ウラとオモテの日記

私が見た裏と表の話を紹介する。今話題のニュースよりもあまり取り上げることの少ないニュースに注目します。

いい俳優と思っていたのに

2024年05月01日 21時35分58秒 | ニュースあれこれ

 連日大きく報道しているの栃木県の那須町で起きた殺人事件です。夫婦が殺害され、容疑者が次々と逮捕される中、かつて子役として活躍していた男性も逮捕されました。スポニチによると、軍師官兵衛では官兵衛さん役の岡田准一さんの子供時代を演じたり、官兵衛さんの息子役でも出ていました。その後は悪魔ちゃんや曇天に笑うにも出演していたそうです。ネットでは
「官兵衛の子供時代を演じた子?ショック」「かわいかったのに…」「最近見ていないと思ったら」
との声が上がるなど、大河ドラマの主人公の子供時代を演じた元俳優逮捕に衝撃が広がったそうです。次々と容疑者が出てきて、さらに増えそうで怖いですが、元子役も関与していたとは、演技がうまいから選ばれたとしか考えられません。同じことは振り込め詐欺でもいえそうです。こんなことで一番悲しむのはNHKです。
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20240501-0182.html
そのNHKというと、軍師官兵衛の配信のこともスポニチが取り上げています。NHKはスポニチの取材に、逮捕されたのが本人なのかも含めて
「確認中です」
とコメントしたそうです。事実を伝えているのにNHKは出演者を把握していないのかな。昨年は猿之助さんの逮捕の際にはいったん配信停止にしていたものの、数か月後には復活していました。これを機に犯罪者であっても配信を継続する方針を決めています。それなのに出演者に対して確認と取るというのは、放送局としては記憶にないと言っていると同じような感じもします。有名人ならすぐに対応をとっても、子役までは覚えていないのなら、そのままでもいいと思います。子役も人生いろいろですが、もしこのまま俳優として続いていたら、または声優に転向していたら、もっと輝かしい人生となっていただけに残念です。
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20240501-0218.html

 次は中京テレビより、里親の話。三重県名張市で79歳の男性が県を訴えたそうです。この男性には息子2人がいます。しかし本当の親子ではなく、里親として幼かったきょうだいを受け入れていました。しかしお兄さんが中学2年生の時に、弟にチョコレートをとろうとしたところ、口論となりましたが、妻が割って入ったそうです。翌日定期訪問をしている児童相談所の職員からかかってきた電話で男性は職員にお兄さんを指導してもらおうと実際よりも大げさに説明したそうです。男性は
「オーバーに話さないと(職員が)来てくれないと思ったんです。実際は、彼はめちゃくちゃ大きいし、手をつかむこともできなかった」
 その後お兄さんを一時保護するために児童相談所の職員がお兄さんの中学校へ来て、2年ほど前から父に
「施設に帰れ」
などと言われていたと説明したそうです。のちにお兄さんは
「僕は里子であることを友達に知られたくなかったのに(児相の職員が訪ねてきたので)友達にばれたらどうしようと不安があり、パニックにおちいっていました。そんな中で言ったことは事実ではない」
と事実とは異なる説明をしていたそうです。暴行や暴言はなかったと必死に説明しようとしましたが、
「明くる日一番に僕(児相へ)行ったけど、会わせてくれない、聞く耳ももたない、何度説明しても」
といいます。一時保護から約3週間後、三重県から通知が届き、兄弟を男性に預ける里親委託が解除されたそうです。さらに里子を受け入れるために必要な里親登録も取り消されたそうです。妻は10日ほど食べ物や飲み物も飲めずの状態だったそうです。お兄さんは夫婦にあてた手紙で
「お母さんがいつ倒れるんじゃないかっていう心配が頭から離れません。1秒でも早く帰りたいです」
と書いていました。お兄さんはサッカーでプロを目指し、強豪校へ進学しようとしていましたが、施設の生活が長くなり、志望校も変更を余儀なくされました。
 そして1年後、家庭裁判所から夫婦とお兄さんが養子縁組を結ぶことを許可したそうで、その際まとめられた調査報告書には
「同居中のエピソードを具体的かつ嬉しそうに述べた。その陳述内容は真意が反映されたものと言える」
と書かれていました。一方、男性が養子縁組後に入手した三重県の弁明書には
は「(虐待に関して)経験したものでないと語れない具体的なエピソードを話しており(中略)供述には信用性があります」
と書かれており、現在も里親登録は取り消されたままだそうです。まだ元通りではないのが弟です。現在は13歳で、養子縁組を結ぶには親権者の同意が必要な年齢のため、今も施設での生活が続いているそうで、夫婦は弟と話すことすらできないようです。昨日県が事実誤認に基づいて里親登録を取り消したのは違法として県を提訴しました。男性は
「(弟が)帰ってきてない。連れて行かれたまま一言も話せていない。裁判で勝とうとかそういうことよりもまず、弟を取り戻さないといけない」
と話しました。三重県の担当者は
「里親制度は社会みんなで子どもを養育しようというもの。必ずしも元の里親に戻さなければならないというわけではない」
里親経験者の元厚労省官僚は
「児童相談所は杓子定規な判断ではなく、子どもの現在および将来の最善の利益がどこにあるのかを、よく検討した上で判断すべき」
とありました。里親としては一言で委託が取り消されるということがのちの人生を棒に振ることにも等しく、本当に悲しくなりました。両親の代わりとしての存在として欠かせない里親は大人になってもつながりがあるようにしておかないといけません。今回の裁判が今後の里親制度の在り方にも変化があることを祈っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e02d26ad1f6451fd5dabe6197f79e6eba7349818

