ちなみに、抜刀隊の歌詞(作詞外山正一)の1番を書いてみると。
吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵に大将たる者は 古今無双の英雄で
来れに従ふつわものは 共にひょうかん決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起せし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし
西南戦争は明治10年におこり、『抜刀隊』の初演は鹿鳴館で明治18年なので演奏を聞いた人達は記憶にまだ西南戦争の生々しさが残っていたことでしょう。
西南戦争は西郷軍3万人と官軍(帝国陸軍)6万人の戦争で結果的には官軍が勝ちましたが、田原坂の戦いは迫仲していて激戦であったそうで、今でも戦いに使われた銃弾などが見つかるそうです。
帝国陸軍の観兵式分裂行進曲と正式に制定されたのは明治35年です。
吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵に大将たる者は 古今無双の英雄で
来れに従ふつわものは 共にひょうかん決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起せし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし
西南戦争は明治10年におこり、『抜刀隊』の初演は鹿鳴館で明治18年なので演奏を聞いた人達は記憶にまだ西南戦争の生々しさが残っていたことでしょう。
西南戦争は西郷軍3万人と官軍(帝国陸軍)6万人の戦争で結果的には官軍が勝ちましたが、田原坂の戦いは迫仲していて激戦であったそうで、今でも戦いに使われた銃弾などが見つかるそうです。
帝国陸軍の観兵式分裂行進曲と正式に制定されたのは明治35年です。