UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

視力回復

2016-05-31 22:17:20 | 日記
見えない僕は、頂を目指します。

右眼は乱視。左眼は近視。心の眼は盲目。
恋にのめり込んでいる人と遜色ない程、この眼は何も見えません。視力が極端に悪い。
いつも奴隷制度よろしく、眼に負荷を強い続けております。じ〜〜っと(  Д ) ◎◎
偏頭痛の元・・・

人間関係においても他人に調子を合わせる事が苦手ですが、困った事には、この眼はこの眼で合わせてくれません。ピントを。
自分でもどこを見ているか分からない事があるので困りモノです。

しかしいつだって山頂の頂きからの眺めは眼をリラックスさせてくれ、頭痛からも解放してくれます。
人の眼は、遠くを見る事で眼球内部の毛様体筋という筋肉の力を抜く事が出来、ピントを綺麗に合わせるようになりますから、これは道理かと。

眼が本能に訴えてきているのですね。
「普段からデスクワークで近くしか見る機会がないのだから、たまには遠い世界に連れてけ」と。


確かに、
人が嫌いだから、一人になりたくてソロをしているのも確かです。
周囲数キロに渡って数人しかいない、本当に孤独を満喫できる場所が普段一体どれだけあるか。
ATフィールドに絶大な自信があれば問題ないですが、僕の壁はやわいので。

冒険への欲求もあります。
日常で死を少しでも感じられるような場面がどれほどあるものか。大袈裟かもしれませんが、たとえ低山でも何が起きるか分からないのが山です。
死にたがりではなく、ある程度のハラハラドキドキは必須ではないかと。

ただ、何れにしても、山を愛する要素は眼が大きく占めています。

あとは、山を見るときの感情は、美女を見たときの感情に非常に似通うところもあるので、それも大事です。
山に欲情しているわけではありません。
美女と面向かうと素直に「ああ・・・」と感嘆し、筆舌に尽しがたくなってしまうのですが、良い山から見渡す景色は正にそれと同一。
欲求とは離れた心境で、静寂空間に感嘆の音が溢れでてしまう。
この感情を味わいたくて行くのもあるかもしれません。
山は私にとっては、男性詞ではなく女性詞なのです。

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