 将来の夢が経たれてしまうことは本当につらいですが、こちらは椅子引きでけがをしてしまい下半身まひとなってしまった男性をAMEMA TIMES(ABEMAヒルズ)から紹介します。今から10年前、椅子に座ろうとした時に、後ろにいた女の子がふざけて俺の椅子を引いたそうで、その際に背中と腰に異常な激痛が走ったとXでつぶやいていました。当時高校3年生、その時のことを
「脊髄が打ち所が悪かったっていうのもあって、潰れた感じっていうか…そこから痺れと、痛みが発生したというふうに言われた」
と振り返ります。この男性はバスケをしていて、あの八村塁選手と対戦したことがあったそうです。医師から手術を勧められ、強力な全身麻酔を使い、9時間もの大手術に耐えたものの、3日後に背中に激しい痛みを感じました。MRI検査の結果血栓が見つかり緊急手術を受けることになり、2度目の手術の後、男性はしばらく意識が戻らず、1週間ほど生死の境をさまよったそうです。
「目が覚めた時には、お腹から下の感覚が全くなくて、宙に浮いている状態っていうか、上半身しかない体みたいな感じですごいショックを受けた。走って跳んでというのが当たり前の生活だったのに、いきなり座ることもできなかったので、信じられないというか…」
と説明しました。髄液を抜くための太い注射をした際には“背中からナイフを突き刺されたような痛み”を感じ、たまらず叫んでしまったようです。その後は
「酸素カプセルを試した次の日に、指先がちょっと動くようになって、感覚も少し分かるようになってきたので、その時は一人で泣いた」
と話していました。リハビリを行って2か月後には車いすに乗れるまでに回復しました。
 バスケットボールがしたいという男性が転機を訪れたのは20歳の時でした。「岐阜SHINE」という車いすバスケットボールチームから、SNSを通じて連絡があったそうで、
「競技用の車いすに乗せてもらって、走り方とか、車いすの操作の仕方を教えてもらってから、一緒にゲームに交らせてもらって。久しぶりに、風を切って走ってる感覚がうれしくて、『また走ってる』と感じた」
と振り返りました。車いすバスケにのめりこんだものの、やはり健常者の時の記憶が戻ってきました。
「自分はもともとジャンプ力や脚力が持ち味のプレーヤーであり、もともとのバスケの感覚が残っているので、(車いすバスケを)だんだん違うスポーツに感じてしまうようになり、楽しさがなくなってしまって」
それから3年後、もう一度車いすバスケに挑戦しようと決意します。
「車いすバスケをやり始めたぐらいの時から、お付き合いさせてもらっていた方と、今結婚しているが(彼女が)『もう1回頑張ってみたら』と話してくれたお陰で『もう1回やってみるか』と考えられた。周りの支えがなかったら、今の自分はない。周りに恵まれてた。今の夢は生まれた息子にかっこいいお父さんっていうふうに見られたいので、日本代表を目指して頑張りたい」
と語っていました。椅子引きといういたずらについて男性は
「同じような思いをしてもらいたくないので、椅子を引く行為は本当に危険なんだと伝えたい」
と述べていました。子供の時にやっていたいたずらでとんでもない事故になってしまうという危険性は向き合っていかなければいけません。障がい者スポーツと向き合うこともありますが、人生は明るくして生きなければなりません。そのためにもいろんなジャンルにチャレンジすることが一番です。ちなみに車いすバスケというと女子はパリへ行きましたが、男性は残念な結果となりました。楽しみが一つ減ってしまいました。
https://news.goo.ne.jp/article/abematimes/life/abematimes-10124709.html

