陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

「野合の結婚」-驚き桃の木山椒の木

2021-09-16 16:06:44 | Weblog
コムロ何たらの、就職活動における「経歴詐称疑惑」(虚偽のインターン経歴)が報じられているが、それに加え、各メディアの本日の報道によると、
1)宮内庁は、M子と詐欺師コムロの結婚について近く正式に発表する準備を進めている。
2)コムロ何たらは、早ければ今月下旬にも帰国し、その後二人で記者会見などの機会を設ける見通し。
なんやて。

もしそれが正しいとすれば、いやぁ「驚き桃の木山椒の木」でござりまする。
信じがたいことでござりまする。
そうやとすれば、記者会見が「みもの」でござりますよ。
また、皇籍離脱日と婚姻届提出日の順がどうなるのか知らんけど、注目でござります。

本問題は、「象徴天皇制を毀損しかねない皇族の結婚が許されるのか?」が問われておるのでござりますよ。
A宮自身のみならず、天皇陛下も「秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜ぶ状況になることを願っている」と述べられており、「国民の理解を得る」が大前提の筈やけど、本人たちだけやのうて、A宮もこの部分についてキチンと説明すべきですわなぁ。

つまり、本件の核心は「国民と共にある皇室」とは具体的に何なのか、ですわ。
例え、結婚が本人の意思(私)であったとしても、「国民の理解(公)が得られない」場合、公を優先するのが皇族やないの?
皇族は「公人」であり、好き勝手にここは「公」、ここは「私」と、ええとこ取りなんぞ出来んのですよ。

天皇は「日本国民統合の象徴」であり、皇族は天皇を支える公人たる役割がありますなぁ。
このため、皇室(天皇と皇族)との財産の授受は国会の議決に基づき(憲法8条)、皇室の財産は全て国有とし、全ての皇室の費用は予算に計上して国会の議決を経る(税金で賄う)こととなっておりまする(同88条)。
公人たる存在には、義務と責任が伴うのでござります。

えっ?
納采の儀、朝見の儀などの儀式はナシ、一時金辞退にするんで、つまり税金は使わんので理解してね、ってこと?
これは、A宮が昨年言うた「結婚は認めるが、結婚と婚約は違う」を具体化したのがこれやということ?
この儀式ナシが何を意味するか、
時代にもよるが、昔でいうならば、この婚姻は「野合(やごう)」やということですよ。
つまり、「野合」とは「世の中では正式な結婚とは認められん」ということですわ。
正式な結婚とは認められんものを「認める」というのもおかしな話しですわなぁ。
昔と今は違うというならば、皇室の伝統、その継承というのは何なんですかな?
論理のつまみ食いですがね。世の中ではそれを「詭弁」と言うんやけどね。

ある人は、儀式ナシとは、「家としての付き合いはしないことを意味する」というておるそうやが、
それならば、最低限、A宮家はM子に対して「義絶」宣言をすべきでありましょう。
その上で、M子本人が自分の意思で皇籍離脱し、一民間人として結婚するのが最低限の手順でありましょう。
義絶の後は、もはや親子・兄弟姉妹関係は勿論、皇室とは関係がない一民間人やし、当然に警備を含む各種サポートなんぞ何もナシですわ。

今回のいきさつで、A宮家に対してのみならず、国民の皇室に対する敬意は大きく毀損され、天皇制や皇統の維持に暗雲を呼び起こしておりまする。
「私」を優先した当事者たるM子をはじめとするA宮家は、何をしておるのか、分かっておるんですかなぁ?
穢れた者、穢れた一家を姻戚とするA宮家は、自ら皇統を否定しておるんやないの?
国民の殆どの者が反対をする中で、結婚を強行するM子、そしてA宮家。「私」を優先し、「国民と共にある皇室」を拒否する宮家とは何なんですかなぁ?
(明日に続く)
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