小3の息子が、最近宿題で音読をしていた詩。
金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』。
ご存じの方も多いと思います。
「みんなちがって、みんないい。」という言葉が、とっても素敵。
今でこそ、人それぞれ違っていいんだよと言われるようになりましたが、私の子供時代でも「みんな同じが良い」とされていました。
この詩を書かれたときは、どんな世の中だったんでしょうね。すごいですよね、その時代に書いたことが。
この童謡が、娘の小さいときにテレビから流れていて、
「とってもかわいらしくて、とても素敵な視点で書かれていて、安心できて嬉しくなるような歌だな」って思いました。
昨日の話の続きなんですけどね、ちょっと人と違っちゃってた私の話。
他にも「あら?これは違った?」というエピソードを思い出しました。
子供の時って、やたらと「将来の夢」を聞かれることが多かったんですよね。今もそうかな。
小さいときは、他の人のまねをして、全くなりたいとも思っていない職業を答えたりしていました。
少し大きくなってからは、「ピアノを習っているから、ピアノの先生」とか
その次は「本が好きだから、小説家がいい」などと言っていました。
でもだんだんと大きくなり、現実が見えてきます。
ピアノはそんなに好きじゃないし、小説は大好きだけど、こんなにすごいものは私には書けない、と思うようになりました。
他に憧れるような職業もないし、ありがちな(いや、ないかな?)「お嫁さんになって、お母さんになる」という願望すらありませんでした。
私、子供欲しくなかったんですよ。子供の頃ね。
だんだんと「将来の夢」を答えるのが苦痛になってきました。何もないから。
今思えば、そんなの子供に無理やり考えさせることはないし、将来なりたい職業がなくたって、そんなのおかしくも何ともないんですけどね。
当時は困りました。
文集かなんかに、書かなくちゃいけなくて。
私は素直に、その時の「大人になったら、こうしたい」と思っていることを書きました。
「オーストラリアに行きたい」。
これは本音です。今も行きたいと思ってるしね!
けどね、そうじゃないのよね。先生の求めている答えは。
案の定、みんなの将来の夢がまとめられたページを見ると、私の答えは異質でした。
みんな嘘でも「サッカー選手」とか書いてたんですかね。
やっちまったなー、パート2です。いや、実際はパート2どころじゃなかったと思いますけど。
その文集を見た母は言いました。
「あんただけ、こんなこと書いて」って。
傷をえぐるようなこと言いますよね~。
せめて母だけでも、「オーストラリア行ってみたいよね!あなたらしいね」
とか言ってくれたら、それで良かったと思うんです。
けれど、もともと「やってしまった・・・」と落ち込んでいるところに、更に傷つけるような言葉を掛けられ、私は「母には本音を言うまい」と心を閉ざしましたね。
本当は、将来の夢なんて、何だっていいと思うんです。
「猫まみれになって寝る」とかでも良いと思うんだよ!
私の娘も息子も、やはり将来の夢を書かなくてはいけない場面があります。
娘は特別、憧れの職業もなく、毎回困っていました。
小学生の頃は「お母さんになりたい」って言ってましたね。かわいいです。本当だから。
高校にもなると、大学で学びたい学問も関わってくるので、「将来の夢」問題には、いまだ悩まされています。
何だって良いんですよね。なくてもいいの。
こんなこと学んでみたい、好きだからもっと知りたい、という感じで。
あたかも、将来の夢を持って、目標を決めて、計画を立てて、それに向かってコツコツと積み上げていくのが素晴らしい
というような価値観を学校が押し付けてきますけど、そんなの人それぞれで良いと思います。
オーストラリアへの夢を封印した私は(いや、まだ行きたいですけど)、中学に入ってからは
「建築家」というもっともらしい将来の夢を掲げて
周囲を納得させて、勉強しました。
それが良かったのかはわからないけど、周りの期待通りの行動をすると、楽なんですよね。
認められるでしょ。この子、変なこと言ってる!って思われないものね。
で、大学を出て建築の仕事に就いて、早いうちに挫折しました。ちゃんちゃん。
この私の大きな失敗を踏まえて、子供には焦らず、自分の気持ちに素直になって、好きなことやってみてねって思っています。
それと、もし我が子が周りのみんなと違うことを言っても、「あなたらしくて面白いね」と受け入れるようにしています。
みんなに「おかしい」と言われても、お母さんだけは、うんうん、って聞いてくれたら、救われますからね。
色んな子供がいて、実際すごく面白いと思うんですよね。
そういう世界が良いですね。
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