 冗談言っているのか、本当に怖いのが北朝鮮です。読売新聞によると、北朝鮮が昨年12月頃から、韓国につながる3本の道路すべてに地雷を埋めたそうです。記事では3本の道路はいずれも南北の対話や協力を象徴するルートだそうえ、最も西側は、韓国企業が進出して2016年まで操業した開城(ケソン)工業団地に向かう道路、東側は北朝鮮の景勝地・金剛山(クムガンサン)をバスなどで訪問する際に使われました。関係者によると、いずれの道路でも北朝鮮兵らが南北軍事境界線の北朝鮮側で地雷を埋め込んだそうで、道路脇の照明も撤去されました。こうした様子を境界線付近に駐屯する韓国軍が確認しました。3本のうち中央は、高原を通る未舗装の短い道路で、韓国北部・江原道(カンウォンド)鉄原(チョルウォン)と北朝鮮側を結び、2018年の南北軍事合意に基づき、朝鮮戦争(1950~53年)の戦死者の遺骨を南北が共同で発掘するため造成されました。この合意は左派で北朝鮮に融和的な文在寅(ムンジェイン)前政権時代に署名され、南北の全ての敵対行為の中止を定めたが、北朝鮮は昨年11月に事実上の破棄を宣言したそうです。将来南北の対話や交流が再開しても、地雷の撤去や道路の復旧には相当な時間を要するのは確実だと書いていました。まるでドリフのコントにありそうなとんでもない地雷があるとは、もうこの道は歩けないし、行きたくないなという感じです。近い将来また韓国との戦争があっても驚かないし、いつも通りといいそうです。こんなのが記事になるくらいなので、もっと怖いことも考えているだろうと想像つきます。その時世界はどうするのか、国連も動かないままで、手に負えないかもしれません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8600502b163ebffb951aeb79fea9547605466e5

 平成の世には拉致問題が大きく注目を集めました。これも安倍元首相のおかげといっても過言ではありませんでした。夕刊フジが令和に年号が変わるタイミングで当時の安倍さんにインタビューしていました。世論調査で新元号への支持が高いことについて
「元号は、その時代を生きる国民とともに、時を刻む。『それを決めるのは非常に重たい責任がある』と思っていただけに、ホッとしている。国民の方々に好意的に受け止めてもらい、本当にうれしい」
と語りました。拉致問題については
「『北朝鮮に残された方々を取り返すことこそ、私の使命だ』と心に強く誓った。まだ、実現できていないのは、痛恨の極みだ。一日も早い解決に向け、あらゆるチャンスを逃さず、果断に行動したい」
憲法改正については
「国民の生命と平和な暮らしを守り抜くことは、主権を持つ独立国家として、果たすべき最重要の責務だ。自分の国を自らの手で守る気概なき国では、誰も助けてくれない。国家のために任務を遂行する自衛隊の正当性を、憲法上、明文化するのは、私たちの世代の責任だ」
と語っていました。実に7年余り、コロナ禍まで政権が続いていたということで、本当に長すぎたというよりかは、いろんな問題を解決しないまま放置したという点では、政倫審を開いてまで裏金問題が解明されなかったのと何ら変わっていないんだなということが分かります。拉致問題はとにかく、憲法改正は一生無理だろうな。いろんな政党の考え方があるから、国民投票まで行けないでいること自体がおかしいでしょう。もうすぐ憲法記念日ですが、本気で改正したいなら、勝手にしてほしいと思いました。
https://news.goo.ne.jp/article/fuji/politics/fuji-_society_politics_G4SWIE3IFVOUXFQ3T2OSVVEMIY.html

