何か気になる事があると、ついそのことばかり気にしてしまう私。それも
人にどう思われているか、何を言われているか人からの評価が気になって
しまう私の悪い癖だ。今日、山岳キントレウーマンの娘に相談したら
「お母さんは気にし過ぎだよ。」バカバカしいと言う感じ、全く相手にして
くれない。そーか、私の気にしていた事はその程度のバカバカしい事だった
のだ。人からの評価を気にしている自分がアホらしくなった。それよりも
こんな私でさえも神が愛して下さっていると評価して下さっているから
いいんじゃないかと思った。いつ天に召される事があってもよい様に心を
清められ、心がイエスキリストに向いているようにしよう。
今日の礼拝も素晴らしい礼拝だった。真剣に神に礼拝を捧げている人々で
いっぱいだった。神からの思わぬプレゼントがあった。そのプレゼントの
中で驚くばかりの大きな恵みをもってあなたがたを導いているのだから
辛いことはすべて私に任せて、ただ信じて前へ進みなさい。波や風を見ない
で私の言葉のみを信じてついて来なさい、とイエス様が語っておられるよう
感じた。ありがとうございます!
<すべての事が、神から発し、神によってなり、神に至るからです。>
ローマ11:36
2013.8.4 トマトでした。
自分が思うほど人は良く思っていません。
人は基本的に意地の悪い創造物だ
と思います。
神の言葉を受け入れても
何かの折りにその悪い面がひょこっと頭をもたげます。
でも我々は努力しています。
我らに罪をおかすものを我らが許す如く
我らの罪をも許したまえ
と祈るのはそのような意味において
だと思います。
私の経験では人に合わせるより
自分に合わせた方が良い結果が出ます。
人に合わせないせない事によるマイナスも大きいですが
どうせ下らない事柄でのマイナスです。
そこは誇り高く超然としていなければなりません。
その場かぎりの良い人は願望は捨てた方が良いと思います。
その場では憎まれ役嫌われ役でも
後に評価される事はたくさんあります。
先見性のある人達は皆そうです。
イエスキリストはその最たる存在。
いにしえの
野中の清水ぬるけれど
元の心を
知る人ぞ汲む
聖書の言葉ではありませんが
いにしえの歌人も良い言葉を残しています。