2016年11月8日、大統領選挙でトランプが大統領になることが確実になったそのとき、ディストピア小説の名作6冊が、突如として、アマゾンのベストセラーランキングの上位に躍り出た。
その6冊とは、
ジョージ・オーウェルの『1984』『動物農場』、オルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』、シンクレア・ルイスの『ここでは起こりえない』、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』である。
過去の回で、取り上げたこともある作品もいくつかあるが、いずれも、現代世界をきわめて正確に予測している面がある。
ハクスリーの予測に誤っているところがあるとするならば、それは、(人の心を操るのが政府か企業かという)
権力の所在と、「私たちの素晴らしい新世界」を創造するきっかけとなった動機くらいであろう。
ディストピア小説を描いた作品が人々の心を捉えるのは、現代世界の問題が解決策を圧倒し、過去よりも未来の状況が厳しく見えはじめたときである。
トランプは、アメリカ合衆国大統領、つまりアメリカの最高司令官に選ばれ、彼独特の言い回しで
「私は、偉大なるエイブ・リンカーン(エイブはエイブラハムの愛称である)を除いた誰よりも大統領らしくなるさ.....だってエイブはとても大統領らしかっただろう?」
と得意満面で述べた。
......。
しかし、トランプは決してトランプ以外の何者にもなり得ることはない。
アメリカの民主主義体制が、独裁的攻撃を前にして、これほど脆く見えたときもなかったため、トランプは非常に多くの人を不安にさせたために、ディストピア小説の名作6冊が、突如として売れた、というわけである。
しかし、トランプの台頭はまったく予測できなかったことであろうか??
さらに言えば、トランプの台頭は、表出してきた症状であり、その症状に起因する病巣は私たちが生きる世界の裡にあるのではないだろうか。
確かに、トランプは、唯一無二の例外的な人間であって、世界やアメリカの姿、ましてや私たちの精神を反映した存在ではない、と考えると、気休めには、なる。
フリードリヒ・ニーチェは
「狂気は個人にあっては、稀有なことである。
しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」
と述べた。
しかし、歴史を鑑みれば、彼の台頭は予測は出来たであろうし、私たちの精神を映し出したものであるように、私は、思うのである。
そもそも、なぜ、私たちは、トランプ大統領の再選を怖れる日々を過ごすことになったのだろうか。
それは、トランプが大統領になる前のアメリカに遡る。
アメリカが、最も進んだテクノロジーを持ち、多くのノーベル賞受賞者を輩出し、最高の映画を作り、最も政治的な自由があり、きわめて優れたアスリートを生み出していることを誇りに思っていたとき、アメリカ(アメリカ人)は、その偉大さ、優良さの両方において世界をリードしていると感じられたのである。
しかし、実際に今、アメリカ人は、そのような主張をしたり、率直に自らを誇りに思ったり、海外の友人の批判をかわしたりすることがますます難しくなっているそうである。
多くのアメリカ人、特に高潔な国から急速に堕落する状況を身をもって感じて生きてきた高齢者は、トランプの「アメリカを再び偉大に」というスローガンに心を震わせ、それをありがたくも感じていたようである。
多くのアメリカ人が不思議に思ってきたのは、自国のインフラ管理がきわめて杜撰なのにも関わらず、なぜ、海外での戦争やインフラ事業に何十億ドルも費やすのか、
また、自国で困っている人に目を向けないで、なぜ他国の困っている人々を援助するプログラムを支援するのか、
さらに、なぜ他国(例えば中国)が貿易協定においてアメリカよりも優位に立っているように見えるのかということなのである。
そんなとき、トランプは他国に対し、
「今日、この日から、アメリカ・ファーストただひとつ。アメリカ・ファースト」
と言ったのである。
色褪せたアメリカンドリームに傷つき、国を愛していても自分に見返りがないことに苦しんでいた一定数のアメリカ国民は、トランプをアメリカの救世主のように感じただろう。
そして、トランプは、再びアメリカを偉大に出来る、彼なら外敵からアメリカ国民を守り、国内の敵も一掃してくれる、と考えたのである。
これは、民主主義において危険な扇動的手法ではあるが、アメリカが味わっている屈辱にも、何も実現できない立法府の行き詰まった状況にも辟易している人々の心に響いているのである。
トランプの「アメリカ・ファースト」の本質は、突き詰めれば、アメリカの軍事と貿易における自国優先主義である。
これによって、自主独立でき、同盟関係のしがらみや、国際条約および国際基準に従わなければならないという責任感から解放はされるが、各国が緊密に関わり深く依存し合う世界では、あり得ないほど自滅的な姿勢である。
また、そのように変容しているアメリカに対応出来ず、不安と恐怖を感じているのが、日本であり、世界であり、その中にいる私たちなのである。
しかし、直接的であれ、間接的であれ、またどんな経緯であれ、結果的に、私たちは、世界は、アメリカは、人類の未来を決めることが出来る者として、トランプを選んだことがあることは揺るがぬ事実である。
トランプは危機に瀕する世界に現れた症状のひとつであって、その唯一の原因ではない。
私たちが、抱える問題のすべてをトランプのせいにすると、あり得ないと思われた彼の出世を可能にした社会に根深く潜む病巣を見逃してしまうだろう。
問題をトランプせいにするとき、私たちは、社会に潜む問題との対決を避けているのである。
問題と対峙し、解決するには、トランプを洞察する前に、まず、私たちが自分自身を洞察しなければならないように、私は、思う。
なぜなら、簡単に言えば、トランプに問題があるのではなく、私たちのいる世界が問題を抱えているからである。
アインシュタインの名言は、狂気を
「同じことを繰り返し行い、違う結果を予測すること」
と定義した。
過去の文明はすべて、急速な成長を遂げては、突然崩壊するという同じ衰退のサイクルを辿ってきた。
当時、彼ら/彼女らが犯した悲劇的な過ちは、今、私たちが犯している過ちそのものかもしれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今朝は、マーラーとアルマと交響曲第5番の予定が変わり、またまた、描きたい日記を描かせていただきました^_^;
本当にうろうろ、ふらふらしたブログですが、良かったらこれからも読んでやって下さいね(*^^*)
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。