 次は南日本新聞より、水俣病です。今日で公式確認から68年を迎えました。先日の裁判では認定で熊本地裁が却下されるなど、いまだに救済したとは言い切れません。そんな中水俣病の歴史を伝える「水俣病センター相思社」の職員は市内の中学校卒業後、鹿児島で暮らし、外から地元を見た経験が水俣病と向き合う契機となったそうです。地元から一度出てみたいと中学卒業後は進学せず、鹿児島県日置市にあるカフェで約4か月住み込みで働いたそうです。
「水俣出身と知られたらけげんな目で見られるかも」
水俣病被害者や発生地域に対し差別や偏見の目が向けられてきた問題は学んでいましたが、客に出身地を伝えても重く受け止められることはなく地元への思いは徐々に変化したそうです。2015年相思社にアルバイトで入り、就職を果たし、患者相談業務の中で病を夫婦間や子どもにも伝えられない人がいることを目の当たりにし
「今も続く被害なのだ」
と気付かされたそうです。今は、展示施設のガイドや環境に配慮した無添加石けんの販売を通じて水俣病の問題を発信するそうです。昨年職員は化学物質過敏症の原因となる香害に苦しんでいるそうで、
「本人にしか分からない『痛み』があることを知り、水俣病患者の苦悩と少し重なった気がした」
と明かしました。水俣病を自らと結び付けるのは難しくても、身の回りの小さな公害は意識できるようで、
「便利な生活を追い求めた先に公害は起きる。悲劇を繰り返さないために、大気汚染など身近な所から考えてみてほしい」
と話しました。最近増えてきた病気が香害で、若くして苦しんでいるんだなということがうかがえます。水俣病もかつては偏見も多く見かけた歴史があるように、病気でいろんな差別がないとは限りません。病気を理解して、寄り添っていくことが何より大切です。水俣病をこれからも風化せず認知してほしいです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6a5a86775623d94e7f5c5f289ed043b8108a01a

 今日最後は能登半島地震です。今日で4か月がたち、新聞などでも大きく報じています。最初は毎日新聞より、PFUという企業です。石川県にある会社で今回の黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会の女子のチームとして参加しています。今日はトヨタ車体と対戦し、フルセットの末に敗れました。PFUは
「がんばろう能登 がんばろう石川」
と書かれた腕章を着けてコートに立ちました。チームが拠点にしている石川県かほく市は、震度5強の揺れに襲われました。練習施設や寮に目立った被害はなかったものの、帰省などで県外に出ていたメンバーが合流できずに年始の全体練習開始は遅れたそうです。被災した子供たちを元気づけようと輪島市を訪問することを決め、避難生活を送っている小中学生らと野外でボール遊びをするなどして触れ合ったそうです。瀬戸杏華選手は
「『体育館にも来てよ』とか『ファンです』という子もいて。(子供たちを)元気づけるつもりで行ったのに逆に元気をもらっちゃいました」
と、無邪気な笑顔を今も忘れていないようです。前回大会でも決勝進出を決めた直後に地震発生し、
「私たちが勝つことで少しでも元気になってほしい」
と地元への思いを力に変え、21回目の出場にして初の頂点に立ちました。瀬戸選手は
「勝利を届けて石川の人たちの力になりたい」
と語っていました。PFUはコンピュータ関連企業で、今はリコーの傘下となっているそうです。地元としても被災地に元気出せるような勝利をおさめたかったのですが、それでもプレーする姿で元気が出たと思います。ぜひ次は勝利を期待しています。
https://mainichi.jp/articles/20240501/k00/00m/050/285000c

 次は北陸放送から、アニメの聖地が解体することになりました。七尾市を舞台にしている君は放課後インソムニアに登場する中山薬局で、今日市の職員や解体業者、社長が公費解体に向けた確認作業を行いました。店舗は1階部分が崩れたほか隣接するビルも傾き、いずれもり災証明で全壊の認定を受けたそうです。睡眠障害に悩む高校生の男女が「夜中のデートで訪れた場所」として、漫画で描かれていたそうです。社長は複雑な気持ちを抱える中で前に進みたいと話します。
「あっという間の4か月でしたけど、きょうを迎えることができて本当に幸せ。あきらめていかなきゃならんと思うので、これは天災ですから、あきらめて次に進まなきゃいけないと思っております」
インソムニアというのは不眠症という意味があり、心の病として存在しています。物語は男女が夏休みに星空を撮影するという話です。昨年にはアニメ化と映画化されました。映画には森七菜さんと奥平大兼さんが主演しています。その舞台となった建物が解体されるというのは残念ですが、きっと夜空を見ながら復興を見守るんだろうなということが想像つきます。建物がなくなっても、ここが聖地だということを忘れないでといいつつ、今日のウラオモはここまで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a68164b8165a7221ee329ebb97a734c73baf38b
https://kimisomu-anime.com/


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