ウラとオモテの日記

私が見た裏と表の話を紹介する。今話題のニュースよりもあまり取り上げることの少ないニュースに注目します。

駅名改名の「駅」(役)

2018年09月18日 22時54分28秒 | ニュースあれこれ

 駅も長い歴史の中で大きく町が変化して、それと同時に駅も変わってきました。駅名にも愛されていることがわかります。朝日新聞によると、京急電鉄は創立120周年記念事業として、沿線に住む小中学生を対象に、産業道路駅(川崎市川崎区)の駅名変更案を募集するそうです。この他にも46駅も変えるそうで、品川や横浜、上大岡など他社線との乗り換えの最寄り駅になっていたり、川崎大師や金沢文庫、三浦海岸など、公共施設などへの最寄り駅として広く認知されたりしている駅は対象外となっているようです。産業道路駅は今年度中にまず電車が地下の走行に切り替わり、暫定的な駅の運用を開始、さらに2019年度に、新地下駅の使用が始まる予定となっているそうです。駅が地下に入ることにより、「道路名にこだわる必要がなくなった。子供たちが大人になっても戻ってくるような駅名にしたい」と広報部は話しているそうで、市によると、駅周辺が整備で様変わりしていくことから、市の飛躍につながるようなイメージだったり、公害のイメージが払拭できたりするような駅名に変更して欲しい、との要望が市に寄せられていたそうです。次代とともに駅の役割も変わってきて、同時に名前にも変化が出てきたようですが、なじみの名前が変わるというのはかなりの抵抗も必要ではないでしょうか。反対する人も多そうなので、一度説明会を開いてみてもいいのでは。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/business/ASL9L5WY4L9LULOB02J.html

 今も障がい者に対する配慮の足りなさが後を絶ちませんが、あの甲子園球場も欠けていたと神戸新聞が伝えました。記事によると、今年夏の甲子園で、準決勝があった8月20日の朝5時に起きました。早くも猛暑の気配が漂う甲子園球場の大会本部窓口には既に3台の車いすが並んでいたそうで、快進撃を続ける金足農(秋田)を応援するため地元から夜通し車に揺られてきた人や、前夜の最終電車で来て待っている人たちだったそうです。目的は31席ある車いす席の中で4席しかない「中央特別席」のチケットだそうで、屋根付きで直射日光を避けられ、長時間の観戦でも疲労が少ないからだそうです。高校野球観戦の常連という車いすの男性は「夏の甲子園は、障害者にとって心身ともにハードルが高い」と嘆きます。
 開門時間は混雑状況で変わるそうで、第1試合が午前10時開始のこの日、当日券の販売は6時20分からとなったそうです。20分ほど前、「まだ4席は埋まっていませんか」と駆け付けたのは、千葉県在住の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者と付き添いの3人でした。この人は前夜、大阪市のホテルに泊まり、未明の3時に起床したそうで、人工呼吸器を着け、体温調節も難しいため、暑さの中で何時間も並んだりする負担は非常に大きいようです。付添人の一人は
「『障害者手帳を持っていくから代理購入を認めて』と主催者側に何度も電話したが、『皆さん並んでいる』の一点張り。はっきり言って命懸けで、もっとやり方があるはずだ」
と憤ったそうです。この人は文字盤を目で追って
「(観戦は)病気になってから初めて。17年ぶり。楽しみ。明日の決勝もこんな時間に来ないといけないのか」
と戸惑いを見せたそうです。病気の影響で車いす生活を送る芦屋市議の長谷基弘さんはこうした実態を知り、大会終了後に「公開質問状」を主催者側に送ったそうで
「主催者にはまず問題意識を持ってほしい。車いす利用者本人が並ばなくてもいい方法はいくらでもあるはず」
と強調しました。主催する朝日新聞社の大阪本社代表室広報は
「車いすを利用する本人の入場を確認するため、窓口販売を原則としてきた。(来年夏の大会に向けて)前売り方式の導入や、障害者手帳の提示があれば付添者に当日券を販売するなど、改善策を検討する」
車いすでもやさしい施設が少ないという印象なのでしょうが、もう少し配慮してもよかったのではと思います。ちなみに記事ではスタジアムのバリアフリーについても紹介しており、甲子園球場の車いす席は31席で、総客席数に占める割合は0.06%、国内球場の車いす席は、マツダスタジアム(広島市、146席)や札幌ドーム(札幌市、117席)が多いが、それでも全体に占める割合はそれぞれ0.45%、0.28%にとどまっているそうです。もう少しスポーツを楽しんでもらいたいためにも、もっと優しい取り組みをしてもらいたいです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000013-kobenext-l28

