UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

溢れたみるく

2015-01-31 00:22:45 | 日記

 折り目がついた紙は、
 数度折り重ねる事でボロと化し、

 透明な硝子は、
 粉々に砕けた惨めな細片を眼の中で撒き散らし血管を破裂させる。

 強迫観念症の自分自身が、
 三日三晩丹精をこめて作り上げたドミノを破壊する。


 笑いを失った道化は、在り方を喪失し
 声を発する事もない。
  
 操者は何処から、
 床に投げ捨てられている
 かの氏を見るか。

“Have it your way.”

2015-01-24 23:14:27 | 日記
『我々の人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。
それは非人間性の真髄だ。』

               written by.ジョージ・バーナード・ショー




 差別が生じる根本的理由は多々あるだろう。

  個々の能力の差。

  育った環境要因。
  
 大抵の場合、それは優者が劣者が見下す事から生じるが、
 しかし時として、両者の間に社会的な立場上、劣がないにも関わらず、差別が生じる場合もある。



 (プライベートしかり、仕事しかり、いずれにおいてもであるが)

  理由は至極明快、「無関心」の蔓延からである。

  
  仮に今ここに、Aというやるべき事があったとする。

  このAは最悪やらなくても良いものである。
  しかし、やらないと結果として大きな負の要素になるものだとする。

  極端な例ではあるが、ゴミ屋敷を想像してもらおう。

  ゴミが溜まっていってもそれを気にする人がいなければ問題はない。ただ好ましい状況では決してないだろう。



  関心がない人は当然、Aという仕事をスルーする。

  今現在、自分には自分で考えた他の優先事項があるからだ。
それがON上のものであるか、OFF上のものであるかは知らないが。

  いずれにしても、幸いか不幸か、気がついてしまった人がその業務をやる羽目になる。

  
  かくして、関心がない人が友達と楽しくどんちゃん騒ぎをしている間、

  そのあおりを喰らってしまう関心を示した人が生じるのである。
 
  そう。不幸にも、気がついてしまったばかりに。

  ・・・まあ、気が持つ限りはやりますよ。

  

少ないと見るか、多いと見るか。

2015-01-24 22:24:37 | 日記
  日本人が一生の間に食べる量は、
   米 10t
   肉 2.3t
   魚 2.6t
   野菜 7.9t 
   果物 3.6t
   小麦 2.9t
   牛乳 4.9t
   砂糖 200kg
   その他 15t
   計約50t   と言われているらしい。

  備考になるが、
  牛肉に関して言えば、「生体」から、頭や足、内臓部分などを取り除いたものを「枝肉」といい、
  この「枝肉」から、骨や余分な脂肪を取り除いたものを「部分肉」と称する。
  さらに「部分肉」から、くず肉やすじなどを取り除いたものを「精肉」と称する。

  例えば、和牛(去勢)1頭当たりの生体重を700kgとすると「枝肉」は440kg、「部分肉」は315kg、「精肉」は310kgとなる。
  
  つまり、牛に換算して、8頭以上の命を糧にして人は生きている事になる。


  人が生きていく上で他者を喰らう行為は必要不可欠だし、何より私自身はお肉は大好きだ。

  肉なしでは生きていけない。これから一生肉を喰うな、と言われるぐらいなら、いっそ・・・




  突然こんな話をしたのには当然理由がある。カニバリズムの需要が極まっているのだ。

  ひと昔前ならば、「バイオハザード」がその顕著な例だが、
  今は「寄生獣」「東京喰種」「進撃の巨人」と怒涛のラッシュが続いている。

  人が人を喰らう行為。

  生物的に優位を誇る者が、下位の者を喰らう行為。


  なぜこれほど人を魅惑するのか。

  人間がしてきた「暴力」を正当化できる行為だからか。


  人に腕力を行使するという行為は、所詮暴力にすぎないが、
  そこに「栄養摂取」のためという大義名分が加わる事で、他者に暴力を振るうこと自体を幾分なりとも肯定できる。


  人間だけが意味もなく、力を他者に行使できる。

  人以外の動物は結局のところ種の存続を全体で考える事ができるが、人だけが私益を優先し、種の存続なぞ度外視して自己で完結する事が可能だ。

  そうでなくては、人間がしてきたあらゆる破壊行為の理由が説明できないから。