動画を観たり、音楽を聴いたり、もちろん話したり、メールをしたりと、するようになって、かなり経ちます。

「どんなに調子が悪くても、スマホなら気楽じゃないか」と恩師にアドバイスを受けてから、考え方が変わったように思います。
とても、気が楽になったことを覚えています。

また、最近は、年を重ねたからか、少しずつですが、大切なものと、そうでないものもわかってきたようにも思えます。

例えば、が、たくさんありますが、
特に、私が、また、好きな本が読めるようになってきたこと、
絵画やドラマや映画などの芸術作品に感動できるようになってきたこと、
文章が描けるようになってきたこと、
また、ちゃんと歩けて元に戻りつつあることなどは嬉しいし、「アタリマエ」だった頃に失ったものがどれだけ大切かわかるように思うのです。
→1番悪化し始めたころ、


この後さらに向精神薬が増え、さらにこの5年後から減薬を始め、離脱症状、後遺症と闘いながら(→ここが1番ツラい)、この1年はかなり寛解し、今に到ります。
しかし、今でも思いきり笑えている写真を探すのに難儀します^_^;
1ヶ月前の11月に芸術劇場近くで撮ったのが髪がぐちゃぐちゃですが、よく笑えていて気に入っています。

明日から、不定期更新になりますが、また、よろしくお願いいたします。

やはり今日も寒いですね。
風邪など引かないように気を付けたいですね。

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

アメリカ例外主義のエンターテイナーに対峙できるのか?-アメリカ大統領選挙2024を考える①-

2023-12-27 06:48:37 | 日記
エドモンド・バーグが

「ほんの些細なことしか出来ないからといって何もしなかった者ほど、大きな過ちを犯した者はいない」

と言った。

いつの時代でも、どこにいてもそうであるが、
私たちが責任感があるとするならば、
誰かの言いなりになったことにしたり、運命論を盾にとって逃げている場面ではないのかもしれない。
(今、争いもたけなわである、どこかの党のどこかの派閥内の内部ようにはなりたくないものである......。)

2024年11月に、アメリカ大統領選挙がある。

アメリカに大いに影響を受ける日本という国の民のひとりとして、回数を分けながらではあるが、少しばかり、考えていきたい。

1776年、アメリカ合衆国となるろうとする13の植民地の総人口は、わずか250万人だった。

そのうち、僅かしかいなかった財産を持つ白人の成人男性が、選挙権を持ち、公職に就くことができた。

こうした少数者のなかから、
ジョージ・ワシントン、トマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、アレキサンダー・ハミルトン、ジェームズ・マディソンほか数十名の名士たちが登場した。

アメリカ建国の父たちは、啓蒙主義の政治理論、歴史、哲学、科学、経済学、修辞学に精通していた。
論文集『The Federlist Papers(ザ・フェデラリスト)』(1787~1788)は政治哲学の著作として定評があり、アメリカの憲法は時代を超えて生き続けてきた。

それから約250年後のアメリカは、人口は約150倍近くに増えたものの、政治的人材が減少し、建国の頃の水準に近い人が大きく減ったと、よくアメリカの内外(特に内)で評されている。

そして、最近では、アメリカでは日本など比較にならないほど、
政治家が、自らを派手に見せることが、偉大さを獲得するための強力な武器になったように見える。

いつの時代でも、どこの国でも政治家は常にエンターテイナーの側面が在ると言えるが、
大統領に仕立て上がる?には、エンターテインメント業界に目を向けることが理に適っていると、ごく最近であるが、考えられるようになってきたのである。

レーガンはハリウッドから、トランプはリアリティ番組が生んだ大統領であるともいえる。

幻想を作り上げ、真実を覆い隠す技術の経験が豊富なプロほど、社会の幻想を上手く作り上げる。

ハリウッドの繁栄の糧は、ドラマ、人間模様、感情、善と悪の永遠の闘いである。
つまり、闘いでは善良な者が常に勝利し、邪悪な者は常に罰を受ける。

着目すべきは、そのような単純なシナリオには、実生活の複雑に入り組んだ状況や、やむを得ず妥協せざるをえない場面は描かれてはいない点である。

商業的に成功した大部分の映画や、成功したリアリティ番組の多くが人気を博している理由は、「あまり考えることを要求されないから」ということである事実は、厳然と私たちの眼の前に横たわっているのである。

ロナルド・レーガンがその時代に優れた政治家だったのは、大統領の役割を非常に上手く(巧く)演じたことが大きな要素を占める。
また、ドナルド・トランプが大統領になったのは、リアリティ番組が、挑発的な毒舌を政治資産のひとつにしたことが主な要因だ。

私たち日本人が次に目にする大統領は誰であろうか?

少なくとも、また、「アメリカは偉大だ」などと言われた際に、我が国が、どのような外交カードを用意するのか、私たちも注視していかなければならない時期にきているのかも、しれない。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

ある人を、上から見ると同じところをぐるぐると回っているように視えた。
しかし、横から視たらば、この人は螺旋階段を上がっていたんだ、とわかることがあるように、
私たちの経験値も
ゆっくりと、だが、気付けば確実に紡がれているように、増え、上昇してゆくものだ、と、私は、どこかで信じています。

アメリカの大統領が変わるとき、日本はいつも少なからず方針転換を迫られるので、複数回に分けてアメリカの大統領選挙を考えて、描いてみたいと思います。

私は、病気の悪化と寛解しても、その後遺症が長いので、学生時代から今まで海外に行ったことがありません......卒業旅行などにも行ったことがありません^_^;
あまり動かなくても何とかなる、本や映画や音楽の上の世界しか旅行したことがありませんが、だからこそ、少しばかり違って何か見えないかなあと、いつも思っています。

このブログも、このブログを通して皆さまの世界やお考えを拝見することが出来、楽しく、嬉しく、そしてありがたく思っています( ^_^)

年末年始、(明後日からの予定で)不定期更新になりますが、これからもよろしくお願いいたします。

暖冬とはいうものの、今朝も寒いです。

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。