 ところで甲子園というと、スポーツ報知にスポーツジャーナリストの氏原英明さんの著書「甲子園という病」(新潮新書・税別720円)が野球ファンを中心に話題を呼んでいることを紹介しています。記事では氏原さんが高校生投手の登板過多や肩肘の問題に疑問を抱いたのは、2008年夏の甲子園がきっかけでした。決勝で大阪桐蔭に敗れ、準優勝した常葉学園菊川(現常葉大菊川、静岡)のエース左腕は左肘のじん帯を痛め、痛みの中で先発し、3回5失点とKOされたそうです。
「これはおかしいと思ったんですが、当時、疑問を呈する風潮は全くなかった。いろんな編集者に『これはちゃんとしないといけないですよ』と言っても相手にされなかった。『高校野球は変わらないから、そんなことよりスーパースターの取材をした方がいい』と…。このままじゃいけないと思っていたら13年、安楽の問題が出てきたんです」
と振り返ります。また13年センバツでは済美(愛媛)の2年生エース・安楽智大投手(現楽天)が3日間の連投を含む5試合で772球を投げ、右肘痛に見舞われました。米メディアは「正気の沙汰ではない」と報じたそうです。
「あれで世間の流れが変わった。きっかけは日本の野球界からではなく、外からの声。なぜみんな言わないかといえば、立場がある。もっとプロ野球選手が言ってもいいのにと思いますが…。朝日新聞の人だって、今のままじゃ良くないと多分思っている。でも自分たちからは言えないし、高野連もなかなか踏み切れない。だから僕が言うしかない」
MLBスカウトは甲子園でのエース酷使を「Child abuse」と評します。「児童虐待」という意味です。楽しい夢舞台のはずなのに、なぜこのような問題が起こるのか。氏原さんは大人たちが「甲子園中毒」に陥っていると言います。
「みんな甲子園を中心に多くを語るじゃないですか。だから問題があっても『甲子園で勝っているから、いいじゃない』と片づけられる。全てが『甲子園で勝つ』ことで正当化されてしまう。冷静であるべき大人が、熱に浮かされているんです」
なぜ監督は、けがをしていてもエースを使うのかという問いに対しては、
「2番手以降の投手を出して負けた時、周囲から『なぜエースを使わないんだ。監督は勝利を捨てたんじゃないか』と言われるのが嫌なんです。勝つために全力を尽くす。その姿勢を出さないといけないと思い込んでいる。でも冷静に考えたら、けが人を出したら、むしろ批判されるべきです。でも高校野球だと『彼はけがを押して頑張った』という報道になる。観衆も痛みの中でマウンドに上がり、降板した投手に拍手している場合じゃない。本来は『何てことをするんだ』とブーイングすべきです」
と話しました。勝てばいい、その思想が高校野球を息苦しくしてはいないかと問題提起するそうで、
「勝利至上主義がダメだというと『スポーツは勝つから楽しいんだ』と反論されます。でも、勝つことと勝利至上主義は別です。勝つことを目指すのは当たり前。でも勝利至上主義というのは、負けることには何の意味もないと考える思想のことです。だから『勝つために何をやってもいい』と5敬遠してしまう。投げる投手と、打つ打者の楽しみを奪います。例えばあの投手が松井秀喜さんと勝負して、2本塁打を打たれていたら、プロに行っていたかもしれない。対戦して負けたから、悔しさが芽生え、強打者を抑えるにはどんな投手にならなきゃいけないかを学び、未来へのヒントが得られたかもしれない。試合には勝ったけど、勝負をしていないから、何も得られていない。これじゃ何のために甲子園があるのか、分かりません。指導者が『勝てば何をしてもいい』になってしまっている。『試合』とは読んで字のごとく『試し合い』なんです。鍛えてきたことを試し合って出して、負けたら『足りませんでした』、勝ったら自信にすればいい。それを『負けないように負けないように』と大人がもっていってしまう。そこに『負けないようにしないといけないから、勝ちにこだわっている姿勢を見せよう』というのがエースの登板過多の正体です。2番手が投げました。負けました。それは絶望なのか。そんなことはない。2番手は貴重な経験をした。それを世間が『あんな投手を出すから負けたんだ』とか言うから、おかしくなる。2番手を出して何が悪いんだって話ですよ。勝利至上主義を、取っ払わないといけませんね」
記事の一部を紹介しましたが、ここで彼が話しているのは高校野球は危険と隣り合わせであるという部分が存在しているということです。報知だから記事にしていますが、朝日や毎日新聞ではまず取り上げられない内容かもしれません。甲子園を目指して努力する姿はいいですが、過度のことが重なり合わせて、危険になるのは避けてもらいたいものです。
https://news.goo.ne.jp/article/hochi/sports/20180917-134-OHT1T50301.html

 最後に訃報です。日本にフランスパンを広めたフィリップ・ビゴ三がお亡くなりになったと毎日新聞が伝えました。記事では1942年9月、ナチスドイツ占領下のフランスで、パン職人の3代目として生まれました。パリの店で見習い修業をしながら、国立製粉学校製パン科に入学、フランスパンの権威、レイモン・カルベルさんに師事したそうです。65年に来日し、大手ベーカリー「ドンク」で技術指導するなどフランスパン普及に貢献しました。72年に独立して開いた「ビゴの店」は、関西有数の人気パン店として知られています。フランスパンの基礎を作ったのが彼だったのは知りませんでした。フランスパンを今食べているのは、関西ともゆかりの深い人のおかげかもしれません。お悔やみ申し上げます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000099-mai-soci


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