おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

意識と感情が分岐点を超えたときに、何かが動く。-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑱-

2024-03-21 06:37:14 | 日記
私たちは、永遠ということばを用いる。

しかし、それは、私たちが、永遠ではない存在だ、と知っているからこそ、永遠を夢見て、用いるのである。

永遠という不可能への挑戦のために、私たちは、瞬間の中に永遠を見出そうとする。

ファウストの
「瞬間よ、止まれ、お前は実に美しい」という台詞は、ドイツ・ロマン派の中核を成す考え方のひとつであろう。

また、あるいは、
「私はかつて永遠でした。
そして今もまた永遠なのです」
と、ジークフリートに語りかけるブリュンヒルデのように、私たちが経験するのは、現在だけである。
過去はすでに手元にないものであるし、未来は本当に訪れてくれるか、も解らないのである。

つまり、私たちにとって、確かなものは、永遠を信じる現在しかないのである。

ところで、
アルノルト・シェーンベルク(1874~1951年)は、ドイツ・ロマン派最後の輝きであり、無調音楽の先駆者とも言うことが出来、さらに、19世紀の扉を閉じて、20世紀の扉を開いた作曲家である。

『浄夜』は、シェーンベルクが25歳のとき、詩人リヒャルト・デーメルの同題の詩に感銘を受けて作曲されており、実質的には、標準音楽としての性質を持っている。

弦楽6重奏『浄夜』は、ワーグナー、ブラームス、マーラーたちに影響を受けつつ、ワーグナー的に半音階が多用され、時には調性を失いかねない場面も現れるのであるが、それにより音楽は混乱するのではなく、より一層、喜びと苦悩の間を揺れ動く感情を描き出す効果を得ているのである。

デーメルの詩が5部に分かれていることに対応して、弦楽6重奏『浄夜』も5つの部分から構成されている。

しかし、デーメルの詩が描き出す楽観的すぎる人間像は、リアリティを持って、私たちに迫ってくるであろうか??(→少なくとも私はデーメルの『浄夜』という詩は美しいけれど、楽観的に過ぎて、迫るものを感じない。)

私は、シェーンベルクが弦楽6重奏夜『浄夜』という音楽を用いて、デーメルの『浄夜』という詩の批評を行っていることに着目したい。

やはり、ことばが限界に達したところから芸術(ここでは音楽)は始まるのかもしれない。

確かに、音楽は詩に即して、5部に分かれてはいるが、詩のように、女の心理描写があり、それから男の心理描写がなされているのではない。

女が、心が引き裂かれるような気持ちで、愛する男に捨てられることも覚悟して、ついに告白するときに、
それを聞く男の心も、ずたずたに切り裂かれている。

シェーンベルクの激しい苦悩をそのまま表現したかのような旋律は、女のものであると同時に、男のものである。

むしろ、音楽は全般にわたって、男の苦悩を描いているとさえ言ってよいだろう。

デーメルの詩の『浄夜』をよむときでなく、シェーンベルクの『浄夜』を聴くとき、
ことばがひとたび、人の意識と感情がある分岐点を超えたとき、ところから「芸術」(ここでは音楽)は始まる、と、私は、思うのである。

『浄夜』のなかで、冷たい月の光のなかを歩いていた2人は、温かい太陽の光の中を歩くのかもしれない。

夜は、やがて、朝を迎え、昼を迎えるであろうが、そのとき、2人は、まだ、「浄められた」ままなのであろうか。

時間の経過とともに、浄夜のなかで男が到達した、赦しともいえる想いも、変遷してゆくかもしれないのである。

確かに、この夜に2人の心は浄められ、それが永遠に続くことを信じている。

そこに、人間の悲劇も、また、存在する。

永遠を信じる愛が、やがて喪われることを、分かっているからこそ、その瞬間はその分だけ、却って崇高な美しさを得るのではないだろうか。

シェーンベルクはデーメルの詩を超えて、弦楽6重奏『浄夜』を聴く私たちに、その崇高な美しさを看取らせようとし、さらに、私たちひとりひとりが抱く愛も、やがて何らかの形で終焉を迎えるという苦さと、それゆえの甘美さに溺れるということを追体験させようとしたのであろう。

ひとたび、意識と感情がある分岐点を超えたとき、世界が動くことは、他にもある。

以下は、市民の公共意識と怒りがある分岐点を超え、予想外の連鎖反応から、世界規模の永続的な取り組みへとつながったひとつの、しかし、大事なことをある教えられる話である。

約50年前、1匹の大型グレートデンがところ構わず町を汚すことに、ニューヨーク市郊外にある小さな町の市民が怒りの声を上げた。

その後、市民は団結し、犬を飼う住人に対して、通りを汚すことを禁じることに成功したのである。

目立たない片隅での小さなひとつの取り組みが、まったく予想外の連鎖反応を引き起こし、世界規模の永続的な取り組みへとつながる。

この新たな社会運動は、すぐにハドソン川を越えてニューヨーク市にも広がった。
当時のニューヨーク市では、50万匹の犬が飼われ、1日に100トンの犬の排泄物が発生していた。

ニューヨーク市では、多少の議論と政治的内紛があったものの、世界初の「犬の排泄物処理法(Canine Waste Law)」を可決したのである。
この犬の排泄物に関する法律は、急速にアメリカ国内、そして世界に広まった。

とても小さな町の1匹の大型グレートデンに対する怒りが、約1000年にわたる犬の飼育習慣をほぼ世界規模で覆すきっかけを作ったのである。

意識と感情がある分岐点を超えたとき、どんな分野でも、何か、が起きることは、確かなようである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から数日間(いつものように)不定期更新となります( ^_^)

またよろしくお願いいたします(*^^*)

今日は特に描いていて、重くならないように、重くならないように、と考えていたら、うーん、という終わり方になりました^_^;

まだまだ修行が足りてません(T_T)
こんな私の文章ですがこれからも読んでいただけると嬉しいです。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。