UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

崩れたパズルはまたはめ直せば良い。ただ、

2021-06-25 08:00:05 | 日記
壊れた花瓶は捨てるしかないのでしょうか。

このような事は書くべきではないのでしょう。
このような想いを持つべきでもないのでしょう。
しかし、「治癒」のためには、自身を見つめ直す時間を確保することが大事かとも思います。

  ある日突然、
  自分から、一番大事なものが消えました。
  
   「登山」。

  大好きで、掛け替えのない行為。
  今でもなお全てを忘れて没頭したいもの。
  それが、出来なくなりました。

  「鬱病(適応障害)」のせい? です。

 「自分は癌患者だ」
 と言われる方がまだマシだと言ったら、非難轟々でしょうね。(ちなみに、私の叔父は癌で亡くなっています)

 ただ、
 「自分は鬱病(適応障害)だ」という状態に、自分自身がいざなってみると、
 それが長期に渡ると、
 そう思わざるを得ない時もあります。

 癌ならば、
「あぁそうか。治すためにこうこうあれこれの手段を投じていこうね。」と具体的施策もしていくのに対し、
 日本という国では、
 何故か、「精神系」の病というだけで、
 「あぁ軽いね。楽だね。」という風潮がまだまだあります。
 都市部ではなく、田舎の医院だと尚のこと。

 よく言われるのが、
 「鬱病は、単なる思い込みの病」
 「病気ですらない(すぐ治る)」
 「心の持ちよう次第」
 「これまでの考え方を改めろ」
 「身体上の重大な疾患を負った者と一緒にするな!甘すぎる」
 というご意見。

 いずれも間違いではないのでしょう。尤もなご意見だと思います。
 ただ、こういう意見でしばしばあるのが、
 個人個人の「特性」を無視した暴力的一般論の押し付けです。

 人間の数だけ生き方があり、
 その特性・性格も異なり、
 環境も異なり、
 当然、健康状態も、治し方も異なります。

 日に日に増大する頭痛。
 船酔い状態のような意識の不明瞭さ。
 たまにですが、自身が何を言っているか意識が飛ぶこともあります。
 言葉がうまく出てこない。
 記憶力の減退。
 疲労感。
 
 休みを増やし、なるべく仕事以外のことを考えないようにしたいですが、
 勤務日数が減る=出勤時にそのリカバリーに追われる、という負の連鎖が募り、休んでいる感じが全く無い始末。
 
 
 療養と回復に努めるも、あの大好きだった「登山」には「何故か」行けず。
 
 行きたいのに行けない。憧れるのに行けない。
 無理して山に行っても、多分、「想定以上に」シンドさが増して更に日常が大変になりそう。
 
 さぁ、どうするか。
 思考をリセットしないといけないが、どうするか。どうするか。

 そのリセットの仕方すら、消えてしまうのです。

 たまにこういう思い直しで、現状をまず見ることからしていこうと思います。
 


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